あなたの落とした願いごと
「ねえ、あの人に馴れ馴れしく話し掛けないでよ」
いきなり、耳元で低い声がした。
その不意打ちに肩がビクンと跳ねる。
「え…?」
危うくジャグを傾けそうになり、何とか体勢を立て直した私が後ろを振り向くと、
「あの人…王子は、私のものだから」
肩につかないくらいのショートヘアにキラキラしたピンをつけた、ジャージ姿の女子が私の目の前に立っていて。
「あ、」
途端、心臓がドクンと大きく音を立てたのが分かった。
待って、落ち着いて、私。
咄嗟の事で、この人が誰だか分からない。
人の特徴が書かれた手帳もリュックの中だし、何より、彼女の着ているジャージには名前が書かれていないんだ。
彼女は体育会系の部活に所属していて、話し掛けてきたという事は私と接点があって、でも。
(駄目だ、…分からない)
彼女の顔は靄がかかったようにはっきりしないのに、その瞳が真っ直ぐにこちらを睨みつけているのだけは理解出来た。
「え、っと…」
いつの間にかジャグから水が溢れ始め、慌てて蛇口を閉めた私は、下唇を噛み締める。
「……あなた、誰ですか、」
それは、今まで避けてきた質問。
今までは相手が誰だか分からなくても、大体の検討がつけられるように最大限の努力をしてきた。