楽園 ~きみのいる場所~



 人の口に戸は立てられないとはよく言ったものだ。

 明堂家の嫁が救急車で運ばれた、というたった一つの出来事から、明堂家のお家騒動がワイドショーのネタになるまでに時間はかからなかった。

 最初の内容は、俺と萌花の離婚、その原因が萌花と要の不倫、妊娠にあること、更には要が萌花に暴力を振るって行方をくらましたこと。

 三日後には新事実として、一年ほど前の俺の事故、央の社長辞任の理由、要の出生についてまで暴かれていた。

 マスコミに嗅ぎつけられてすぐに、俺は藤ヶ谷さんに連絡を取り、全てを話し、彼の力で楽の存在についてだけでも隠し切れないかと頼み込んでいた。

 幸い、萌花に姉がいることはあまり知られていないし、知られたとしても藤ヶ谷さんと結婚し、離婚した後についてまで調べられることのないように手を打ってくれた。

 とはいえ、楽自身が目立たないように生きてきたから、マスコミの動きを見張っただけで、特に何をしたわけでもなかったらしい。

 親父は会長として騒動の収拾に当たっている。現社長の叔父と央兄さんとともに俺も。

 要は萌花と征子さんの入院騒動の最中に明堂家に戻り、金目の物を持ち出していた。

 その後の行方はわからない。

 征子さんは萌花の死産と要の空き巣同然の行動を知って錯乱し、今も入院している。

 萌花は、退院後は実家に帰ったようで、岡谷さんの元に財産分与についての異議申し立ての連絡があったと聞いている。

 とにかく、もっと金を寄こせと言っているらしい。

「やっぱり、緊急の株主総会を開くしかないな」

 社長の言葉に、会長は胸の前で腕を組み、眉間に皺を寄せたまま目を閉じている。

「株価が下がっていることについての謝罪と、騒動の真相は報告する必要がありますね」と、兄さん。

「常務解任の報告と、後任の選出もしなければなりませんよね」と俺が言う。

 その間も、会長はまつ毛すら動かさない。

「後任は明堂家とは縁のない人間を据える必要があるな」

「副社長も、です」

 俺の言葉に、会長が瞼を上げた。

「俺も辞任します」

「悠久、それは――」

「渦中の要の解任は当然ですが、それだけでは株主も世間も納得しないでしょう。副社長と言ってもお飾り同然なので、俺の辞任でも足りないかもしれませんけど」

「ならば、社長である私が――」

「――こんな状態で社長が交代したら、益々混乱します。苦しい立場となりますが、社長は立て直しに尽力なさってください。それに、俺は辞めたいんです。むしろ、辞める口実が出来てラッキーだと思うくらいです」

「悠久くん……」

 俺は立ち上がり、社長に頭を下げた。

「申し訳ありません、社長」

「いや、もともとかなり強引な人事だったんだ。だが、央くんもだがきみにも経営者としての才はあると思ったから、残念だよ」

「ありがとうございます。株主総会を終えるまでは、しっかり務めさせていただきます」

 会長は何も言わなかった。

 それが、答えだと誰もが思った。

 株主総会は一週間後に決まった。

 会議の最中、藤ヶ谷さんからメールが届いていた。

 電話番号だけ。

 俺はホテルに戻るなり、かけた。

 愛しい声を期待して。



 いきなり切られたりしないだろうか。



 不安がないわけじゃないが、声が聞きたい願望の方が大きい。

『はい……?』

 誰からの電話かわからず、困惑した声。

 だが、期待通りの声。

 喉の奥から熱いものが込み上げてきて、唇が震える。

『もしもし?』

「楽……」

『――っ!』

「楽!」

『悠久……』

「楽……」

 夢にまで見た楽と通じているというのに、うまく言葉が出て来ない。

 出てくるのは、涙だけ。

「ら……くっ!」

 電話で良かった。

 こんな、子供みたいに泣きじゃくる姿を見られたら、嫌われてしまうかもしれない。

 俺はゆっくりと深呼吸をした。
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