楽園 ~きみのいる場所~
 彼女に嫌がらせしていた女の一人が告白して来た時、とてもじゃないが彼女には聞かせられないひどい言葉で振った。それが噂になって、卒業まで女子たちは俺に近寄らなかったほど。お陰で受験勉強に集中できたが。

「……会いたい?」

「え?」

「……その彼女に、会いたい?」

「どうかな。あんな別れ方だったから、その後どうしてたのかは気になるけど、もう十五年も前のことだし。ただ……、この家に帰って来て、楽と一緒に居たら思い出すことが増えて……」

 十五年も経てば、人は変わる。

 見た目も、性格も。

 だからどうというわけではないけれど。

「思い出ってさ、時間が経つにつれて美化されて、なのに朧気にならない? たった一か月の付き合いだったし、彼女は全く覚えていないかもしれないし」

「……うん」

「俺も、彼女の顔とかちゃんと覚えてるわけじゃないんだ。きっと、どこかですれ違っても気づかないと思う。ただ……、彼女の言葉とか仕草とか、そういう記憶はあって……」

「……うん」

「懐かしいなって……思ったり……」

「……うん」

「なに……言ってんだろうな、俺」

 毛布があって良かった。

 顔を隠せるから。

 弱ってる顔を、見られずに済む。

 結局、こうして過去の思い出に浸るのは、現実逃避だ。わかっている。

 会えるはず、ない。

 こんな情けない自分を、早坂に見せたくない。

 俺の指はもう、シャープペンを回せない。

 けれど、楽にはもうすっかり情けない姿を見せていて、今更取り繕っても無駄だ。

 それに、なぜか、彼女は何もかもを受け止めてくれるんじゃないかと、思える。

 何もかもを受け止めて欲しい、とも。

 俺は毛布という境界線を越え、彼女の手に手を重ね、握った。

「好きだよ、楽。きみと早坂を重ねてるとか、そんなんじゃないんだ。ただ、きみといると、早坂と一緒にいた頃の、まだ、何も知らなかった頃に戻ったような気がして……。あの頃みたいに、立場とか環境とか関係なく、ただ純粋に人を想う気持ちを思い出して……」

「……」

「間宮悠久に……戻ったような気がして……」

「…………」

 無反応の彼女が眠っているのではないかと思って、俺は毛布に頭をのせて、向こう側を覗いた。

「どうしてきみが泣くの……?」

 楽は声もなく、涙でシーツを濡らしていた。

「楽……?」

 彼女の手が向きを変え、俺の手を握る。

 彼女の手は、熱かった。

「間宮悠久に戻りたい?」

「……うん」

「立派な家柄や仕事を捨てても?」

「……うん」

「可愛い奥さんも……いらないの?」

「うん」

 初めて、事故に遭ったことが幸運のように思えた。

 この家に帰って来れた。

 背を向けてきたばあちゃんと母さんの墓参りもできた。

 好きな本を読んで、心穏やかに過ごす時間が持てた。



 何よりも、楽に会えた――。


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