三羽雀
 春子の制服の裾が通り過ぎた風に(なび)く。とくん、とくんと両者の鼓動が混ざっている。勝俊は左手にホルンのケースを持っていたが、そのケースの方がより重く感じられるほど、細身の令嬢は自身の右腕にすっぽりと抱かれていた。
 (事故とはいえ、これは少し出過ぎてしまったのではないだろうか)
 少し後悔した勝俊であったが、彼の腕から離れた春子の表情を見て、何も思わずにはいられなかった。おそらく春子も突然のことで驚いているのだろうとは推察できるが、彼女の濡れた瞳にまたしても心を奪われたのである。
 二人は残りの道のりを一言も交わさず歩いた。ただ、時々春子が勝俊の方をちらりと見たり、勝俊が春子の様子を(うかが)ったりとぎこちない帰路である。十字路を右手に歩いたところで春子の足が止まる。
 「ここまでで結構です」
 春子が立つ家の前には「松原」と書かれた表札が掛かっている。勝俊は春子が家の門をくぐるまでを見届けようかと思ったが、そこまでする必要もないと思い、軽く別れの挨拶をして松原家の邸宅の前を後にした。
 橙色の空に一等星が煌めいている。すっかり夕刻である。ずっしりとしたホルンのケースを持ち直したところで、背後から軽やかに走るような足音が聞こえた。
 「神藤さん」
 少し息の上がったような声の主は、春子であった。
 「春子さん……!どうかしたんですか」
 「いいえ、あの……」
 春子は()めない緊張の所為(せい)か、家から駆けて来たからか(ども)っている。
< 10 / 321 >

この作品をシェア

pagetop