三羽雀
 「はあ、陸大ですね。お伝えしておきますわ……では、ごめんください」
 会釈をした幸枝は足早にその場を去った。
 (また大層な……私も言えたものでは無いけれど、陸軍もある程度地位のある方を使うのね)
 電車に揺られながら浅草に戻る頃には、空は茜色に染まっていた。
 (もうこんな時間だなんて……行って帰るだけでとんでもない時間を使ったわ。劇場に急いでこの服を返さないと)
 停留場から一目散に劇場へ向かった幸枝は、団長に一言声を掛け、衣裳室で着替え髪を 整えると再び浅草の街へ飛び出た。
 (やっぱりこの格好が一番落ち着くわ)
 街は徐々に彩りが薄れているが、彼女は未だ色とりどりの服や装飾品を身に付けている。
 (陸経のこともあって、少し疲れたわね……早めに家に戻ろうかしら、それとも何処かで一休みしようかしら……)
 幸枝はぼうっと周囲を見ていたが、年が明けてからこの街はどこか活気が無く哀愁が漂い始めており、昨年まで聞こえていた威勢の良い声がないことに気が付く。
 (此処に来て人に会うことも少なくなったわね。例えば成田さんはどうしているかしら)
 遠くを見ながら歩いていた幸枝であったが、突如目前に今まさに頭に浮かべていた人物を見て思わず驚きの表情を浮かべる。
 (今日はあの日の御友人と三人なのね……声を掛けるのはよしておこうかしら)
 一度は気が付かない様子で通り過ぎた幸枝であったが、背後から、
 「君、君」
 と呼ぶ声が聴こえた。
 振り返ると、すぐ後ろにいたのは紛れもない成田清士である。
 「あら、成田さん。暫くね」
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