三羽雀
 「今日はどうも有難うございました。その、ホルンも聴かせていただいて、それから……助けていただいて」
 クネクネとしている春子だが、勝俊はそんな様子を一切気にしていないようで、優しい笑みを浮かべている。
 「いいえ、今日は僕が無理に春子さんを呼んだのですから、本来感謝すべきは僕のほうですよ。それに、春子さんにお怪我が無ければ僕はそれだけで十分です」
 「ありがとうございます、また友人と一緒にあの公園に行きます」
 春子はそれだけ伝えて、会釈をして足早に家へ戻る。勝俊は夕焼けに溶けるその影を見つめていた。
 その日から春子は足繁く公園へ通い、水曜日は友人と、金曜日は一人で勝俊に会うようになった。春子は勝俊のホルンを聴きながら、それまで知らなかったクラシック音楽への興味が湧いてきた。勝俊にもその様子は伝わっているようで、毎回会うたびに春子の表情が明るくなっていくように感じていた。
 しかし、春子の心の中には依然、清士に対する気持ちで溢れている。
 (今日もいないのかな……)
 春子は時々、帰りがけに帝国大学の前を通る。決して近道ではないが、ここを通ればいつか清士に会うことができるだろうと考えてのことである。話さずとも、ただ一目見るだけでも良い。清士が大学生になってから、春子はまだ一度も彼の姿を見ていない。
 バンカラな学生の多く通るこの道で、五分だけ立って辺りを見回しながら待ってみる。
 道行く学生が自分の方を一瞥(いちべつ)する。帝大生ばかりのこの通りでは、女子大学校の女学生が一人で立っているのではどうしても目立ってしまうのであった。
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