三羽雀
 ぼうっとした妹を見て兄は心配そうな表情を向ける。
 「いえ、何とも」
 急いで食事を済ませた幸枝は、居ても立っても居られない気分で出社の準備をして、未だ食卓にいる父と兄と弟に声をかけた。
 「今日は朝から用があるので早めに出ます。お父様、お兄さま、また後でね。昭二もしっかりね」
 いってきます、と玄関で少しだけ声を張った幸枝は、慌ただしくローヒールを履き屋敷を出て早足で大通りまで出る。
 (どう考えても家を出るのが早過ぎるわよね……でも、何か動いていないと、落ち着かないわ!)
 ポケットから小さな紙切れを出した幸枝は、
 『午前八時三十分 言問橋(ことといばし)
 という文字を確認してバスに乗り込んだ。
 普段より幾つか手前の停留所で降りて少しだけ歩くと、すぐに待ち合わせの場所が見えた。
 隅田川に架かるこの橋からは、朝の街の姿がよく見える。
 (街は穏やかだけれど、どうも落ち着かないわ)
 緊張の所為(せい)か急く気持の所為か、その場に立ち止まって川の様子を眺めるわけにもいかず、幸枝は「担当者」を待つ間、終始橋の両端を行き来することにした。
 (今日はこんな場所だもの、きっと直ぐに注文書を受け取って確認できるわ)
 ハイヒールを履いていればとうに疲れていただろうが、ローヒールのおかげで何往復もできてしまう。気に入って履いていた色とりどりの靴は、今となっては靴箱の中で眠っている。
 腕時計を見ると、時間は指定された時間の十分前になろうかという時刻であった。
 (やっと時間になったわね……此処で待っておけば分かりやすいかしら)
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