三羽雀
 目の端に浮かんだ涙を拭って顔を上げた春子は、目の前にいた学生の顔を見てハッとした。
 「清士兄さん……?」
 どこか見覚えのあるような気はするが、まだ確信はない。しかし、春子は学生の整った二重の目と鼻筋の通った、まさに端麗と表現するに相応しいその顔を見て、名前を言わずにはいられなかった。学生は戸惑ったような表情を見せている。
 (帝大の近くだから期待したけれど、人違いだった?)
 「あの、私……春子です。松原春子。」
 春子は学生が清士であると信じて、自分の名を告げた。学生の表情は固まっていたが、怪しむような目をしている。
 「……春子ちゃん?君が?」
 学生は、松原春子という名前を知っていた。しかし彼の頭の中にいる松原春子は、しおらしい少女であり、決して気の強そうな性格の人間ではなかった。実際、春子は三年間で背は伸びて華奢になり大人びていたし、ものの考えようも変わっていた。
 「まあ……やっぱり清士兄さんなのね!」
 「いやあ、その、随分と綺麗になったね。まさか春子ちゃんだとは思わなかったよ」
 清士は驚きを隠せずにいる。一方の春子はついに会えたという思いで胸がいっぱいである。
 「今日は何か用事があってここに来たのかい」
 「用事というよりは……少し通りかかってみただけ」
 春子はまさか清士に会うために来たとは言えず、目を逸らした。
 「そうか……気を付けるんだよ、この辺りは時々粗暴なのがいるからな」
 清士の目線の先には、バンカラの学生が列を成して歩いている。清士は彼らとは対照的に、制服は着崩れておらず(しわ)一つ無い。
< 15 / 321 >

この作品をシェア

pagetop