三羽雀
 水差しからグラスへと注がれる透明な水が陽光で煌めいている。
 橙色の光の差し込む部屋は、炎に包まれているかのような明るさだが、その光を遮るようにして立つ幸枝の表情は暗い雨の夜のようであった。
 「伊坂さん、お詫びと言って良いか分からないのですが」
 長津は左手に持っていた小さな紙袋の中から白い箱を取り出して机上に置いた。
 窓際から移動しソファーに腰掛けた幸枝を見て、長津も椅子に座る。
 「私がこのような品で懐柔されるとでもお思いで?」
 幸枝はくすんだ青色の円に書かれた品の名前に目もくれず一蹴した。
 その品は現在では決して手に入らない、崇高な主題の感傷主義的な小説を表現したオー・ド・トワレであった。
 本国で九年前に発表されたその香りを閉じ込めた瓶は、秘密の経路を辿り、今、彼女を表象するかのように机上に置かれている。
 「私の求めているのは謝罪や償いではありません。ご説明いただきたいのです、何故あのような姿であの場にいらっしゃったのかを」
 彼女の目には、けものみちの先をのぞむかのような不穏な疑念が浮かんでいる。
 「昨日場所は違法の賭場でなくて?軍人だと判ると好ましくないので変装していらっしゃったのでしょう」
 事実を見抜いたように指摘する幸枝が、静かに餌食を狙う獅子のように見えた。
「失望しました」
 幸枝はそれ以上を口にしなかった。
 一方の長津は弁解を考えてはいたつもりであったが、幸枝が香水を受け取らなかった時点で策が狂いはじめている。
 どう説明すべきかと思案しているうちに、再び幸枝が呟く。
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