三羽雀
 取り残された清士は群衆の中に消えていく少女の後ろ姿を見ていたが、弟の清義に声を掛けられたので少女は視界から消えた。
 「兄さん。あれ、伊坂工業の(ひと)じゃないか」
 「ああ」
 依然として幸枝の足音すら掻き消された観衆をぼんやりと眺めている清士であったが、清義は兄を置き去りにしてその会衆の奥へと歩んでいく。
 暫く遠くを眺めていた清士であったが、多くの女の視線が自らに向いていることに気がついた。
 「あのひと、流行りの顔ね」
 「惚れ惚れするわ」
 青年はきまりが悪くなったのか、風を切るように美術館の外へ向かう。
 一方の清義はゆっくりと動く人の波を掻き分け、漸く伊坂の令嬢のもとに辿り着いた。
 「あの、失礼ですが」
 「はい」
 涼しげな夜の香りを纏った少女の丸々とした眼に映るのは、一人の学生であった。
 (学生?何処の御子息かしら)
 勇壮な立ち姿の彫刻にも見劣りせぬ顔貌の青年は制帽を取りお辞儀をする。
 「成田実業の成田清義と申します。先程はお目に掛かれず、遅ればせながらではありますが」
 少女の目は驚きに満ちていた。
 「まあ、成田実業さんの……!伊坂工業の伊坂幸枝よ」
 幸枝の白く細い手が清義の手に触れる。
 「兄にはもうお会いになりましたか」
 「ええ、つい先程お目に掛かったわ」
 「はあ、そうでしたか。それは良かった」
 兄とひどく似た話し口であったが、その振る舞いは自信に満ちていた。
 伊坂家は日が僅かに西に傾き始めた頃に美術館を出たが、幸枝は弟と大階段を下っていたとき、真下にある電灯の下に見慣れた人影を見つけた。
 (成田さん……かしら?此処で何を……)
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