三羽雀
 「ええ」
 仕事は終わったが、長津は何処を目指しているのか揚々と歩みを進め、あれよあれよという間に江戸橋を渡ろうとしていた。
 幸枝は、ぽつぽつと続く長津の発言に一言返すのみである。
 やはりあの浅草でのことが気に掛かって平静としてはいられない。
 「今晩、夕食でもいかがです」
 「はあ」
 「今後の取引についてお伝えしたい要件があります」
 「今、此方でお伺いするのは、憚りますか」
 長津は歩きながら四方を見回す仕種(しぐさ)を見せた。橋の片側には憲兵の姿がある。
 幸枝も同じ方向を見て、その理由を悟った。
 「それで、何方へ向かわれるのですか」
 「十分程歩いたところです。ゆっくり、話でもしながら行きましょう」
 規則正しい歩みが秒針を刻むようにゆったりとした調子になる。
 「少し寒くなってきましたね」
 斜陽に包まれる帝都の河川には夜の訪れを告げる冷たい風が吹き始めた。
 「ええ……」
 「最近、仕事のほうはどうですか。その後、順調ですか」
 「はい、お陰さまで」
 「そうですか、良かった」
 一言ずつ交わされる会話は、途切れながらも続いていく。
 「御家族はお元気ですか」
 「ええ、まあ、それなりに……」
 幸枝は俯きがちに歩いている。
 「本件でお困りごとでもありますか。それとも……」
 揺蕩(たゆた)う断髪の裾が横に振れた。
 「いえ、そのようなことは……」
 「今日はお帰りになりますか」
 しばらくの間、幸枝は考え込んでいた。
 ここで帰れば、このどう接して良いのか分からない気まずさから逃れることはできる。
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