三羽雀
 室内を見渡すと、荘厳な装丁の本がぎっしりと詰められた背の低い書棚が置いてあったり、壁に校舎を写した写真が飾ってあったりする。
 「許可は取ってありますから問題ありません」
 少しだけほっとした幸枝には、長津の話の中でもう一つ気になることがあった。
 「……長津さん、どちらの学校にいらっしゃったんです?」
 長津は「兵学校」と言っていたが、幸枝は念を押すつもりで尋ねる。
 「江田島です」
 「まあ、それは……」
 江田島とは海軍兵学校を指す言葉である。幸枝にとっては長津が想像以上のエリートであったことが驚きで、たじろぐような心地がした。
 「仕事をしましょう」
 話を切り替えた長津は、いつから忍ばせていたのか盆の下から封筒を取り出した。
 「あら、そんなところに」
 「此処でも油断はなりませんので」
 こういった機転の効いた行動を取るところが海兵卒の人間なのだろうか。
 幸枝が封筒を受け取り鞄に入れたのを確認して、長津は、
 「ところで」
 と切り出した。
 「伊坂さん、疎開は考えていらっしゃいますか」
 幸枝は思いがけず聞いた単語に首を傾げた。
 「疎開ですか?全く考えておりませんけれど……」
 「考慮しておいたほうが良いかと」
 長津の無感情な声からは、彼の意図するところを察することはできない。
 「疎開なさるなら、早いほうが無難ですよ」
 「はあ……」
 いつまでも本所で働くつもりの幸枝には、疎開と言われても思い浮かぶものがなかった。
 「折角ですけれど、私は此処で働き続ける心算(こころづもり)です。第一、仮に私が何処かに疎開したとして、事務方のお仕事は調整が効くかもしれませんが、あなたがたとの、このお仕事は替えが効きませんし……如何なさるんです?」
< 219 / 321 >

この作品をシェア

pagetop