三羽雀
 (この人、濡れているのにそのままにしておくつもりかしら、服が駄目になってしまうじゃないの)
 「これを使ってください」
 「いえ、ハンカチがありますから……」
 幸枝はきっちりと畳まれた手拭いを持っているのに軍服に付いた雨粒を拭わないどころか、なぜかそれを差し出す長津を不思議に思った。
 「手拭いのほうが使い易いですよ」
 長津は頑に手拭いを押し付ける。幸枝は仕方無しに受け取ったが、それを手に取ってから彼が手拭いを渡した理由が分かった。指先に少し力を入れると、紙が曲がる感覚が伝わる。
 (この中に注文票を入れてあるのね)
 「そのまま持ち帰って構いませんので」
 「はあ」
 幸枝はその手拭いを広げず肩に当てる仕草を見せて、鞄の中に入れた。
 「あの……雨宿りの(つい)でにお話ししますが」
 「要件外の話は控えていただきたい、誰に聞かれるか分からない」
 長津は幸枝の話を遮った、というのも、長津には今回の仕事場所が日比谷公園と決められていた理由には大体の見当がついていた。
 此処には海軍省の宿舎がある、それも朝早い時間帯の仕事である。
 何者かを送り込んでこの「仕事」の様子を観察しておこう、という主計中佐の目論見(もくろみ)だろうと踏んでいた。
 そうとはいえ、海軍のみならず陸軍も大勢居るこの敷地では、本当に誰が何処で聞き耳を立てて、或いは覗き見ているかは分からない。しかし、人影はこの数分で幾つか見ている。
 「申し訳ない、次のときに聴こう」
 声を潜めた長津は、それだけ言って傘を手に立った。
 「お送りします」
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