三羽雀
 「……御夕飯、もうおあがりになって?」
 「いや、それが……ははっ」
 急に乾いた笑いを漏らした清士の様子を見て、幸枝は彼がいよいよ心配になった。何かがおかしい。
 「実は今日は(うち)で壮行会なんだ。始まる前に抜け出して来た」
 幸枝は何も言えなかった。この人が参った表情をしているのは、やはり出征のためなのだ。
 「幸枝さん、一つ面白い話があるんだ。聞いてくれないかい」
 「……ええ、聞くわ」
 彼女は内心、その面白い話とやらを聞くのが怖かった。
 清士はまた一口、ウイスキーを飲んで話す。
 「この間の話だ、僕は長い夢を見た。夢の中で僕は八十年後の東京を旅した──見たことも無い景色がそこには広がっていて、まるで未来都市のようだった。僕は見た。この国は戦争に負けて、何もかもが新しい世界になっていた。法律が変わり、国の構造が変わり、国家の在り方が変わる。人も文化も変わる。全てが変わるんだ」
 (遂におかしくなってしまったのかしら)
 「へえ……」
 幸枝は嫌な予感がしてならなかった。この人はやはり戦争という現実を受け入れられていないのだろうか。しかし、彼の立場に立てば無理もないのかもしれない。英国法という敵国の法律を学んでいるだけで一部の人間からは嫌われるだろう、それに彼は「丈夫(ますらお)」というよりは軟弱で、掴みどころの無い人間である。さらに「将官の娘」という盾も捨てた。彼は一体何がしたいのだろうか。
 「注いでくれ」
 清士は幸枝の前に空になったグラスを差し出す。幸枝も断りきれず、黙って注いだ。
 (どうして結婚を断ったのか……今更訊くのも野暮よね)
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