三羽雀

許嫁の仕事

 彼女の唯一の娯楽は本である。薬学書か医学書か小説という極端な嗜好であるが、暇さえあれば本を読んでいる。
 ただこの日の晩はどこか心がざわざわとして、落ち着かない。
 (あの帝大生が……)
 撫子(なでしこ)のように育てられた志津は、おそらく一般的には美人に入る種の見た目である。
 決してはっきりとした顔立ちではないが、優美で、ほんの少しの妖艶さのあるその姿に多くの男は心惹かれるのだ。
 少なくとも近所では高嶺の花で、皆彼女に許嫁のあることを知って手を出さないが、これが一つ二つ隣の町より遠いところになると、しばしば青年から声を掛けられる。
 普段は、何気無く断ってその場を離れるのだが、今日書店で出会った彼を一目見た途端、掛け金が外れたような気分になった。
 そして頭の中であの時見た光景が繰り返し映し出される。
 本を取るごつごつとした手、文章を読む静かな目、照れ隠しの笑み──数千年に一度とも形容できるような美形に、あからさまな育ちの良さが手伝って自らを惑わしている。
 (駄目よ、私には康弘さんが居るんだから──)
 帝大生の彼と一緒になれば真の幸福(しあわせ)を手に入れられるのだろうかなどという卑しい気持は捨て、一心に婚約者の無事に帰還するのを待つしかないのである。
 こんなことを考えていると、康弘に対しても罪悪感が芽生えてくる。自らの汚れた心が原因である。
 自分は清廉で優しい彼とは正反対で、意地が悪く、さもしく、自己中心的な人間だ。
 この二つ目の罪悪感は、父に対するもの以上に心に刺さっている。
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