三羽雀
 背後で良人(おっと)の手を握る志津の表情には、冷静さの中にひしと恐怖が迫っているのがありありと現れている。寒さも(こた)え、皆が震える体を温めようと身体を寄せ合っていた。
 この時は運良く高辻家の邸宅のあたりは被害を免れていたが、その後噂には「空から火が降ってきたようだった」とか「家に炎が落ちてきた」といったことが聞かれるようになった実家のあったところがまさにその被害を受け、既に取り壊され更地(さら)となっていたそこには多くの焼け出された住民が集まっていたという話まで伝わってきた。
 間一髪で死を(まぬか)かれた志津は顔にこそ出さなかったが、さまざまに流れてくる噂に内心恐怖していた。
 いよいよ此方側も危険になってきた。
 ここ数年の間に患者や知人の中にも親戚や友人を頼って疎開した人が何人も居たが、志津には疎開という選択肢はなかった。
 (私は薬剤師……弱気になっては駄目だわ)
 今や戦闘の激化する戦地に送られる医師は増えに増え続け、かえって内地の一般の診療を行う医師が足りない状況に陥っていた。
 空襲があっても入院患者の治療は出来るだけ続けなければならないし、きっとこれからはさらに激しい空襲が続いて死傷者が大量に出る。
 数少ない医師だけでは手一杯になることは目に見えている。
 (私の仕事は人の命を救うこと──)
 いざとなれば彼女も手当に回る覚悟をしなければならなかった。否、彼女はそれ以外の思考を持たなかった。
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