三羽雀
 (すが)るような顔付きの男の頼みを断ることは出来なかった。
 「担架を持って来い、火傷だ」
 看護婦に指示を出した彼は、苦虫を噛む思いで治療を始める。病院には(うめ)き声が響き渡り、手当にあたる看護婦達も時折目を細めている。
 その後もぼちぼち病院を訪れる人が現れて、いよいよ診療の合間に院長も副院長も、看護婦も総出で手当と入院患者の世話を続けなければならなくなった。また、向かいの薬局の方にも何度か看護婦がやって来て、あの薬が欲しい、取り置きのガーゼを持って来て欲しいなどと注文が入った。
 医療品の消耗は激しかった。
 自ら空襲の音を聞き、火災に巻き込まれた家屋や怪我をし、命を落とした市民をその目で見た者の多くが、戦争の真の恐ろしさに目覚め始めていた。
 いざとなれば市民も標的になる、敵機は所構わず爆弾を落としてくる。東京が火の海になる日もそう遠くはないと感じる人さえいた。
 高辻醫院とその薬局は多額の資金を投じて何とか医療品や薬品を元通りに揃えた。
 警戒警報を毎日のように聞き、いつまた爆撃機が来るやもしれぬという焦燥感を覚えながらも、誰もがそのようなことは一切口にも顔にも出さず、黙々と仕事をこなしていた。
 この物資不足の中、ほぼ不可能に近いと思われた原状回復をやってのけたところに更なる不幸が降ってきた。
 今週も何とか一週間を切り抜けたという金曜日の晩、暗い部屋の中で流れていたラジオの音声が突如として途絶え、警戒警報が流れた。
 夫婦は正直なところ「またか」と思った節はあったが、その後警戒警報が解除されたので今夜も空襲は無いだろうと床に就いた。
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