転生悪役幼女は最恐パパの愛娘になりました 番外編
「いたっ」
「いてっ」
サマラとレヴは再びぽーんと水鏡から飛び出した。またしてもお尻と頭を打ちつけ、ぶつけた場所をさすりながら辺りを見回す。
「戻った……かな?」
納屋の中の様子が先ほどと違う。近くには篝火の台が倒れ、火の消えたランタンが転がっていた。
揃って外に出たふたりは北の風景に尖塔が見えないことを確かめ、安堵の笑みを浮かべ合った。空に浮かぶのは満月を過ぎたばかりの下弦の月だ。
サマラとレヴは大急ぎで玄関に篝火を焚き、部屋に戻るとプレゼントを持って正餐室へと駆けていった。中ではすでにディーとカレオが席に着いていたが、雰囲気がどことなく重苦しい。
けれどサマラは部屋に駆け込むとディーにまっすぐ向かっていき、「お誕生日おめでとうございます! お父様!」と飛びついた。
幼い頃はよく飛びついていたが、十七歳にもなって抱きついてきたサマラにディーは目を丸くする。しかしすぐに淡い笑みを浮かべ、「幾つになっても子供だな、お前は」とサマラの背中をポンポンと撫でた。
沈んだ顔をしていたカレオも、ふたりの様子を見て表情を和ませる。レヴは、ディーにぎゅうぎゅう抱きつくサマラに苦笑しながら「ファザコン」と呟いた。
10月31日、サウィン。闇の季節の始まりでもあるこの日は、古から家族で暖炉を囲み歓談をする日の始まりとも言われている。
家族は暖かい火を囲み、笑い合って闇の季節を超えるのだ。新たな命芽吹く光の訪れまで――。
***
それから十日後。
ひとりで出かけていったディーのあとを、サマラとレヴは鳥に姿を変えてこっそりと尾行していった。
着いたのは王立公園の中にある植物園だ。ここは魔法の薬草や実験に使う植物が多く育てられていて、魔法研究所の管轄になっている。定期採取の日以外、人は滅多に来ない。国内では有名人であるディーが人目を忍んだのであろうことが窺えた。
ナーニアはディーより早く到着していた。ラベンダー色のドレスを着たナーニアは、やって来たディーを見て嬉しそうにはにかむ。少女のような愛らしい笑顔は、十七年前と変わっていない。
「ディー様……。お変わりなくてよかった。今日は会ってくださってありがとうございます」
それからナーニアは少しキョロキョロとし、「サマラは一緒ではないのですね」と残念そうに笑った。木の枝に留まってふたりの様子を窺っていたサマラはドキリとする。
ディーは無表情のままだった。ナーニアに会えて嬉しそうな様子もない。ただ黙ってナーニアの前に立ち、やがて静かに口を開く。
「初めに言っておく。今日は復縁の話をしにきた訳ではない。期待するな」
その言葉にナーニアの顔が強張る。
直接会ってもらえたことで、少なからず期待していたのだろう。明るかったナーニアの顔はみるみる悲しげに曇っていった。
しかしそれに構わず、ディーは冷静に言葉を続ける。
「……男女のことは俺にはわからん。だが、人間だから心変わりすることも相手を間違えることも仕方がないと思う。そのことで十七年も恨みを抱くほど俺は暇じゃない。……だが、お前がサマラを捨てたことだけは、俺は一生許さない」
それは静かで、けれどもとても厳しい声だった。
ナーニアは「それは……!」と口を開きかけたが、ディーの金色の瞳に射られてそのまま唇を噤む。
ディーは少しだけ目を伏せると、微かに口角を自虐気味に上げた。
「……俺も偉そうに言えたものではないがな。あの子を五年も孤独にしてしまった。きっとその傷は一生癒えない。後悔している、今でも夢に見るほどに」
サマラは目を瞠った。ディーがあの五年間をそんなに後悔しているなんて知らなかった。今すぐ飛んでいって『自分を責めないで、私は大丈夫だから』と伝えてあげたい。
「俺は自分の人生全てでサマラを守り、幸せにする義務がある。だからあの子をお前に渡すつもりもない。……悪いが、あきらめてくれ」
きっぱりと言い切られて、ナーニアは泣き出しそうな表情を浮かべる。しかしディーが情に絆されないとわかると、そのまま俯いてしまった。
秋の風が草を撫で葉擦れの音を鳴らし、沈黙を和らげる。
もう話し合っても無駄だと思ったのか、ナーニアは項垂れたまま一礼して踵を返した。ディーはその背に呼びかける。さっきまでと違う穏やかな声で。
「ナーニア。サマラを生んでくれてありがとう。……今日はそれが伝えたかった」
振り返ったナーニアの目に映ったのは、初めて知るディーの柔らかな笑みだった。
「あの子が俺の生きる意味だ」
ナーニアは風に靡く髪を手で押さえ、泣き出しそうな顔で微笑む。そしてもう一度深く頭を下げて告げた。
「サマラを育ててくれてありがとうございます」
――いつかサマラが母に会いたいと願う日が来たら連絡する。そのときは会いにきてやれ。最後にディーはそう残して、ナーニアと別れた。
ふたりが去った植物園の木陰で、魔法の解けたサマラはレヴに肩を抱かれながら泣き続ける。
「うっ、う……、お父様……。私お嫁になんて行かない、一生お父様のそばにいる……」
震える肩を抱きながら、レヴは嘆息するしかなかった。
(あーあ、ファザコン更新。俺、大人になってもこいつと結婚できる気がしねーんだけど)
苦笑を浮かべ仰ぎ見た空には、二羽の鳥が仲睦まじく飛んでいた。高く広い秋の空を、二羽はどこまでも羽ばたいていく。
それがつがいなのか親子なのかわからないけれど、レヴは穏やかに微笑んでそれを眺め続けた。