天敵御曹司は政略妻を滾る本能で愛し貫く
 優弦さんは最後まで恐ろしいほど冷静で、冷徹で、一切の隙がなかった。
「では、1ヶ月以内によろしく頼むよ」
 優雅に羽織を翻して、優弦さんは部屋を出ていく。
 その後ろ姿を見て、私は、とんでもない人の妻になってしまったのかもしれないと、このとき初めて思ったのだった。
 
 どうして、自分を助けるようなことをしたのか――。
 優弦さんの行動が理解できないまま、私はあっという間に日常を取り戻せてしまった。
「世莉お嬢様、御髪を梳かしましょうか」
「ばあや、私ももう二十八よ……」
 苦笑交じりに断ると、ばあやはにっこりと笑って、「私にとってはまだまだ子供ですよ」と言い放った。
 毎朝、朝食はばあやが作って部屋まで持ってきてくれるようになり、身の回りの支度も整えてもらうようになった。
 そこまでしなくていいと断っても、「私から仕事を取らないでください」と叱られてしまう。どうやら雪島家のときよりもずっと好条件で雇われているようで、安心した。
 ばあやのお陰で、私はありがたいことに、今の仕事に集中できているのだ。
「そういえば、女中の方々が荷造りを始められていましたね……」
「……そう」
 私は声のトーンを少し低くして答えた。
「世莉お嬢様が、大変な苦労をされてきたと聞いています」
「ふふ、小学校のときと変わりないわよ」
「世莉お嬢様……」
 正直、今回下された判断は仕方がないことなのかもしれない。
 次期頭首で院長候補の相良優弦にあのように言われたら、従わざるを得ないし、実際に解雇されるほどのことをしてきたと思う。
 けれど、心のどこかでもやもやしている自分がいて、それを上手く言葉にできない。
 顔を曇らせている私を見て、ばあやがくすっと微笑んだ。
「世莉お嬢様は昔からお優しいから」
「え、そんなことないわよ。気が強すぎていじめられていたんだし……」
「いいえ。世莉お嬢様は、お優しい人間です。ばあやは知っています」
 そう言い切られると、何だか気恥ずかしい思いになる。
「何か納得のいかないことがあるのなら、向き合うべきですよ」
「え……」
「世莉お嬢様らしく、いてください」
 どこまで私の気持ちを見抜いているのかは知らないが、ばあやの穏やかな声を聞いたら、少し気持ちが落ち着いてきた。
 納得がいかないことがあるなら、向き合うべき……。
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