天敵御曹司は政略妻を滾る本能で愛し貫く
 世莉の強さに触れたと同時に……、俺はどうしようもないほど彼女が欲しいと思ってしまったのだ。
 世莉と初めて目を合わせたあの瞬間から、心ごと全て攫われてしまったような気持ちでいたけれど、あれから比べ物にならないほど彼女に心酔している。
 父親の前での堂々とした態度、着物を裁断している真剣な様子、女中の仕事をたんたんとこなす姿、何より自分の仕事を誇りに思っていること――そのどれもが魅力的で、どんどん目が離せなくなっていた。
 けれど、どこまで彼女と距離を詰めていいのかは、いまだに分からない。
――消えてっ……。
 世莉に近づきたいと思うたびに、あの夜の彼女が浮かび上がってくる。
 俺はあのとき、じつはずっと起きていたけれど、彼女に殺されても仕方ないと思って目を閉じていた。
 でも、言葉とは裏腹に彼女が泣いている気がして、俺は我に返ったのだ。
 世莉のおばあ様……、梅さんとの約束を果たすためには、今ここで彼女を殺人犯にさせるわけにはいかないと気づいた。
 案の定、目を開けた直後の世莉はひどい顔をしていて、今にも壊れそうだった。
 そんな世莉を見て、月並みだけど、心のそこから〝彼女を守りたい〟という気持ちが沸き起こってきたのだ。
 俺は……、どんなことをしたら、彼女を幸せにできるのだろう。
 そんなことを、相良家の人間である俺が思うこと自体、彼女に恨まれてしまいそうだけれど。
「優弦さん……?」
「え……」
 ふと名前を呼ばれて、自分が今洗面室で立ちっぱなしだったことに気づいた。
 慌てて声がした方を振り返ると、そこには訝しげな表情をした世莉がいた。
「なかなかお食事の部屋に現れないので様子を見に来ました」
 いったいどれほどの時間、ここで考え事をしていたのだろう。鏡の前で相当難しい顔をしていたに違いない。
 俺は「すまない」と一言詫びて、すぐに手洗いを済ませた。
 世莉は不思議な顔をしていたものの、それ以上深掘りしてくることはなく、食事が用意されている部屋へと一緒に向かった。
 和食が並べられた長机に、向き合うように座る。
 天ぷらに寿司、香物がバランスよく用意された御膳は、今日もさすがの出来栄えだ。
 世莉は着物ではなくブラウスにパンツ姿で髪をひとつに縛っている。そんなラフな格好も新鮮で愛おしく思うが、口には出せない。
< 48 / 122 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop