叶わぬ恋だと分かっていても
 電話の先。
 微かになおちゃんの背後で、《《彼以外》》の人の息遣いと、衣擦(きぬず)れの音が聞こえた気がして――。

 ほんのちょっと胸の奥がチクンと痛む。

(きっとなおちゃんの奥様はいつもこんな気持ちだったんだ)

 なおちゃんと共に過ごした長い年月の中。彼と一緒にいる時に奥様から連絡が入ったことも、一度や二度じゃない。
 そのたびに、私はなおちゃんのそばで息を殺して気配を消していたのだけれど。

(案外そういう空気感って伝わるものなのね)

 そう気付いたら、私には痛みを感じる資格すらないんだって改めて自覚させられた。



「なおちゃん、さっき中断した話の続き、手短に伝えちゃうね。私、なおちゃんと別れたい。――ううん、別れるから」

『――おい、菜乃香(なのか)。そんなの電話じゃ』

「電話で十分だよ、なおちゃん。私、もう二度となおちゃんには会わないって決めたの……。だからお願い。なおちゃんも……、《《もうこれ以上罪を重ねない》》で? 奥さんを……悲しませないで?」

 奥さんと言う言葉を発した途端、私の隣でタツ兄がギュッと身体を固くしたのが分かった。

 そりゃそうだよね。
 不倫してる女なんて最低だもん。

 だけどそれを隠したままタツ兄の優しさに付け込むなんてこと、私には出来そうになかったの。

 きっと傷つけたよね。ごめんね、タツ兄。

 貴方が好きだと思いを寄せてくれている女は、妻子ある男性と付き合えるような、そんな人間なんです。

 それを踏まえた上で、もう一度私のことを見詰め直してもらえたら。

 そう思っているの。
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