叶わぬ恋だと分かっていても
Epilogue~叶わぬ恋だと分かっていても~
 ――私は、大切な人を自死で亡くしたことがあります。

 ――自殺って止められたんじゃないかと言う思いが常に心の奥底にあって……彼を死なせてしまったことを、今でもずっと自分のせいだと責め続けています。


 そういう想いが消せないのだと、たっくんには言えない気持ちをネットでこっそり吐き出すと、当たり障りのない柔らかな言葉に(まぎ)れ込むように、辛辣(しんらつ)なコメントが書き込まれることがあった。

 ――生きたくても病気や事故で生きられなかった人が沢山いるのに、自殺する人は自分勝手で最低な人間です。そんな人のために貴女が自分を責めたりする必要なんてありません。

 きっとそれは、うじうじと思い悩んでいた私への、その方からの心の底からの叱咤激励(やさしさ)なんだろう。

 でも――。

 母を病気で亡くし、最愛だった人を自殺で亡くした私が思うのは、どちらもきっと、本人の力ではどうしようもない〝死に至る病〟なんだということで。

 お母さんは(がん)に《《身体を》》(むしば)まれて生きることが出来なかった。
 そうしてなおちゃんもまた、(うつ)という(やま)いに《《心を》》ズタズタにされて生きることが出来なかったのだ。

 どちらが正しくてどちらが間違っている死だなんて、きっと誰にも決められない……。

 生きている私たちがそう言うことを軽々しく口にしてはいけないんじゃないかなって……そんな風に思う。


 実際救いを求めるように色々読み(ふけ)った、『大切な人を自死で亡くした人たちが思いを(つづ)っているサイト』では、私と同じように、亡くなった大切な人を周りから〝命を粗末にした悪者〟だと決めつけられた人たちからの、悲痛な思いが書き連ねられていた。

 良かれと思って遺された人を励ますために投げかけた言葉が、更に手負いの人を傷つける。

 死因が何だったとしても、遺された人間には〝大切な人を失ったと言う事実だけが全て〟なのだ。

 他者から亡くした大切な人のことを悪く言われて、平気な人なんていないと思う。
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