雪のとなりに、春。
勘のいい父さんは、俺があの日父さんの背中に惚れ込んだことに気付いたんだろうなと今ならわかる。


帰ってきてすぐに医学書を俺にくれたのは、多分そういうことだ。

父さんのような医者になりたいと思ったときのことはこんなにもはっきりと思い出せるのに、医者になるのをやめようと思ったときのことは不思議と思い出せない。


気付いたら、夢などどうでもよくなっていた。

適当に大学に入って、静かに、平和に過ごせたらそれでいい。

父さんと俺の間を今日先輩がくれたばかりのカーネーションとガーベラが彩って埋めてくれる。

花暖先輩も同じ気持ちだったようで、安心して。
優しい気持ちになって、口元が緩みそうになるのをコーヒーカップで隠した。


「ねえ、カキツバタ!! 偶然ね!!」


リビングから一際大きな声が聞こえて、2人でそちらを見た。
母さんが、フラワーアレンジメントを覗き混んで、それからオーバーに手を広げて感動している。

……あのテンションになれるのは厳しいかも知れない。


「お花屋さんの店員さんがオススメしてくれてっ!! 雪杜くんにぴったりだなあと!!」

「ナイスよカノちゃん!! 偶然ね、ナツさんが執刀する患者さんのお部屋にも飾ってあったのよ~!!」


間髪入れずに運命だのデスティニーだの盛り上がっている。
あまりの温度差に、俺たちがあそこに入るにはまだ時間が必要そうだった。


「あ、寝泊まりは今後病院でするから」

「え」


もうひと口、コーヒーを口に運ぼうとした手が止まる。
家で過ごすんだとばかり……と思ったところでハッとする。

近々手術があるんだ。
それまでに患者の情報収集、本人やそのご家族との信頼関係の構築。やることはたくさんある。

過密スケジュールの中、無理矢理ねじ込んだ帰国だったんだろう。


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