失恋王女と護衛騎士
閑話 護衛騎士の憂鬱
シャルロッテの居室の向かいには、護衛騎士の部屋が用意されている。主に夜間の護衛の為に使用される、いわば宿直室のようなものだ。
もちろん、王族の部屋ともなれば近衛隊から不寝番が立つ。護衛騎士が泊まり込むのは、有事の際に備えての慣習である。
扉一枚を隔て、すぐに飛び出せるように入ってすぐの広い部屋に寝台が二つ。傍には小さなクローゼットが設えられており、一通りの着替えが常に準備されている。その奥に扉が二つ。これは、水回りだ。
常に王族の傍にある護衛騎士にとって、身だしなみを整えることもまた重要な職務の一環である。そのため、常に湯が使えるようになっているのだ。
部屋の中央には、ダークブラウンの大きなテーブルが一つと、椅子が二脚。飾り気はないが、実用性には富んだ品である。そこに向かい合って座った茶髪の騎士と黒髪の騎士が、早朝のこの時間、そのテーブルの上に図面を広げていた。
「こんなもんかね」
紙の束をぺらぺらとめくっていたスヴェンが、それを机の上にぽんと放り投げる。それに眉をしかめて、ランベルトは几帳面にその端を揃えた。一番上の用紙に目を落とし、一つ一つ確認するかのように指でなぞる。
「ん……他国からもかなりの数が来るからな、気を抜くなよ。ここ、人数変更あり、と」
「最近、殿下は美しくなられたって評判だからなあ……顔を見に来るんじゃないの?」
「殿下は昔から美しい方だったろう」
軽薄な笑いを浮かべたスヴェンの言葉に、ランベルトがむっつりと返す。うわ、と心の中で呟いて、スヴェンは肩をすくめた。素でこういうことを言ってしまえるのが、ランベルトの恐ろしいところである。
――王女シャルロッテの十六歳の誕生日を祝う宴を翌日に控え、護衛騎士二人は警備の最終チェックの真っ最中であった。
「それ、殿下に言ったことあるか?」
「……まさか。不敬だろう」
配置図を広げて何事か考えていたランベルトが、その言葉に顔を上げた。短く答えると目を眇め、見ていた配置図の気になる点を指さす。
「そんなことより、ここだ。人数が少なくないか? どこかほかの場所を……」
「あ、そこなら応援を頼んである。リヒャルト殿下の方の近衛隊が暇そうだったからな」
「おまえ、またそういう……まあ、助かるが」
「リヒャルト殿下の時にはこっちから応援を出したんだ、別にいいだろう」
スヴェンの言葉に一つ頷くと、ランベルトは、はあ、とひとつ大きなため息をついて背もたれに身体を預けた。目を閉じて眉間を揉む姿は、とてもじゃないが二十四の若者には見えない。
苦労性と言うのは、こうも人を老けさせるものか。その責任の一端が自分にあることは忘却の彼方へと投げ捨てて、ひっそりと心の中で同情する。
――まあ、そればかりでもないんだろうが。
ここのところ、警備責任者という重圧だけでなく、ランベルトの中に引っかかっているものの正体。それを、長い付き合いであるスヴェンはなんとなく感じ取っている――つもりである。
「シャルロッテ殿下も、十六におなりか……」
ぽつり、とそう呟くと、相方である黒髪の護衛騎士がぴくりと肩を動かした。しかし、閉じられた目はそのままで、身体を起こすこともしない。強情なことだ、と胸中で独り言ちる。
この国において、十六歳――ことに、女性の十六歳と言うのは特別なものだ。準成人と認められ、社交界へデビューする権利を得るのは、男女ともに同じ。女性はそれに加えて婚約者探しを始める時期になる。
成人と認められる十八歳までには婚約者を決め、成人すると同時に婚姻を結ぶ、というのが最近の主流である。
シャルロッテもその例に漏れず、これから婚約者を選定することになるだろう。
――身分的にも、立場的にも、申し分ないはずなんだけどなぁ……。
もう少し、時間が欲しかった。スヴェンは相棒の黒髪を眺めながら、ひっそりとそんなことを考える。
少なくとも、シャルロッテの方は間違いなくランベルトを好いている。これは間違いないだろう。乳兄弟であり、幼い頃からシャルロッテの側に仕えているクラーラもスヴェンと同意見だ。
これで、ランベルトの方もそうであれば、後押しするのにやぶさかでない――どころか、大いにお節介を焼き、くっつける後押しをするつもりのスヴェンであるが、ことはそう簡単に運ばない。
根が真面目なのが良くないのだろうか。とにかくランベルトと言う男は、その辺りをまったく態度に出すことをしない。当の本人へは言うに及ばず、周囲の親しい人間にさえ、である。
それでも、ここ半年ほどの間に、その分厚い鎧が少しずつ脱げてきている、とスヴェンは感じていた。
それは、シャルロッテの十六歳を祝う宴の警備計画を立て始めたあたりから、だ。
おそらく、スヴェン以外の誰にも、それに気づくことはできないだろう。幼少期から共に過ごしてきた彼だからこそ、変化には敏感だ。
向ける視線、声の調子、それから表情――。
やはり、十六歳という年齢には、ランベルトでさえ思う所があるのだろう。
だったら、今の内からリヒャルトにでも話をしておけば、誕生日を迎えてすぐ婚約することだって可能な立場にいる、はずなのに。
何をそんなに気にしているのか、ランベルトは素直に気持ちを表すことをしない。
何かきっかけでもあれば、変わるのだろうか。スヴェンは、不器用な二人の事を思って憂鬱なため息を漏らした。
――そうして半年後。
護衛騎士の部屋には、三人の人影がある。椅子が二脚しかないため、スヴェンは寝台の上に腰を降ろしていた。
「いやあ、なかなか派手にやってるね」
にっこりと微笑むのは、彼らの主の兄であるリヒャルトだ。二人にとっては幼馴染であり、親友と呼んで差し支えない人物である。
「……やれ、と言ったのはそっちだろう」
ランベルトは、不機嫌そうにむっつりと答えた。その態度が照れ隠しであることは、赤く染まった耳が雄弁に物語っている。
昨夜行われたトロムリッツ公爵家の夜会で発したランベルトの言葉は、尾鰭背鰭がついて社交界という海の中を縦横無尽に泳ぎ回っているらしい。
想像以上に、姫と護衛騎士の恋物語は、社交界の華たちを喜ばせたようだ。そう聞かされて、スヴェンが笑い転げたのはつい先程のことである。
「いや……まあ、それくらいの心意気で、とは言ったけどさあ」
「言え、という意味ではなかったと?」
ランベルトに睨まれて、スヴェンは肩をすくめた。
「本当に言うとは思ってなかった」
「……お前な」
「まあ、効果はかなりあったな……あの馬鹿がみっともない姿を晒したせいもあるが」
リヒャルトがそう言うと、ランベルトは彼に向き直った。
「では……」
「いや、しばらくはこのままだ」
途端にランベルトがわかりやすく肩を落とす。
ああ、半年前の自分よ、心配など必要なかった。過去の自分にそう語りかけながら、スヴェンは吹き出しそうになる口元を押さえる。
それにしても、純情なことだ。ランベルトがああまで自分の気持ちを押さえていたのは、シャルロッテの気持ちがエーミールにあると思っていたから、などとは。いったいいつの話をしているのか、あの馬鹿男を笑えないではないか。
これを彼女にバラしてやったら、相当面白いことになりそうだ。まあ、やらないけれども。
――まあ、聞かせてやったらシャルロッテは喜ぶかもしれない。あの日の舞踏会でシャルロッテのダンスの相手を努めたのも、恋人役をすることも、全てランベルトの言い出したことなのだ、と。
これで一つ、心配事の種が減った。すっかり肩の荷を降ろした気分で、スヴェンはにんまりと笑った。
しかし、スヴェンはここで重大なことに気が付いていなかった。
傍から見ればバレバレすぎる二人の気持ちに、当人同士だけが気付いていない――という、至極初歩的な見落としに。
もちろん、王族の部屋ともなれば近衛隊から不寝番が立つ。護衛騎士が泊まり込むのは、有事の際に備えての慣習である。
扉一枚を隔て、すぐに飛び出せるように入ってすぐの広い部屋に寝台が二つ。傍には小さなクローゼットが設えられており、一通りの着替えが常に準備されている。その奥に扉が二つ。これは、水回りだ。
常に王族の傍にある護衛騎士にとって、身だしなみを整えることもまた重要な職務の一環である。そのため、常に湯が使えるようになっているのだ。
部屋の中央には、ダークブラウンの大きなテーブルが一つと、椅子が二脚。飾り気はないが、実用性には富んだ品である。そこに向かい合って座った茶髪の騎士と黒髪の騎士が、早朝のこの時間、そのテーブルの上に図面を広げていた。
「こんなもんかね」
紙の束をぺらぺらとめくっていたスヴェンが、それを机の上にぽんと放り投げる。それに眉をしかめて、ランベルトは几帳面にその端を揃えた。一番上の用紙に目を落とし、一つ一つ確認するかのように指でなぞる。
「ん……他国からもかなりの数が来るからな、気を抜くなよ。ここ、人数変更あり、と」
「最近、殿下は美しくなられたって評判だからなあ……顔を見に来るんじゃないの?」
「殿下は昔から美しい方だったろう」
軽薄な笑いを浮かべたスヴェンの言葉に、ランベルトがむっつりと返す。うわ、と心の中で呟いて、スヴェンは肩をすくめた。素でこういうことを言ってしまえるのが、ランベルトの恐ろしいところである。
――王女シャルロッテの十六歳の誕生日を祝う宴を翌日に控え、護衛騎士二人は警備の最終チェックの真っ最中であった。
「それ、殿下に言ったことあるか?」
「……まさか。不敬だろう」
配置図を広げて何事か考えていたランベルトが、その言葉に顔を上げた。短く答えると目を眇め、見ていた配置図の気になる点を指さす。
「そんなことより、ここだ。人数が少なくないか? どこかほかの場所を……」
「あ、そこなら応援を頼んである。リヒャルト殿下の方の近衛隊が暇そうだったからな」
「おまえ、またそういう……まあ、助かるが」
「リヒャルト殿下の時にはこっちから応援を出したんだ、別にいいだろう」
スヴェンの言葉に一つ頷くと、ランベルトは、はあ、とひとつ大きなため息をついて背もたれに身体を預けた。目を閉じて眉間を揉む姿は、とてもじゃないが二十四の若者には見えない。
苦労性と言うのは、こうも人を老けさせるものか。その責任の一端が自分にあることは忘却の彼方へと投げ捨てて、ひっそりと心の中で同情する。
――まあ、そればかりでもないんだろうが。
ここのところ、警備責任者という重圧だけでなく、ランベルトの中に引っかかっているものの正体。それを、長い付き合いであるスヴェンはなんとなく感じ取っている――つもりである。
「シャルロッテ殿下も、十六におなりか……」
ぽつり、とそう呟くと、相方である黒髪の護衛騎士がぴくりと肩を動かした。しかし、閉じられた目はそのままで、身体を起こすこともしない。強情なことだ、と胸中で独り言ちる。
この国において、十六歳――ことに、女性の十六歳と言うのは特別なものだ。準成人と認められ、社交界へデビューする権利を得るのは、男女ともに同じ。女性はそれに加えて婚約者探しを始める時期になる。
成人と認められる十八歳までには婚約者を決め、成人すると同時に婚姻を結ぶ、というのが最近の主流である。
シャルロッテもその例に漏れず、これから婚約者を選定することになるだろう。
――身分的にも、立場的にも、申し分ないはずなんだけどなぁ……。
もう少し、時間が欲しかった。スヴェンは相棒の黒髪を眺めながら、ひっそりとそんなことを考える。
少なくとも、シャルロッテの方は間違いなくランベルトを好いている。これは間違いないだろう。乳兄弟であり、幼い頃からシャルロッテの側に仕えているクラーラもスヴェンと同意見だ。
これで、ランベルトの方もそうであれば、後押しするのにやぶさかでない――どころか、大いにお節介を焼き、くっつける後押しをするつもりのスヴェンであるが、ことはそう簡単に運ばない。
根が真面目なのが良くないのだろうか。とにかくランベルトと言う男は、その辺りをまったく態度に出すことをしない。当の本人へは言うに及ばず、周囲の親しい人間にさえ、である。
それでも、ここ半年ほどの間に、その分厚い鎧が少しずつ脱げてきている、とスヴェンは感じていた。
それは、シャルロッテの十六歳を祝う宴の警備計画を立て始めたあたりから、だ。
おそらく、スヴェン以外の誰にも、それに気づくことはできないだろう。幼少期から共に過ごしてきた彼だからこそ、変化には敏感だ。
向ける視線、声の調子、それから表情――。
やはり、十六歳という年齢には、ランベルトでさえ思う所があるのだろう。
だったら、今の内からリヒャルトにでも話をしておけば、誕生日を迎えてすぐ婚約することだって可能な立場にいる、はずなのに。
何をそんなに気にしているのか、ランベルトは素直に気持ちを表すことをしない。
何かきっかけでもあれば、変わるのだろうか。スヴェンは、不器用な二人の事を思って憂鬱なため息を漏らした。
――そうして半年後。
護衛騎士の部屋には、三人の人影がある。椅子が二脚しかないため、スヴェンは寝台の上に腰を降ろしていた。
「いやあ、なかなか派手にやってるね」
にっこりと微笑むのは、彼らの主の兄であるリヒャルトだ。二人にとっては幼馴染であり、親友と呼んで差し支えない人物である。
「……やれ、と言ったのはそっちだろう」
ランベルトは、不機嫌そうにむっつりと答えた。その態度が照れ隠しであることは、赤く染まった耳が雄弁に物語っている。
昨夜行われたトロムリッツ公爵家の夜会で発したランベルトの言葉は、尾鰭背鰭がついて社交界という海の中を縦横無尽に泳ぎ回っているらしい。
想像以上に、姫と護衛騎士の恋物語は、社交界の華たちを喜ばせたようだ。そう聞かされて、スヴェンが笑い転げたのはつい先程のことである。
「いや……まあ、それくらいの心意気で、とは言ったけどさあ」
「言え、という意味ではなかったと?」
ランベルトに睨まれて、スヴェンは肩をすくめた。
「本当に言うとは思ってなかった」
「……お前な」
「まあ、効果はかなりあったな……あの馬鹿がみっともない姿を晒したせいもあるが」
リヒャルトがそう言うと、ランベルトは彼に向き直った。
「では……」
「いや、しばらくはこのままだ」
途端にランベルトがわかりやすく肩を落とす。
ああ、半年前の自分よ、心配など必要なかった。過去の自分にそう語りかけながら、スヴェンは吹き出しそうになる口元を押さえる。
それにしても、純情なことだ。ランベルトがああまで自分の気持ちを押さえていたのは、シャルロッテの気持ちがエーミールにあると思っていたから、などとは。いったいいつの話をしているのか、あの馬鹿男を笑えないではないか。
これを彼女にバラしてやったら、相当面白いことになりそうだ。まあ、やらないけれども。
――まあ、聞かせてやったらシャルロッテは喜ぶかもしれない。あの日の舞踏会でシャルロッテのダンスの相手を努めたのも、恋人役をすることも、全てランベルトの言い出したことなのだ、と。
これで一つ、心配事の種が減った。すっかり肩の荷を降ろした気分で、スヴェンはにんまりと笑った。
しかし、スヴェンはここで重大なことに気が付いていなかった。
傍から見ればバレバレすぎる二人の気持ちに、当人同士だけが気付いていない――という、至極初歩的な見落としに。