失恋王女と護衛騎士
「へえ、そうなの!」
汗をかいたので、としきりに距離を取りたがったランベルトだったが、シャルロッテに「気にならない」と言われ、今は少し遠慮がちに隣を歩いている。
その彼に、ユリアンとの話を聞かされて、シャルロッテは感嘆の声を上げた。
「父が家を継いで領地に戻るまででしたので、まあ十歳から十五歳くらいまでの間の短い期間でしたか。それこそ朝から晩まで……ほぼ住み込みのようなものでしたので、本当の兄弟の様に過ごしましたよ」
「それで、あんなに仲が良いのね」
「仲……まあ、それなりに」
何を思い出しているのか、ランベルトの視線が宙をさまよう。その口元が、わずかにへの字に曲がっているのを見てシャルロッテはくすりと笑った。
子どもの頃から知っている間柄だというのに、案外知らないことは多い。小さな事かもしれないが、彼の過去に触れられて心が浮き立つ。
それに、とシャルロッテは先程のランベルトの雄姿へと思いを馳せる。
剣を持った時に見せた、真摯な表情。普段見ることのない、戦闘中のぎらぎらした瞳。宙を舞う黒髪と、次々に繰り出される剣の技。どれをとっても、シャルロッテが初めて見る姿だ。
彼の実力については、十九の若さで近衛隊に入ったことからも疑う余地はないのだが、実際にその姿を見たことはなかった。危険である、というのが大きな理由だったが――そこまで考えて、シャルロッテは胸のつかえる思いにとらわれた。
十六歳、というのはそれほど特別な年齢なのだ、と今更のように思い出す。
まだ子どもだったシャルロッテには、望んでも叶えられなかったことが叶えられるようになる。そして、それとは逆に、望まないこともしなくてはならなくなる。
「シャルロッテ様?」
急に黙り込んだシャルロッテに、ランベルトが控えめに声をかける。それに、軽く首を振って応えると、シャルロッテは笑顔を浮かべて護衛騎士を見上げた。
「なんでもないの――さっきのランベルト、とても格好良かったな――って」
「かっ……、こ、光栄です……」
顔を赤くしたランベルトが、いつもとは違いもごもごとした口調で答える。微笑みを浮かべながらそれを見つめて、シャルロッテは胸の中で重いため息をついた。
「さぁ姫さま……今宵もお時間がやってまいりましたよ」
「クラーラ、顔、顔が怖い」
ここ最近、シャルロッテの夜の日課に新しく加わったもの――それが、この夜のマッサージタイムだ。どこから知識を仕入れてきたものか、とろりとした液体を塗りつけられ、体中を余すところなく揉み解される。
肌を美しくし、体型を整え、リラックス効果がある、というのがウリだというが、最後の一つに関しては眉唾物だと思っている。
――いや、これを施されると寝つきは確かに良くなるので効果はあるのかもしれないが、シャルロッテはどちらかと言うと施術により疲れるからではないかと思っていた。
「姫さま……戦いはもう始まっているのです」
「誰と戦ってるのよ、誰と」
それには答えず、クラーラはまたにんまりと形容するほかない笑みを浮かべる。シャルロッテは、思わず一歩後ろへと下がった。
最近のクラーラは、ことシャルロッテを美しく見せる、という一点において異常なほどの執着を見せている。正直言って、ちょっと怖いくらいだ。
何が彼女をそこまで駆り立てるのか――原因は恐らくアレだろう。シャルロッテは、心の中で極控えめに、原因であろう人物に恨み言を投げつける。
「さ、ぐずぐずおっしゃらず……」
手をわきわきとさせて迫ってくる侍女に、王女はとうとう観念した。
「お手柔らかに頼むわね……」
「ええ、お任せください」
自信たっぷりに胸を叩くクラーラに、シャルロッテは諦めの混じった表情を浮かべると、しおしおと浴室へと姿を消した。
暫くの後、その浴室から声が響く。
「あっ、ちょ、クラーラ、そこは痛い! 痛いからぁ!」
「今日は新しいメニューを覚えてまいりましたからね……! ここを、こう!」
「ギブ! クラーラ、ギブアップ!」
「まだ早い!」
――少しの切なさを覚えたシャルロッテの夜は、こうして全てを吹き飛ばす侍女の手により安寧が守られたのであった……。
社交シーズンも、半ばを超えている。薔薇の咲くころに始まり、今はその盛り。
ことに、本日の夜会の主催者であるアルニム伯爵は、薔薇の栽培・品種改良の大家である。したがって、会場の中を埋め尽くすのは大輪の、満開の薔薇の花々だ。
「相変わらず素晴らしいわね……」
シャルロッテは、会場内を見回して感嘆の声を上げた。赤やピンク、オレンジといった定番の色の中に、アクセントの様に白、青の薔薇が散りばめられ、室内だというのに薔薇園に迷い込んだかのような雰囲気である。
隣に立ったランベルトは、微笑んでシャルロッテの耳元へ唇を寄せた。
「シャルロッテ様の方がお美しいです」
「……な、なに……」
今日もぴしりと騎士礼装を着こなした護衛騎士に囁かれて、シャルロッテは真っ赤になった。不意打ちが過ぎる。一体どこでそういう手管を覚えてくるのだろうか。スヴェンか、スヴェンの入れ知恵か。
ぎくしゃくとランベルトの顔を見上げると、彼は悪戯が成功した少年のような笑みを浮かべていた。
「もう……」
ぷくりと頬を膨らませて、シャルロッテはランベルトのわき腹を小突いてやった。主の反応を見て遊ぶとは、全くこの護衛騎士、最近もう一人の護衛騎士から悪い影響を受けすぎではないだろうか。ははは、と笑うランベルトを横目で睨んで、シャルロッテは考えた。
いや、もしかしたらシャルロッテが知らないだけで、どこかではそんなことを言って誰かを喜ばせているのかもしれない。
ぷるぷると首を振って、シャルロッテはその考えを頭から追い出した。
今回の夜会の主催者、アルニム伯爵は王宮の薔薇園の管理者だ。その労をねぎらう意味も込めて、毎年アルニム伯爵家での夜会にはシャルロッテが参加している。
また、そのアルニム伯爵家の娘、ユリアーネとは親しくしていて、シャルロッテは毎年彼女に会うのを楽しみにしていた。
「お久しぶりですわ、殿下」
「ユリアーネ! 久しぶり、元気にしていた?」
「もちろん! 最近はあちこちの夜会で大いに楽しんでいるのよ?」
同じく十六歳を迎えたユリアーネは、早速社交界を満喫しているらしい。とはいえ、彼女が出るような夜会にはシャルロッテはほとんど出席できないこともあって、会場で顔を合わせることはなかった。
幼い頃は、何度か王都のアルニム伯爵邸に足を運んだり、薔薇園の様子を見に来る父に連れられてやってくるユリアーネと遊んだりしたが、近頃はほぼ会うことはできない。
普段は領地に住んでいるユリアーネとは、月に一度程度手紙をやり取りできれば良い方だ。それが、社交シーズンだけはこうして王都に出てきて会うことが叶う。
そのユリアーナは、シャルロッテの傍らに立つランベルトにちらりと目をやると、彼女の腕を引いた。
「へえ、こちらが噂の……?」
「も、もう……ユリアーネったら」
ユリアーナの耳打ちに、シャルロッテは真っ赤になった。いくら見せつけて歩いているからと言って、親しい友人から言われれば、恥ずかしさはまた別格である。
あわててランベルトを振り返るが、どうやら彼の耳には届いていなかったらしい。黙って微笑んでいる。
「ま、まぁ今のところは……」
「なによ、今のところはって……もう、社交界中の噂になってるのよ。密かに愛を育んだ王女と護衛騎士、とうとう婚約秒読みかって」
「ええっ……」
そこまで噂になっているのか、と驚きの声が出てしまう。それと同時に、エーミールの名前が出なかったことに少しだけ安堵した。どうやら、噂は無事に上書きされていっているようだ。
「ま、まだそんな話は……」
「なによ、歯切れが悪いわね。私にくらい教えてくれたっていいでしょう」
わざとらしく拗ねて見せるユリアーナに、シャルロッテは曖昧な笑みを浮かべた。
「本当に、まだまだよ……十六にもなったばかりだし……」
「まあ、それもそうかもね……あーあ、私も、良い方を早く見つけたいわ」
さほど追及するつもりは、ユリアーナにはなかったらしい。どちらかと言えば、最後が本音であり、言いたいことだったのだろう。
ほっと肩の力を抜いたシャルロッテの視界の端を、見覚えのあるプラチナブロンドがかすめた、ような気がした。
汗をかいたので、としきりに距離を取りたがったランベルトだったが、シャルロッテに「気にならない」と言われ、今は少し遠慮がちに隣を歩いている。
その彼に、ユリアンとの話を聞かされて、シャルロッテは感嘆の声を上げた。
「父が家を継いで領地に戻るまででしたので、まあ十歳から十五歳くらいまでの間の短い期間でしたか。それこそ朝から晩まで……ほぼ住み込みのようなものでしたので、本当の兄弟の様に過ごしましたよ」
「それで、あんなに仲が良いのね」
「仲……まあ、それなりに」
何を思い出しているのか、ランベルトの視線が宙をさまよう。その口元が、わずかにへの字に曲がっているのを見てシャルロッテはくすりと笑った。
子どもの頃から知っている間柄だというのに、案外知らないことは多い。小さな事かもしれないが、彼の過去に触れられて心が浮き立つ。
それに、とシャルロッテは先程のランベルトの雄姿へと思いを馳せる。
剣を持った時に見せた、真摯な表情。普段見ることのない、戦闘中のぎらぎらした瞳。宙を舞う黒髪と、次々に繰り出される剣の技。どれをとっても、シャルロッテが初めて見る姿だ。
彼の実力については、十九の若さで近衛隊に入ったことからも疑う余地はないのだが、実際にその姿を見たことはなかった。危険である、というのが大きな理由だったが――そこまで考えて、シャルロッテは胸のつかえる思いにとらわれた。
十六歳、というのはそれほど特別な年齢なのだ、と今更のように思い出す。
まだ子どもだったシャルロッテには、望んでも叶えられなかったことが叶えられるようになる。そして、それとは逆に、望まないこともしなくてはならなくなる。
「シャルロッテ様?」
急に黙り込んだシャルロッテに、ランベルトが控えめに声をかける。それに、軽く首を振って応えると、シャルロッテは笑顔を浮かべて護衛騎士を見上げた。
「なんでもないの――さっきのランベルト、とても格好良かったな――って」
「かっ……、こ、光栄です……」
顔を赤くしたランベルトが、いつもとは違いもごもごとした口調で答える。微笑みを浮かべながらそれを見つめて、シャルロッテは胸の中で重いため息をついた。
「さぁ姫さま……今宵もお時間がやってまいりましたよ」
「クラーラ、顔、顔が怖い」
ここ最近、シャルロッテの夜の日課に新しく加わったもの――それが、この夜のマッサージタイムだ。どこから知識を仕入れてきたものか、とろりとした液体を塗りつけられ、体中を余すところなく揉み解される。
肌を美しくし、体型を整え、リラックス効果がある、というのがウリだというが、最後の一つに関しては眉唾物だと思っている。
――いや、これを施されると寝つきは確かに良くなるので効果はあるのかもしれないが、シャルロッテはどちらかと言うと施術により疲れるからではないかと思っていた。
「姫さま……戦いはもう始まっているのです」
「誰と戦ってるのよ、誰と」
それには答えず、クラーラはまたにんまりと形容するほかない笑みを浮かべる。シャルロッテは、思わず一歩後ろへと下がった。
最近のクラーラは、ことシャルロッテを美しく見せる、という一点において異常なほどの執着を見せている。正直言って、ちょっと怖いくらいだ。
何が彼女をそこまで駆り立てるのか――原因は恐らくアレだろう。シャルロッテは、心の中で極控えめに、原因であろう人物に恨み言を投げつける。
「さ、ぐずぐずおっしゃらず……」
手をわきわきとさせて迫ってくる侍女に、王女はとうとう観念した。
「お手柔らかに頼むわね……」
「ええ、お任せください」
自信たっぷりに胸を叩くクラーラに、シャルロッテは諦めの混じった表情を浮かべると、しおしおと浴室へと姿を消した。
暫くの後、その浴室から声が響く。
「あっ、ちょ、クラーラ、そこは痛い! 痛いからぁ!」
「今日は新しいメニューを覚えてまいりましたからね……! ここを、こう!」
「ギブ! クラーラ、ギブアップ!」
「まだ早い!」
――少しの切なさを覚えたシャルロッテの夜は、こうして全てを吹き飛ばす侍女の手により安寧が守られたのであった……。
社交シーズンも、半ばを超えている。薔薇の咲くころに始まり、今はその盛り。
ことに、本日の夜会の主催者であるアルニム伯爵は、薔薇の栽培・品種改良の大家である。したがって、会場の中を埋め尽くすのは大輪の、満開の薔薇の花々だ。
「相変わらず素晴らしいわね……」
シャルロッテは、会場内を見回して感嘆の声を上げた。赤やピンク、オレンジといった定番の色の中に、アクセントの様に白、青の薔薇が散りばめられ、室内だというのに薔薇園に迷い込んだかのような雰囲気である。
隣に立ったランベルトは、微笑んでシャルロッテの耳元へ唇を寄せた。
「シャルロッテ様の方がお美しいです」
「……な、なに……」
今日もぴしりと騎士礼装を着こなした護衛騎士に囁かれて、シャルロッテは真っ赤になった。不意打ちが過ぎる。一体どこでそういう手管を覚えてくるのだろうか。スヴェンか、スヴェンの入れ知恵か。
ぎくしゃくとランベルトの顔を見上げると、彼は悪戯が成功した少年のような笑みを浮かべていた。
「もう……」
ぷくりと頬を膨らませて、シャルロッテはランベルトのわき腹を小突いてやった。主の反応を見て遊ぶとは、全くこの護衛騎士、最近もう一人の護衛騎士から悪い影響を受けすぎではないだろうか。ははは、と笑うランベルトを横目で睨んで、シャルロッテは考えた。
いや、もしかしたらシャルロッテが知らないだけで、どこかではそんなことを言って誰かを喜ばせているのかもしれない。
ぷるぷると首を振って、シャルロッテはその考えを頭から追い出した。
今回の夜会の主催者、アルニム伯爵は王宮の薔薇園の管理者だ。その労をねぎらう意味も込めて、毎年アルニム伯爵家での夜会にはシャルロッテが参加している。
また、そのアルニム伯爵家の娘、ユリアーネとは親しくしていて、シャルロッテは毎年彼女に会うのを楽しみにしていた。
「お久しぶりですわ、殿下」
「ユリアーネ! 久しぶり、元気にしていた?」
「もちろん! 最近はあちこちの夜会で大いに楽しんでいるのよ?」
同じく十六歳を迎えたユリアーネは、早速社交界を満喫しているらしい。とはいえ、彼女が出るような夜会にはシャルロッテはほとんど出席できないこともあって、会場で顔を合わせることはなかった。
幼い頃は、何度か王都のアルニム伯爵邸に足を運んだり、薔薇園の様子を見に来る父に連れられてやってくるユリアーネと遊んだりしたが、近頃はほぼ会うことはできない。
普段は領地に住んでいるユリアーネとは、月に一度程度手紙をやり取りできれば良い方だ。それが、社交シーズンだけはこうして王都に出てきて会うことが叶う。
そのユリアーナは、シャルロッテの傍らに立つランベルトにちらりと目をやると、彼女の腕を引いた。
「へえ、こちらが噂の……?」
「も、もう……ユリアーネったら」
ユリアーナの耳打ちに、シャルロッテは真っ赤になった。いくら見せつけて歩いているからと言って、親しい友人から言われれば、恥ずかしさはまた別格である。
あわててランベルトを振り返るが、どうやら彼の耳には届いていなかったらしい。黙って微笑んでいる。
「ま、まぁ今のところは……」
「なによ、今のところはって……もう、社交界中の噂になってるのよ。密かに愛を育んだ王女と護衛騎士、とうとう婚約秒読みかって」
「ええっ……」
そこまで噂になっているのか、と驚きの声が出てしまう。それと同時に、エーミールの名前が出なかったことに少しだけ安堵した。どうやら、噂は無事に上書きされていっているようだ。
「ま、まだそんな話は……」
「なによ、歯切れが悪いわね。私にくらい教えてくれたっていいでしょう」
わざとらしく拗ねて見せるユリアーナに、シャルロッテは曖昧な笑みを浮かべた。
「本当に、まだまだよ……十六にもなったばかりだし……」
「まあ、それもそうかもね……あーあ、私も、良い方を早く見つけたいわ」
さほど追及するつもりは、ユリアーナにはなかったらしい。どちらかと言えば、最後が本音であり、言いたいことだったのだろう。
ほっと肩の力を抜いたシャルロッテの視界の端を、見覚えのあるプラチナブロンドがかすめた、ような気がした。