失恋王女と護衛騎士
6 失恋王女、新たな噂の主になる
 花の季節をこれほど長く感じたことはない。いや、この国の四季の中で最も長いのが花の季節なのだから長いのは当たり前なのだが――。
 シャルロッテは一つため息をつくと、開放された窓から入るぬるい風に吹かれて頬に落ちた髪を払い、耳にかけた。読書をしていたのだが、顔を上げてしまえば内容など一切覚えていないことに気付く。
 ローテーブルに放り投げるようにしてそれを置き、シャルロッテは用意されていたカップを手に取った。口に含むと、すっかり冷めきってしまっているのがわかる。対面に置かれたもう一客も恐らく同じだろう。手を付けられることもなく置き去りにされたそれは、まだなみなみと残っているのに、飲むべき人物がそこにいない。
 一瞬渋い顔をした彼女に、背後から声がかかった。

「どうかなさいましたか」

 シャルロッテは振り返ると、その声の主をちらりと見た。黒髪に、紺の騎士服――背筋を伸ばし、まっすぐに立つ姿は、相変わらず惚れ惚れするほど格好いい。
 格好良いのだけれど。

「座ったら?」
「いえ、私は――」

 控えの間から、かたりと音がするのが聞こえる。そちらに一瞬目をやって、シャルロッテはもう一度ランベルトに視線を戻した。同じように扉に視線を送っていたランベルトも、シャルロッテに視線を戻す。
 二人の間に、沈黙が訪れた。

「これ、いつまで続けると思う?」
「あいつの考えていることは、たまにわかりませんね」

 肩をすくめたランベルトは、諦めたようにシャルロッテの正面に回ると、ソファに腰を降ろした。そうして、いささか落ち着きなく周囲を見渡す。

「……それで、何をしたらいいんでしょう?」
「……そこまでは」

 お互い顔を見合わせて、同時にため息を漏らす。あまりのタイミングの良さに、もう一度視線を合わせて、シャルロッテとランベルトは同時に吹き出した。



「殿下もランベルトも、ちょっとまだ距離がありません?」

 突然そう言われて、はて、とシャルロッテは隣の護衛騎士の顔を見上げた。彼女の若草色の瞳には、黒い髪の護衛騎士が蒼い瞳をこちらに向けているのが映る。ぱちぱち、と二、三度瞬きをして、二人は同時に、正面に立っているスヴェンのほうに向き直った。

「……距離?」
「そう、距離! この前の夜会でも思ったんだけどさぁ、どうも……まだ恋人っていうより王女と護衛騎士感拭えないんですよね」

 うんうん、と頷きながらスヴェンは顎に手を当てて一人で納得している。シャルロッテは、眉をひそめた。

「そう? この間ユリアーナが言っていたけど、婚約秒読みとまで言われているらしいわよ。充分ではない?」
「そんなの、まだ若い娘たちだけの噂話ですよ。既婚のご婦人たちの間では、まだまだそこまでは」

 得意げに語るスヴェンに、ランベルトの冷たい視線が突き刺さる。

「姿を見ないと思ったら、お前は……!」
「まぁまぁ、そう堅いコト言うなって。仕事の一環だろ」
「何より優先すべきは――」
「はいはい、わかってますって。でも、お前がお傍についてるんだ、滅多なことなどあるもんかい。それに、会場内の目の届く所にはちゃんといたからさ」

 護衛は、会場内にいるのが普通である。いや、そもそも護衛対象の近くにいるのが普通であるので――じっとりとした視線を向けるランベルトに、スヴェンはにやりと笑って見せた。

「最近は随分真面目なのね、って言われてるくらいなんだぞ」
「充分不真面目だ、この阿呆め」

 額に手を当てたランベルトと、にやにや笑ったままのスヴェンを交互に見て、シャルロッテは考えた。つまりスヴェンは、またしても女性陣から情報を集めてきてくれた、ということなのだろう。

「スヴェン……私の為に……?」
「いいえ姫さま、十割その男の趣味です」

 壁際から声が飛んでくる。とうとう黙っていられなくなったらしい。黙って控えていたクラーラが、感激しかけたシャルロッテの言葉をぴしゃりと遮った。

「クラーラちゃん、相変わらず厳しいね」
「本当のことを言っただけです」

 笑顔で肩をすくめるスヴェンに対し、クラーラはツンとした表情で返す。いつだったかもこんな会話をしたなあ、と過去に思いを馳せていたシャルロッテは、スヴェンの次の言葉で我に返った。

「だからね、殿下――ちょっと今日は趣向を変えて、この部屋で二人っきりで過ごしてみない?」

 ――というわけで、現在。
 このシャルロッテの居室には、王女と護衛騎士の二人だけが残されている訳である。クラーラは「とんでもない」と反対したが、スヴェンに何事か耳打ちされるとしぶしぶながら引き下がった。しかし、去り際に「控えの間におりますからね」とランベルトに強く念押ししたところを見ると、完全には納得していないのだろう。
 ランベルトから賄賂を貰った時とは大違いの対応だ。今度スヴェンにも教えておこう。クラーラを懐柔するにはお菓子が一番、と。
「アップルパイ、美味しかったなあ……」
「ヤンセン菓子店の、ですか?」
 ランベルトの反応に、シャルロッテは答えなかった。じっと顔を見ていると、気が付いたのだろう。耳を赤くして、言い直す。
「ヤンセン菓子店のか?」
「そう。また食べたいけど……来年までお預けね」
「また、購入してまい……ええと、買ってくるよ」
「あれは限定品なのよ。社交シーズン初めにしか売っていないの」
「そうなんですか?」
 ランベルトが目を丸くする。それを見て、シャルロッテが首を傾げた。わざわざ並んでまで入手するような代物なのだから、当然知っていて買ってきたものとばかり思っていた。
「知らなかったの? じゃあ、誰かに聞いて並んできたの?」
「それは、い――いや、その、同僚から」
「ふうん……それにしても、ぎこちないわね」
「仕方ないでしょう」
 ランベルトは両手を挙げた。どうやら、降参のポーズらしい。シャルロッテは肩をすくめた。
 それほど無理難題を言ったつもりはなかったのだが、彼にとってはそうではなかったようだ。
「普段は、たまーにだけど、出てるわよ、その口調」
「ええ……? 意識していなかったな……ああ、なるほど」
 どうやら、今のは自然に出たらしい。何が「なるほど」なのかはわからないが、ランベルトは一人で頷いている。
 こうして、くだけた口調で喋ってもらうように提案したのはシャルロッテだ。とりあえず二人で過ごして、と言われたところで、普段と変わらないことをしていたのでは「恋人らしさ」とやらは産まれないだろう――と、なんとか考えてみた結果である。
 次に二人で出る夜会もそろそろ近い。それまでに、もう少し恋人らしさを身につけて、噂をせん滅しなければ。
 ――いいや、それは単なる言い訳だ。
 シャルロッテは目を伏せた。
 他人に見せるためじゃない。自分が、もう少しこの「ふり」の間だけでももっと彼に近づきたいと思っている。
 それに付き合わされるランベルトには、申し訳ないと思いつつ、シャルロッテは再び口を開いた。
「さ、もう少し慣れるまで何か話しましょ」
「何かって……何をです? あー、何を話したらいいんだ?」
 どうもうまくいかないなあ、と首を傾げたランベルトに、シャルロッテは笑い声をあげた。
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