失恋王女と護衛騎士
「な、なにを考えてるの!」
半分魂の抜けかけていたシャルロッテは、はっと我に返ると今度はランベルトを引きずるようにしてバルコニーへ向かった。古式ゆかしい装飾の施されたグレッツナー公爵邸のバルコニーは、二人も入ればいっぱいいっぱいだ。自然と密着するような形になるが、動転したシャルロッテはそれどころではなかった。
「何って……言った通りの事だけど」
しれっと答えたランベルトに、一瞬自分の方がおかしいことを言っている気がしてくるシャルロッテである。
「だ、だって、あれじゃあ……」
ランベルトの発言を思い出して、徐々にこの密着具合が恥ずかしくなってくる。じり、と後ろに下がろうとして、半円状になったバルコニーの手すりにすぐにぶつかった。
ランベルトがそれに気づいて、シャルロッテを引き寄せる。身をかがめた彼が、内緒話をするように彼女の耳元へ口を寄せた。
「あれくらい言っておけば、みな先の噂話など忘れるだろう」
「そ、そうかもしれないけど」
顔を真っ赤にしたシャルロッテが、力なく返答する。その顔を覗きこんで、ランベルトはくすりと笑った。
「いざとなったら、俺が振られたことにすればいいだけだ、気にしないで」
「そ、そんなの……だめよ……」
小さく呟いたシャルロッテを、包み込むようにしてランベルトが抱きしめる。
「じゃあ……本当に、する?」
「え……?」
「……なんて、な」
おどけたようにそう言うと、ランベルトはパッとその腕からシャルロッテを開放した。その表情は、会場のきらびやかなシャンデリアの光に隠されて、うまく窺うことができない。しかし、その口調が僅かに真剣みを帯びていたような気がして――いや、そうシャルロッテが思いたかっただけかもしれない――彼女はぼんやりと、その横顔を見つめた。
――嫌なことは続くものである。バルコニーから会場に戻ったシャルロッテの目の前に、覚えのあるプラチナブロンドが姿を見せた。もはや、名前を思い出すことすら面倒くさい。できれば忘れてしまいたい。
しかし、これでも三公爵家の一員にして自分自身の従兄である。見つかってしまえば、回れ右して逃げるというわけにもいかず、シャルロッテは無理やりに作った笑顔を浮かべた。
「やあやあ、シャル――それに、ヘルトリング殿」
「……エーミールにいさま、ごきげんよう」
挨拶をするシャルロッテの傍で、ランベルトが一礼する。それに鷹揚に頷いて、エーミールはにこやかに話し始めた。
どうしたことか、今日は随分と装いが大人しい。そして、またしても一人でこの場に来たようだ。あれほど運命とわめいていたコルネリア嬢は一体どうしたのだろうか。
聞きたいことは山ほどあるが、藪をつついて蛇を出すような真似をするべきではない、とシャルロッテの勘が告げている。いや、むしろ経験則か。怒涛のような運命の女性語りを思い出して、シャルロッテはほんの少しうんざりした気分になった。
「ところで、ヘルトリング殿。小耳に挟んだのだが――そろそろ婚約も近いとか?」
「はは、どなたがそのような」
どきん、とシャルロッテの心臓が跳ねる。ちょっとばかり話が広がるのが早すぎやしないか。どこから聞いた情報なのだろう、とどきどきしながら続きを待つ。
ランベルトが冷静に答えると、エーミールは「いや、なに」と首を振りながら続けた。
「先程グレッツナー公爵夫妻にお会いしてね」
相変わらず動作が芝居がかっている。シャルロッテとランベルトの顔を交互に見て、眉をぴくりと動かすと、大げさに肩をすくめて見せた。
「ああ――わかっているよ、大丈夫さシャル。君の気持ちは、よくわかっている」
「いえ、あの、にいさま――」
絶対にわかっていない。それだけは間違いなくシャルロッテにも断言できる。しかし、程よく――いや、過度に自分に酔ったエーミールには、シャルロッテの抗議の声は届かない。面倒くさいことになったぞ、と隣を見れば、ランベルトも頬を引きつらせてエーミールの顔を見ていた。どうやら彼も、共通の体験を思い出してくれたらしい。
「傷心の君が、近くにいる異性に心惹かれるのはもっともなことだと思う――だがね」
「何か言いだしちゃったぞ」
「……言い出しちゃったわね」
胸に手を当て、すっかり自分の世界に入り込んだ従兄の前で、王女と護衛騎士は目を見合わせてため息をついた。
こちらが頑張って薄れさせている最中だというのに、ぶち壊してくるとはいい度胸である。シャルロッテは、だんだん彼に対して腹が立ってきた。
彼女とランベルトがこれだけ頑張っているのは、半分はエーミールの為でもあるのだ。誰もがはっきりそう言いはしないだろうが、エーミールが王女を捨てて運命の女性を取った、というのは一見美談に見える。しかし、実際問題として(全く事実と異なるにしろ)結婚するつもりの付き合いをしてきた女性、しかも王女を捨てた――となれば、やがて白い目を向けられるのはエーミールの方なのである。
シャルロッテとて、それがわかっているからこそ、この馬鹿げた――そして、ちょっと嬉しい――計画を実行しているというのに。まあ、勿論大部分は、自分が同情されるような立場と噂されるのが悔しいというのもあるのだけれど。
ぐっとこぶしを握り締めたシャルロッテに気付いて、ランベルトが僅かに目を見開いた。まずい、と顔に書いてある。しかし、シャルロッテは既に我慢の限界であった。
「――エーミール」
シャルロッテの、可憐な唇からこぼれたとは思えないほど低い声が、静かに響く。はっきりと怒りをにじませたその声は、得意げに何事か喋っていたエーミールでさえびくりと肩を震わせて、黙らせるだけの力が籠っていた。
「この際ですから、はっきり言わせていただきますけど」
シャルロッテの声に、エーミールは気圧されて半歩下がった。はっとそれに気が付いて、誤魔化すように薄い笑みを作る。しかし、それがはっきりとひきつっているのが、ランベルトの視界に映った。
「――シャルロッテ様!」
制止しようとしたランベルトの声は、今のシャルロッテの耳には届かない。周囲が、水を打ったようにしんと静まり返った。
「私が、エーミール、あなたを愛していたことなんて、まったくありませんから。――私がずっと好きだったのは……!」
そこで、隣に立っていたランベルトの腕をがっしとひっつかむ。わ、と驚いたような声を上げて、ランベルトはエーミールとシャルロッテの間に割り込むような形で躍り出た。
「この、ランベルトなんですからね――っ!」
「なっ、なっ……!」
顔を真っ赤にしたエーミールが、なにごとかわめいている。しかし、もはや言うべきことは言った、とばかりに身をひるがえしたシャルロッテと、それにずるずると引きずられてその場を後にしたランベルトには、その声は届いていない。
何故か周囲からは拍手が沸き起こる。割れた人垣の中を歩きながら、ランベルトがひっそりと頭を抱えていたが、シャルロッテの気分は爽快だった。
半分魂の抜けかけていたシャルロッテは、はっと我に返ると今度はランベルトを引きずるようにしてバルコニーへ向かった。古式ゆかしい装飾の施されたグレッツナー公爵邸のバルコニーは、二人も入ればいっぱいいっぱいだ。自然と密着するような形になるが、動転したシャルロッテはそれどころではなかった。
「何って……言った通りの事だけど」
しれっと答えたランベルトに、一瞬自分の方がおかしいことを言っている気がしてくるシャルロッテである。
「だ、だって、あれじゃあ……」
ランベルトの発言を思い出して、徐々にこの密着具合が恥ずかしくなってくる。じり、と後ろに下がろうとして、半円状になったバルコニーの手すりにすぐにぶつかった。
ランベルトがそれに気づいて、シャルロッテを引き寄せる。身をかがめた彼が、内緒話をするように彼女の耳元へ口を寄せた。
「あれくらい言っておけば、みな先の噂話など忘れるだろう」
「そ、そうかもしれないけど」
顔を真っ赤にしたシャルロッテが、力なく返答する。その顔を覗きこんで、ランベルトはくすりと笑った。
「いざとなったら、俺が振られたことにすればいいだけだ、気にしないで」
「そ、そんなの……だめよ……」
小さく呟いたシャルロッテを、包み込むようにしてランベルトが抱きしめる。
「じゃあ……本当に、する?」
「え……?」
「……なんて、な」
おどけたようにそう言うと、ランベルトはパッとその腕からシャルロッテを開放した。その表情は、会場のきらびやかなシャンデリアの光に隠されて、うまく窺うことができない。しかし、その口調が僅かに真剣みを帯びていたような気がして――いや、そうシャルロッテが思いたかっただけかもしれない――彼女はぼんやりと、その横顔を見つめた。
――嫌なことは続くものである。バルコニーから会場に戻ったシャルロッテの目の前に、覚えのあるプラチナブロンドが姿を見せた。もはや、名前を思い出すことすら面倒くさい。できれば忘れてしまいたい。
しかし、これでも三公爵家の一員にして自分自身の従兄である。見つかってしまえば、回れ右して逃げるというわけにもいかず、シャルロッテは無理やりに作った笑顔を浮かべた。
「やあやあ、シャル――それに、ヘルトリング殿」
「……エーミールにいさま、ごきげんよう」
挨拶をするシャルロッテの傍で、ランベルトが一礼する。それに鷹揚に頷いて、エーミールはにこやかに話し始めた。
どうしたことか、今日は随分と装いが大人しい。そして、またしても一人でこの場に来たようだ。あれほど運命とわめいていたコルネリア嬢は一体どうしたのだろうか。
聞きたいことは山ほどあるが、藪をつついて蛇を出すような真似をするべきではない、とシャルロッテの勘が告げている。いや、むしろ経験則か。怒涛のような運命の女性語りを思い出して、シャルロッテはほんの少しうんざりした気分になった。
「ところで、ヘルトリング殿。小耳に挟んだのだが――そろそろ婚約も近いとか?」
「はは、どなたがそのような」
どきん、とシャルロッテの心臓が跳ねる。ちょっとばかり話が広がるのが早すぎやしないか。どこから聞いた情報なのだろう、とどきどきしながら続きを待つ。
ランベルトが冷静に答えると、エーミールは「いや、なに」と首を振りながら続けた。
「先程グレッツナー公爵夫妻にお会いしてね」
相変わらず動作が芝居がかっている。シャルロッテとランベルトの顔を交互に見て、眉をぴくりと動かすと、大げさに肩をすくめて見せた。
「ああ――わかっているよ、大丈夫さシャル。君の気持ちは、よくわかっている」
「いえ、あの、にいさま――」
絶対にわかっていない。それだけは間違いなくシャルロッテにも断言できる。しかし、程よく――いや、過度に自分に酔ったエーミールには、シャルロッテの抗議の声は届かない。面倒くさいことになったぞ、と隣を見れば、ランベルトも頬を引きつらせてエーミールの顔を見ていた。どうやら彼も、共通の体験を思い出してくれたらしい。
「傷心の君が、近くにいる異性に心惹かれるのはもっともなことだと思う――だがね」
「何か言いだしちゃったぞ」
「……言い出しちゃったわね」
胸に手を当て、すっかり自分の世界に入り込んだ従兄の前で、王女と護衛騎士は目を見合わせてため息をついた。
こちらが頑張って薄れさせている最中だというのに、ぶち壊してくるとはいい度胸である。シャルロッテは、だんだん彼に対して腹が立ってきた。
彼女とランベルトがこれだけ頑張っているのは、半分はエーミールの為でもあるのだ。誰もがはっきりそう言いはしないだろうが、エーミールが王女を捨てて運命の女性を取った、というのは一見美談に見える。しかし、実際問題として(全く事実と異なるにしろ)結婚するつもりの付き合いをしてきた女性、しかも王女を捨てた――となれば、やがて白い目を向けられるのはエーミールの方なのである。
シャルロッテとて、それがわかっているからこそ、この馬鹿げた――そして、ちょっと嬉しい――計画を実行しているというのに。まあ、勿論大部分は、自分が同情されるような立場と噂されるのが悔しいというのもあるのだけれど。
ぐっとこぶしを握り締めたシャルロッテに気付いて、ランベルトが僅かに目を見開いた。まずい、と顔に書いてある。しかし、シャルロッテは既に我慢の限界であった。
「――エーミール」
シャルロッテの、可憐な唇からこぼれたとは思えないほど低い声が、静かに響く。はっきりと怒りをにじませたその声は、得意げに何事か喋っていたエーミールでさえびくりと肩を震わせて、黙らせるだけの力が籠っていた。
「この際ですから、はっきり言わせていただきますけど」
シャルロッテの声に、エーミールは気圧されて半歩下がった。はっとそれに気が付いて、誤魔化すように薄い笑みを作る。しかし、それがはっきりとひきつっているのが、ランベルトの視界に映った。
「――シャルロッテ様!」
制止しようとしたランベルトの声は、今のシャルロッテの耳には届かない。周囲が、水を打ったようにしんと静まり返った。
「私が、エーミール、あなたを愛していたことなんて、まったくありませんから。――私がずっと好きだったのは……!」
そこで、隣に立っていたランベルトの腕をがっしとひっつかむ。わ、と驚いたような声を上げて、ランベルトはエーミールとシャルロッテの間に割り込むような形で躍り出た。
「この、ランベルトなんですからね――っ!」
「なっ、なっ……!」
顔を真っ赤にしたエーミールが、なにごとかわめいている。しかし、もはや言うべきことは言った、とばかりに身をひるがえしたシャルロッテと、それにずるずると引きずられてその場を後にしたランベルトには、その声は届いていない。
何故か周囲からは拍手が沸き起こる。割れた人垣の中を歩きながら、ランベルトがひっそりと頭を抱えていたが、シャルロッテの気分は爽快だった。