失恋王女と護衛騎士
「……どうなさいました、殿下?」
「どうなさいました、じゃないわよ……」

 気疲れするばかりの朝食会を終え、自室へ戻る途中で、シャルロッテはスヴェンの澄まし顔を睨みつけた。
 柔和な印象を与えるちょっと垂れ目がちな深緑の瞳が、それを受けとめて悪戯っぽくきらめく。きっと、その辺の侍女に見せてやれば、きゃあきゃあ騒がれるに違いない。
 ――昔は、もうちょっとかわいげのある素直な性格をしていたと思うのだけど。
 すっかり軽薄さを増した幼馴染の姿に、シャルロッテはひっそりとため息をついた。彼の行動は、主としてシャルロッテも把握している。あっちのメイド、こっちの侍女、あちらの令嬢、どこぞの人妻――。艶めいた噂に事欠かないのがこの護衛騎士だ。いいのかそれで、と思うが、どうやら大人の世界というものはそういうものらしい。十六歳のシャルロッテには、まだ理解が及ばない世界だ。
 しかし、そんなスヴェンではあるが、シャルロッテに対してはそういう態度を見せない。それどころか、どうもこの護衛騎士は、王女を護衛対象ではなく、からかう対象にしているような気さえする。

「で、さっきの続きは――」
「それは、戻ってからにいたしましょうか」

 軽く片目をつぶって、スヴェンは口元に微笑を浮かべる。まったく、こういう仕草がさまになる男である。
 まあ、この後は予定があるわけではない。ゆっくり話を聞かせてもらうことにして、シャルロッテは歩調を速めた。
 いや、だって気になるし。
 片想いの相手と、噂になっている――と聞いたら、そりゃ気になるのが当たり前のはずだ。スヴェンのくすくす笑う声を背に、彼女は出来うる限り、最大の速度で自室へと向かったのだった。



「あ、れ?」

 居室の扉をくぐって、シャルロッテは間抜けな声を上げた。王女らしからぬ振る舞いだとは思うが許してほしい。
 白いシャツに、黒いズボン。首元に瞳の色と同じ青いタイを巻いて、腕にはやはり黒い上着をかけたランベルトが、少々げっそりとした表情で主の帰りを待っていた。その傍らに立っているのは、シャルロッテの忠実な侍女であるクラーラだ。

「おかえりなさいませ」

 今にも殺しそうな顔で傍らの護衛騎士を睨みつけていた侍女は、王女の姿を認めるとさっと表情を改める。にっこりと微笑むクラーラに、うすら寒さを感じながら、シャルロッテは「もどりました……」と覇気のない返事をした。
 いや、だって怖い。長く側にいてくれてるけれど、こんなクラーラは初めてだ。
 少々疲れた表情をしたランベルトも、また同様に挨拶をする。そちらに向かって軽く頷いて手を上げると、シャルロッテはもっともな疑問を口にした。

「ランベルト、あなた今日は非番ではないの?」

 今まで、非番の日にランベルトがここへ顔を出したことなど一度もない。そういえば、近衛隊服以外の――礼装はまあ除くとして――服装をしている彼がここにいるなんてことも初めてだ。
 改めてこうして見ると、ランベルトは非常に男前である。シャルロッテの主観であるから、他の人がどう思うかは知らないが。
 黒い髪は癖がなく、こざっぱりと短く切りそろえられている。意志の強さを示すように、眉はきりりとして力強く、蒼い瞳は少しつり目がちだ。すっと通った鼻筋に、引き結ばれた唇は少し薄め。一見すると、硬くて無表情な印象を与えがちだが、意外にも表情豊かで悪戯好きの面もあることを、シャルロッテは知っている。
 その、いつもは力強い眉が、今日は少し下がり気味だ。
 そうだ、とシャルロッテの心臓が跳ねる。この人と噂になっているのか、そう思うとなにやら一言では言い表せない、ぽわぽわした感覚ときゅっと胸を締め付けられるような気持が同時にせりあがってくる。

「あー、殿下、いいかな……見惚れてるとこ悪いんだけど」

 ぼうっと見つめていると、スヴェンのからかうような声が耳を叩いた。うん、確かに見惚れてはいましたが、それは言わないで欲しかった。恨みがましいシャルロッテの視線を、スヴェンは笑って受け流す。

「い、いえ……近衛隊服以外の姿を見るのは、珍しかったので」
「ああ……このような格好で、御無礼を」

 今気が付いた、というように、ランベルトが慌てて上着に袖を通そうとする。どうやら、今日はだいぶお疲れ気味のようだ。
 それを押しとどめて、シャルロッテはソファに座ると、一瞬考えてからとりあえず全員座るよう促した。
 じゃあ、と迷うそぶりもなく早速腰を降ろした同僚に、ランベルトが非難の眼差しを向ける。しかし、気の利く侍女クラーラもまた、お茶の支度を他の侍女に頼むと、さっさとスヴェンの正面に腰を降ろした。

「ほら、ランベルトも」
「ぐ……失礼いたします」

 同僚と、王女の侍女二人のさっくりとした行動に、ランベルトはしぶしぶ腰を降ろした。それを見て、シャルロッテは息をつく。
 王女の居室だけあって、ソファは柔らかく、身体が沈み込みそうなほどだ。緊張感漂う食事を済ませてきたばかりのシャルロッテは、少し行儀悪くその柔らかさに身を任せた。
 かちゃかちゃと、戻ってきた侍女がお茶の支度をする音が、静かな室内に響く。ありがとう、と声をかけると、いつもの事ながら気の利く侍女は「失礼いたします」という言葉と共に控えの間に引っ込んだ。

「うーん、さすが王女殿下の侍女。教育が行き届いているなあ」
「そりゃあもう、誠心誠意姫さまにお仕えしているものばかりですから」

 ツンと尖った声で、クラーラがスヴェンの言葉に答えた。以前から、この二人はちょっと仲がよろしくない。どちらかといえば、クラーラが一方的にスヴェンに突っかかっているというのが正しいか。それでも、この二人、なんやかんやで息が合っている。不思議なものだ。
 とりあえず、このまま放っておくと本題に入る前に日が暮れてしまいそうだ。たぶん……例の噂の話をするために集まった、のだと思うけど。
 ――その当の本人が雁首揃えて、というのも気恥しい話だ。
 白地に薄紅色の薔薇が描かれた、繊細なつくりのティーカップを手に取ると、シャルロッテは湯気の立った熱い紅茶を、ふうふうと吹いて少し冷ました。ちょっと子どもっぽい仕草だと気が付いて恥ずかしくなったシャルロッテは、そろりとランベルトの顔を盗み見る。
 眉を寄せ、唇を引き結んだランベルトは、ちょっと怒っているようにも見える。ああ、そんな顔もかっこいい。シャルロッテがうっとりと――しかし、こっそりと見惚れていると、スヴェンの咳払いが聞こえた。

「あーじゃまあ、いいかな」
「どこまで話した?」
「まだまだぜーんぶこれから」

 じとり、とランベルトが同僚騎士を睨みつける。それを、どこ吹く風と受け流しながら、スヴェンはゆっくりと口を開いた。
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