失恋王女と護衛騎士
 私的な空間ではあるが、時に王女として客人を迎えることもあるシャルロッテの居室は、全体的に薄紅色でまとめられている。これは、シャルロッテの趣味――というわけではなく、いわゆる「対外的イメージ」というやつだ。
 まあ、それもそうだろう。赤交じりの金髪が美しい、繊細な印象を与えるシャルロッテの居室が、例えば青と黒で統一されていたりしたのではあまりにも王女っぽくない。
 というわけで、四人が座ったソファもまた、可愛らしいもので。アイボリーを基調にした座面に、ローズピンクの小さなクッションが並べられている。
 そこにどっかりと腰を降ろし、ローズピンクの可愛らしいクッションを手慰みにもてあそぶスヴェンの姿は、どこか憎めない面白さがある。

「事の発端は、まああのエーミール様のアレなんですが」

 敬称を付けながらも、まったく敬っていない口調でスヴェンが話し始めた。
 アレというのはアレだろう。エーミールが真実の愛を見つけたことで、シャルロッテの想いを知りながらも、出会った運命の女性を取った、とかいう与太話の事だ。
 全く事実とは異なるのだが、エーミール自身はそう信じているらしい。幸せなことである。お陰で「失恋王女」などという不名誉な称号を手に入れてしまったシャルロッテにとっては、災難以外の何物でもないのだが。

「まあ、当のご本人が広めて歩いているわけですが……。いやはや、エーミール様は劇作家の才能でもおありなんですかね。かなり話を盛っちゃってまして」

 なるほど。シャルロッテはげんなりした。チリチリするような視線の数々と、囁かれた言葉の一端を思い出す。

「事情はお聞きしましたけど……まったく許しがたい愚行です。姫さまに対する不敬罪で極刑にいたしましょう」

 シャルロッテ過激派のクラーラは、握りこぶしを作ってそう宣言した。さすがにそれはやりすぎである。絶対王政の時代だって、そこまで横暴な君主は……いなかった、はずだ。
 まぁまぁ、とシャルロッテが宥めると、クラーラは「姫さまは、本当におやさしい」と感涙にむせんでいる。彼女が献身的で忠実な侍女であることは知っていたが、そこまでか、と少し引いたのは許してほしい。

「ま、完全に妄想の域ですね」

 そう言って、スヴェンがちらりと隣に座るランベルトを見た。黒髪の護衛騎士は、その視線に気が付いていないのか、完全にむっつりとして黙り込んでいる。迫力があるだけに、ちょっとこわい。
 そんなランベルトの様子に、ちょっと呆れたようなため息をつくと、スヴェンは目の前の紅茶に口をつけた。あち、と舌を出す姿をクラーラが白い目で見ている。

「まぁ、そんな妄想交じりの痛い話ではありますが、今度は噂好きの貴族たちの間で面白いように独り歩きしはじめまして」
「独り歩き……?」

 こくり、と頷いてスヴェンは続けた。

「まあ、殿下にお聞かせするのもどうか、という内容ばかりなのですが……。まあ、それでもやはり、社交界の噂話というのは女性陣を介して広まるものが多いので、概ね殿下に同情的な意見が多いのは確認できています」

 思わず、シャルロッテはスヴェンの顔をまじまじと見た。この男、あっちこっちで侍女やらどこぞの令嬢やら、挙句どこかの人妻やらに囲まれて、鼻の下を伸ばしているだけかと思っていたが、どうやら違っていたらしい。

「まあ、スヴェン……わたしの為に……」
「いいえ姫さま、騙されてはいけません。半分以上がただのこの男の趣味です」

 感激しかけたシャルロッテの言葉を、クラーラがぴしゃりと遮った。相変わらず、スヴェンに厳しい。いや、彼女の場合、ランベルトにもそこそこ厳しいのだが。
 軽く肩をすくめて、スヴェンはにっこりと笑った。毛を逆立てた猫のようなクラーラに対し、余裕のある態度である。そういうところがますますクラーラをいら立たせていることに、気が付かないタイプじゃないと思うのだけど。
 シャルロッテは少しだけ首を傾げて、二人のじゃれあいを眺めていた。

「――それで、どこまで話しましたっけ」

 ひとしきりクラーラをからかって満足したらしい。満面に笑顔を浮かべたスヴェンと、唇を尖らせたクラーラの顔を見比べて、シャルロッテは苦笑した。

「社交界では、女性陣は殿下に同情的、というところまでだ」

 黙って話を聞いていたランベルトが、むっつりと言う。ああ、と頷いたスヴェンが口を開くよりも早く、シャルロッテがぽつりと漏らした。

「同情的、というのは面白くないわね」
「お、さすが殿下」

 線の細い、儚げな容姿をしているシャルロッテは、割と誤解されがちなのだが、実を言えば割と気の強い方である。もっとも、それを前面に出すような愚行は犯さないので、王女の気の強さを知っているものは限られてはいるが。
 その限られた面々であるところのスヴェンは、シャルロッテの言葉ににんまりと笑った。

「そう、面白くないでしょ?」

 そうこなくちゃ、とばかりにスヴェンが煽る。その横で、ランベルトはますます渋い顔つきになった。
 しかし、シャルロッテはすでに我慢の限界である。エーミールに対しても、面白おかしく噂する貴族たちに対しても。
 誰かちょっとくらい疑問に思わないのか、と問い詰めて回りたいくらいだ。

「そこで、登場するのがランベルトくんです」
「ランベルト?」

 んん、とシャルロッテが疑問の声を上げる。それに対して大きく頷くと、スヴェンは良い笑顔で渋面のランベルトの背中を叩いた。

「あの舞踏会で、殿下のダンスのお相手をこのランベルトが務めたじゃないですか」
「そうね、ありがとうランベルト。あれは助かったわ」
「あ、いえ……」

 どこか気まずげに、ランベルトの視線が宙をさまよう。

「あれがまあ、噂になってまして」
「噂……って、あ、あれ?」

 ええ、と重々しくスヴェンが頷いた。シャルロッテは、それを見て悲鳴のような声を上げる。

「そ、そんな……! 一回ダンスを踊ったくらいで?」

 いったいどういう経緯であんな噂が、と思っていたシャルロッテは、あまりにも雑な理由に驚いた。そんなことで噂されていては、社交界はお付き合いしている人たちで溢れてしまうではないか。

「どうにもこうにも、この上なく息の合った素晴らしい踊りっぷりでしたからね。それに、殿下は親族以外の方と踊られたことは……うん、外交以外ではゼロですし」

 うんうん、とスヴェンが満足げに言うと、珍しくクラーラもそれに同意した。

「私は会場の端から拝見していただけですが、素晴らしいダンスでした。さすがは姫さま……」

 こんな場面でもブレないシャルロッテ至上主義。クラーラ、恐るべき侍女の鑑である。

「そんなわけで、シャルロッテ王女殿下と護衛騎士ランベルトは、密かに思い合う恋人同士だったのでは……という噂が貴婦人たちの間で飛び交い始めまして」

 そんな馬鹿な。シャルロッテは、驚きの余り声も出せない。そんな彼女を置き去りに、スヴェンは滔々と話を続けた。

「エーミール様の件は、公式に否定しても後々しこりになるでしょう。それならば、いっそこの新しい噂で上書きして、シャルロッテ王女がそもそもエーミール様とお付き合いしていなかったという事実の補強をしようかと」
「つまり?」
「つまり――このランベルトくんが、今日から殿下の恋人役を務めます。さあ、同情なんて吹っ飛ばせ! ついでに不名誉な称号も吹っ飛ばせ! あっちなみにこの作戦、リヒャルト殿下の発案なので」
「へえっ?」

 沈黙の妖精は、今度はたっぷりダンスを踊るくらいの時間そこにいたらしい。
 間抜けな返答をしたシャルロッテの顔に、三人の視線が突き刺さる。深緑、水色、そして最後に蒼い瞳と順繰りに目を合わせて、シャルロッテは「えっ?」と再び間抜けな声を上げた。
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