失恋王女と護衛騎士
3 失恋王女、めちゃくちゃな作戦を実行させられる
「これ、本当に上手くいくの……?」
「……リヒャルト殿下は、自信満々でおられましたが」
なるべく目立つところを、という指示に従って、二人はわざわざ王宮正面の薔薇園まで出てきていた。
美しく整えられた薔薇園では、散策するための歩道が整備され、あちこちに休憩するための四阿がたてられている。瀟洒な造りの四阿は、薔薇のつるが這わされて、なかなかに雰囲気が良い。開花の時期を迎えると、入り口で衛兵に頼んでおけば、専属のメイドがついてお茶や軽食をサービスしてくれたりもする。隠れた社交スポットとしても人気だ。夜間にはライトアップされ、幻想的な雰囲気が楽しめるのだという。
できればその時に来たかった。
そんなことを考えながら、隣に並んで歩くランベルトにむかって、シャルロッテはもう何度目になるか分からない問いを投げかけた。だが、そのたびに返ってくる返答は同じである。
そわそわ。どうにもこうにも落ち着かない。
もう一度、ちらりと隣を見る。
通常であれば、護衛騎士は主の後ろをついてくるものだ。しかし、今日のランベルトはシャルロッテの隣を歩いている。どうせなら腕くらい組みたいところだが、それはスヴェンから止められていた。
いわく、初々しい雰囲気が何とか。
ダンスであれだけ密着しておいて今更、と思わなくもないが、女性関係においては百戦錬磨の彼の言うことだ。初心者二人は、大人しく言うことを聞くしかなかった。
本格的な開花の時期には、もう半月ほど早いためだろうか。人影はまばらで、目立つという当初の目的からはちょっとズレている気がする。しかし、シャルロッテは密かに満足していた。
今日の彼女は、ウエーブのついた髪を緩く結い、青い石のついた大きなバレッタで止めている。ドレスもそれに合わせて、水色を選んだ。少々やりすぎのきらいはあるが、いわゆる「彼色」というやつである。ごく――いや、ごくごく控えめな。
首元には、生成りのリボンが巻かれ、ボディスには同色のボタンが縦に七つ並んでいる。それだけであれば、十六という年齢にしては子どもっぽいデザインになってしまうが、デコルテ部分がレースになっていて、少し肌が透けて見えることで大人びた印象を与えていた。裾の長さは、昨今の流行に合わせて少し短めで、ふくらはぎの中ほどよりちょっと下くらい。これにショートブーツを合わせるのが、今時というやつらしい。
シャルロッテ渾身の装いであったが、ランベルトは特にそれには言及しなかった。多分、何を着ていても彼は気にしないだろう。それはわかっていたが、ちょっぴり残念なシャルロッテであった。
「……どれくらい、ここにいたらいいのかしらね」
「それは……聞いていませんでしたね」
ぽつりぽつりと囁き合う姿は、まあそれなりに初々しい恋人同士の様に見えて、いるのではないだろうか。客観的に見ることができないから、どうだかわからないけど。
「これ、ほんっとに上手くいくの?」
「……あまり、自信はありませんね」
とうとう観念したランベルトが、情けない顔をしてぽつりと漏らした。それと同時に、くしゅん、とシャルロッテが小さなくしゃみをする。
花咲く時期とはいえ、外はまだ肌寒い。ショールを羽織ってこなかったシャルロッテに、黒髪の騎士は一瞬迷って自らの上着を差し出した。
「お風邪を召されてはいけませんから……」
「あ、ありがと……」
きゅんときた。
いつもなら、さくっと「部屋に戻りましょう」と言われるところだというのに。
よく見れば、ランベルトの耳がほんのりと赤くなっている。表情には出ていないが、相当に照れ臭いのだろう。ああ、なんだこれ、胸が苦しくなってきた。
肩から上着をそっとかけられて、シャルロッテは目も眩むような幸福感を味わっている。既に、周囲の視線がどうとか――そういうことは、頭からすっぽり抜けてしまっていた。
だって、この上着、とてつもなくいい匂いがするのだ。
これまで長く一緒にいたのに、ランベルトからこんないい匂いがするなんて、知らなかった。思わず、すん、と鼻を鳴らすと、彼は慌てて上着を取り返そうとする。
「やめろ、匂いを嗅ぐな!」
「えっ、ちょ……だめっ!」
伸びてきた手を避け、上着をぎゅっと握りしめて見上げると、顔を真っ赤に染めたランベルトと目が合った。あ、と思った瞬間、彼が顔ごと目を逸らす。
「……ごめんなさい、その……嗅いだり、しないから……もう少し、借りていてもいい?」
おずおずとシャルロッテがお伺いを立てる。すると、黒髪の護衛騎士は、顔を逸らしたまま僅かに首を縦に振った。
シャルロッテはその場に膝から崩れ落ちそうになった。私の護衛騎士がこんなにかわいいわけが……ある。
たまらなくなって、シャルロッテは着せかけられた上着をぎゅっとかき合わせた。まるで、抱きしめられているみたいだ。そう考えてしまい、気恥ずかしさと面映ゆさに思わず俯く彼女の頬に、ほつれ毛が落ちる。
すると、筋張った大きな手が、そっと――まるで割れ物にでも触るような慎重な手つきで頬にかかった髪に触れ、優しくそれを払いのけた。
「わふぇっ?」
驚きの余り、変な声が漏れた。王女らしからぬ失態である。目を丸くして恐る恐る見上げると、ランベルトはびっくりしたような顔で自分の手を見つめていた。
「あ……失礼、しました……」
「え、あ……べ、べつに……」
ぎくしゃくと、そう会話を交わす。それから二人は、油を差していないからくり人形のようにぎこちなく、無言のまま薔薇園を練り歩いた。
「いやあ、ずいぶん遅かったですね、殿下」
「え、あ……うん……」
夕刻の交代の時間を待たず、シャルロッテの居室にはスヴェンの姿があった。興味津々といった調子で二人を見比べて、ううん、と顎に手を当てる。
「及第点、といったところですかね。なかなかやるなあ、ランベルト」
「……何が」
どっかりと、護衛騎士らしからぬ態度でソファにそっくり返っているスヴェンに、ランベルトの冷たい視線が突き刺さる。わりといつものことなので、シャルロッテは特に気にしていない。
ランベルトにも、立っているのは疲れるでしょうと何度か勧めたことがあったが、「職務ですので」とにべもなく断られたことを思い出す。
「これこれ」
勢いよく立ち上がったスヴェンは、ランベルトの目の前に立つと、自分の上着の袖をつん、と引っ張る。あ、とシャルロッテは自分の身体を見下ろした。
ランベルトの紺の騎士隊服。その上着は、未だにシャルロッテの肩にかけられている。
ここまで、この格好で帰ってきてしまったのか。道理で、行き合った文官たちがちらちらとこちらを見ていたはずだ。
あわわ、と顔を赤くしたシャルロッテとは対照的に、ランベルトはむすっとした顔のまま短くそれに答えた。
「殿下に、風邪などひかせるわけにいかないだろう」
「はいはい」
にかっと白い歯を見せたスヴェンが、ランベルトの肩をぽんぽんと軽く叩く。うるさげにそれを振り払って、黒髪の護衛騎士はなにかを誤魔化すようにぷいと顔をそむけた。
「……リヒャルト殿下は、自信満々でおられましたが」
なるべく目立つところを、という指示に従って、二人はわざわざ王宮正面の薔薇園まで出てきていた。
美しく整えられた薔薇園では、散策するための歩道が整備され、あちこちに休憩するための四阿がたてられている。瀟洒な造りの四阿は、薔薇のつるが這わされて、なかなかに雰囲気が良い。開花の時期を迎えると、入り口で衛兵に頼んでおけば、専属のメイドがついてお茶や軽食をサービスしてくれたりもする。隠れた社交スポットとしても人気だ。夜間にはライトアップされ、幻想的な雰囲気が楽しめるのだという。
できればその時に来たかった。
そんなことを考えながら、隣に並んで歩くランベルトにむかって、シャルロッテはもう何度目になるか分からない問いを投げかけた。だが、そのたびに返ってくる返答は同じである。
そわそわ。どうにもこうにも落ち着かない。
もう一度、ちらりと隣を見る。
通常であれば、護衛騎士は主の後ろをついてくるものだ。しかし、今日のランベルトはシャルロッテの隣を歩いている。どうせなら腕くらい組みたいところだが、それはスヴェンから止められていた。
いわく、初々しい雰囲気が何とか。
ダンスであれだけ密着しておいて今更、と思わなくもないが、女性関係においては百戦錬磨の彼の言うことだ。初心者二人は、大人しく言うことを聞くしかなかった。
本格的な開花の時期には、もう半月ほど早いためだろうか。人影はまばらで、目立つという当初の目的からはちょっとズレている気がする。しかし、シャルロッテは密かに満足していた。
今日の彼女は、ウエーブのついた髪を緩く結い、青い石のついた大きなバレッタで止めている。ドレスもそれに合わせて、水色を選んだ。少々やりすぎのきらいはあるが、いわゆる「彼色」というやつである。ごく――いや、ごくごく控えめな。
首元には、生成りのリボンが巻かれ、ボディスには同色のボタンが縦に七つ並んでいる。それだけであれば、十六という年齢にしては子どもっぽいデザインになってしまうが、デコルテ部分がレースになっていて、少し肌が透けて見えることで大人びた印象を与えていた。裾の長さは、昨今の流行に合わせて少し短めで、ふくらはぎの中ほどよりちょっと下くらい。これにショートブーツを合わせるのが、今時というやつらしい。
シャルロッテ渾身の装いであったが、ランベルトは特にそれには言及しなかった。多分、何を着ていても彼は気にしないだろう。それはわかっていたが、ちょっぴり残念なシャルロッテであった。
「……どれくらい、ここにいたらいいのかしらね」
「それは……聞いていませんでしたね」
ぽつりぽつりと囁き合う姿は、まあそれなりに初々しい恋人同士の様に見えて、いるのではないだろうか。客観的に見ることができないから、どうだかわからないけど。
「これ、ほんっとに上手くいくの?」
「……あまり、自信はありませんね」
とうとう観念したランベルトが、情けない顔をしてぽつりと漏らした。それと同時に、くしゅん、とシャルロッテが小さなくしゃみをする。
花咲く時期とはいえ、外はまだ肌寒い。ショールを羽織ってこなかったシャルロッテに、黒髪の騎士は一瞬迷って自らの上着を差し出した。
「お風邪を召されてはいけませんから……」
「あ、ありがと……」
きゅんときた。
いつもなら、さくっと「部屋に戻りましょう」と言われるところだというのに。
よく見れば、ランベルトの耳がほんのりと赤くなっている。表情には出ていないが、相当に照れ臭いのだろう。ああ、なんだこれ、胸が苦しくなってきた。
肩から上着をそっとかけられて、シャルロッテは目も眩むような幸福感を味わっている。既に、周囲の視線がどうとか――そういうことは、頭からすっぽり抜けてしまっていた。
だって、この上着、とてつもなくいい匂いがするのだ。
これまで長く一緒にいたのに、ランベルトからこんないい匂いがするなんて、知らなかった。思わず、すん、と鼻を鳴らすと、彼は慌てて上着を取り返そうとする。
「やめろ、匂いを嗅ぐな!」
「えっ、ちょ……だめっ!」
伸びてきた手を避け、上着をぎゅっと握りしめて見上げると、顔を真っ赤に染めたランベルトと目が合った。あ、と思った瞬間、彼が顔ごと目を逸らす。
「……ごめんなさい、その……嗅いだり、しないから……もう少し、借りていてもいい?」
おずおずとシャルロッテがお伺いを立てる。すると、黒髪の護衛騎士は、顔を逸らしたまま僅かに首を縦に振った。
シャルロッテはその場に膝から崩れ落ちそうになった。私の護衛騎士がこんなにかわいいわけが……ある。
たまらなくなって、シャルロッテは着せかけられた上着をぎゅっとかき合わせた。まるで、抱きしめられているみたいだ。そう考えてしまい、気恥ずかしさと面映ゆさに思わず俯く彼女の頬に、ほつれ毛が落ちる。
すると、筋張った大きな手が、そっと――まるで割れ物にでも触るような慎重な手つきで頬にかかった髪に触れ、優しくそれを払いのけた。
「わふぇっ?」
驚きの余り、変な声が漏れた。王女らしからぬ失態である。目を丸くして恐る恐る見上げると、ランベルトはびっくりしたような顔で自分の手を見つめていた。
「あ……失礼、しました……」
「え、あ……べ、べつに……」
ぎくしゃくと、そう会話を交わす。それから二人は、油を差していないからくり人形のようにぎこちなく、無言のまま薔薇園を練り歩いた。
「いやあ、ずいぶん遅かったですね、殿下」
「え、あ……うん……」
夕刻の交代の時間を待たず、シャルロッテの居室にはスヴェンの姿があった。興味津々といった調子で二人を見比べて、ううん、と顎に手を当てる。
「及第点、といったところですかね。なかなかやるなあ、ランベルト」
「……何が」
どっかりと、護衛騎士らしからぬ態度でソファにそっくり返っているスヴェンに、ランベルトの冷たい視線が突き刺さる。わりといつものことなので、シャルロッテは特に気にしていない。
ランベルトにも、立っているのは疲れるでしょうと何度か勧めたことがあったが、「職務ですので」とにべもなく断られたことを思い出す。
「これこれ」
勢いよく立ち上がったスヴェンは、ランベルトの目の前に立つと、自分の上着の袖をつん、と引っ張る。あ、とシャルロッテは自分の身体を見下ろした。
ランベルトの紺の騎士隊服。その上着は、未だにシャルロッテの肩にかけられている。
ここまで、この格好で帰ってきてしまったのか。道理で、行き合った文官たちがちらちらとこちらを見ていたはずだ。
あわわ、と顔を赤くしたシャルロッテとは対照的に、ランベルトはむすっとした顔のまま短くそれに答えた。
「殿下に、風邪などひかせるわけにいかないだろう」
「はいはい」
にかっと白い歯を見せたスヴェンが、ランベルトの肩をぽんぽんと軽く叩く。うるさげにそれを振り払って、黒髪の護衛騎士はなにかを誤魔化すようにぷいと顔をそむけた。