会うことは決まっていた
*
この日も私はオートメーションに起きて、夫のお弁当を作り、夫の朝食を準備して、自分はトーストだけの朝食。
「今日も遅くなるから先に寝てていいよ」
「うん、わかった。忙しいんだね」
「まあ……いつも通りだよ」
そっけない会話は短く、夫は居心地悪そうに時計を眺めて忙しない仕草で出かけて行った。
ドアが閉まると同時に深いため息が漏れた。
(やっぱりパートに出てるのは正解だな)
パートをはじめる前、私は1日中家の中で過ごすことが多かった。
朝から晩まで家にいるせいか妙な感覚に襲われ始め、焦りを感じるようになっていった。
一人でいると、自分が実体のある人間なのか分からなくなるのだ。
(夫と話す時間もあまりないし……このままじゃおかしくなりそう)
そう思って始めたパートだけれど、友人や両親からは不思議そうに首を傾げられた。
『今どき専業主婦なんてなかなかできないものなのに。贅沢だね』
と、いうことらしい。
確かにこの生活で文句を言うのは私のわがままなのかな、とは思う。
でも会話も夜の触れ合いもほとんどない人との暮らしの中には、どうしても自分の存在意義を感じられなかった。
ならどうして結婚したのかと尋ねられるのが通常だ。
結婚前にわからなかったの?と。
(結婚する前は別人みたいに優しかったし、甘々な人だった。籍を入れた途端、私に興味がなくなるなんて想像もつかなかった)
似たような人は他にいないのだろうか、と、いつも不思議だ。
皆そんなに”間違えない結婚”をしているのだろうか。
私たちは結婚して3年目になる。
夫は今年32歳で、私は31歳になろうとしている。
夜の生活が少ないせいか、子どもができる気配はない。
(応じてもらえない生活が続いているのだから、当然といえば当然かな)
公務員という手堅い仕事についている夫ではあるけれど、想像していたような甘い生活にはならなかった。
私はといえば結婚前に興味あったことにも心が動かなくなり、鏡を見てもどこか老けた感じが否めない。
(夫が言う通り、家でぼーっとしているせいかな)
家事はそれなりにきちんとやっている。
けれど、子供がいないんだからもっと色々できるだろうと言われると答えが見つからない。
(結婚したら孤独になった……こんなこと思ってる人、いないよね)
誰にもこの気持ちを相談できないのが、ますます孤独感を強めた。
お金や環境に不足はない。
夫からの目立った暴力があるわけでもない。
だからやっぱりこれは私のわがままなのだろう。
そう思うけれど、家にいると自分が透明人間になってしまいそうなのは確かで。
理由は別のことにしたけれど、夫を説得し、私は商店街にあるパン屋で週5のパートを始めた。
おかげで、家にずっといた頃よりは孤独を感じなくなった。
シフトが早朝からだったり力仕事が多かったりと、大変な時もある。
けれど、家に戻って眠気が襲うほどの疲れを感じるのが逆に私を救ってくれている。
「いらっしゃいませ!」
今日も焼きたてのパンを並べながら、お客様に笑顔向ける。
忙しなく動いている店内の空気が心地いい。
(体を動かしていると余計なことを考えなくて済むし、生きてる感じがする)
こんなことを思いつつレジに戻ろうとすると、ふとトレイにメロンパンを何個も乗せている男性が目に入った。
他にもお客様はいたのに、なぜかその人にしか目がいかない。
(あれ、この人って)
「草壁薬局の……」
彼はこちらをむくとゆっくりレジまで歩み寄ってきてパンの乗ったトレイを置き、私をじっと見た。
「どこかで会った?」
「あ、いえ。薬局の前を通った時にお見かけしたので」
(ほぼ毎日姿がないかチェックしてるなんて言えない)
「ああ、なるほど」
気だるい感じに頷くと、彼はパンの代金をレジ横に置いた。
「これでいい?」
「150円のメロンパンを5個なので……はい、ちょうどですね。ありがとうございます」
代金をレジにしまい、メロンパンをビニールに急いで詰めていく。
その作業中に、彼はボソリと言った。
「外に出てるあれ、そろそろ日陰に入れないと」
男性の視線の先には店先に置かれたポインセチアがあった。
これは確か店主が去年買ってきて、クリスマスが終わって暖かくなってきた頃に外に出しっぱなしにしていたものだった。
「日陰、入れたほうがいいんですか」
「まあ、花を咲かせなくていいならいいけど。このままだと多分冬も青いまんまだよ」
「そうなんですか」
(知らなかった。ポインセチアって暗闇がないと赤くならないんだ)
店主に言って中に入れておきますと伝えると、彼は目元だけ少し細めて出て行った。
たったこれだけの会話だったけれど、私にはとんでもなく胸の躍るような出来事だった。
近くで見た男性は店の外から見るよりずっと造形が整っていた。
おまけにアンニュイで不思議な空気を漂わせている。
(家庭臭さが微塵もなかったけど、娘さんはどこで彼と知り合ったんだろう)
既婚であるという事実が信じられない感じを受けるけれど、そんなはずはないわけで。
娘さんがベタ惚れして実家に彼を連れて戻ってきたという噂は本当なんだなと、納得したのだった。
この日も私はオートメーションに起きて、夫のお弁当を作り、夫の朝食を準備して、自分はトーストだけの朝食。
「今日も遅くなるから先に寝てていいよ」
「うん、わかった。忙しいんだね」
「まあ……いつも通りだよ」
そっけない会話は短く、夫は居心地悪そうに時計を眺めて忙しない仕草で出かけて行った。
ドアが閉まると同時に深いため息が漏れた。
(やっぱりパートに出てるのは正解だな)
パートをはじめる前、私は1日中家の中で過ごすことが多かった。
朝から晩まで家にいるせいか妙な感覚に襲われ始め、焦りを感じるようになっていった。
一人でいると、自分が実体のある人間なのか分からなくなるのだ。
(夫と話す時間もあまりないし……このままじゃおかしくなりそう)
そう思って始めたパートだけれど、友人や両親からは不思議そうに首を傾げられた。
『今どき専業主婦なんてなかなかできないものなのに。贅沢だね』
と、いうことらしい。
確かにこの生活で文句を言うのは私のわがままなのかな、とは思う。
でも会話も夜の触れ合いもほとんどない人との暮らしの中には、どうしても自分の存在意義を感じられなかった。
ならどうして結婚したのかと尋ねられるのが通常だ。
結婚前にわからなかったの?と。
(結婚する前は別人みたいに優しかったし、甘々な人だった。籍を入れた途端、私に興味がなくなるなんて想像もつかなかった)
似たような人は他にいないのだろうか、と、いつも不思議だ。
皆そんなに”間違えない結婚”をしているのだろうか。
私たちは結婚して3年目になる。
夫は今年32歳で、私は31歳になろうとしている。
夜の生活が少ないせいか、子どもができる気配はない。
(応じてもらえない生活が続いているのだから、当然といえば当然かな)
公務員という手堅い仕事についている夫ではあるけれど、想像していたような甘い生活にはならなかった。
私はといえば結婚前に興味あったことにも心が動かなくなり、鏡を見てもどこか老けた感じが否めない。
(夫が言う通り、家でぼーっとしているせいかな)
家事はそれなりにきちんとやっている。
けれど、子供がいないんだからもっと色々できるだろうと言われると答えが見つからない。
(結婚したら孤独になった……こんなこと思ってる人、いないよね)
誰にもこの気持ちを相談できないのが、ますます孤独感を強めた。
お金や環境に不足はない。
夫からの目立った暴力があるわけでもない。
だからやっぱりこれは私のわがままなのだろう。
そう思うけれど、家にいると自分が透明人間になってしまいそうなのは確かで。
理由は別のことにしたけれど、夫を説得し、私は商店街にあるパン屋で週5のパートを始めた。
おかげで、家にずっといた頃よりは孤独を感じなくなった。
シフトが早朝からだったり力仕事が多かったりと、大変な時もある。
けれど、家に戻って眠気が襲うほどの疲れを感じるのが逆に私を救ってくれている。
「いらっしゃいませ!」
今日も焼きたてのパンを並べながら、お客様に笑顔向ける。
忙しなく動いている店内の空気が心地いい。
(体を動かしていると余計なことを考えなくて済むし、生きてる感じがする)
こんなことを思いつつレジに戻ろうとすると、ふとトレイにメロンパンを何個も乗せている男性が目に入った。
他にもお客様はいたのに、なぜかその人にしか目がいかない。
(あれ、この人って)
「草壁薬局の……」
彼はこちらをむくとゆっくりレジまで歩み寄ってきてパンの乗ったトレイを置き、私をじっと見た。
「どこかで会った?」
「あ、いえ。薬局の前を通った時にお見かけしたので」
(ほぼ毎日姿がないかチェックしてるなんて言えない)
「ああ、なるほど」
気だるい感じに頷くと、彼はパンの代金をレジ横に置いた。
「これでいい?」
「150円のメロンパンを5個なので……はい、ちょうどですね。ありがとうございます」
代金をレジにしまい、メロンパンをビニールに急いで詰めていく。
その作業中に、彼はボソリと言った。
「外に出てるあれ、そろそろ日陰に入れないと」
男性の視線の先には店先に置かれたポインセチアがあった。
これは確か店主が去年買ってきて、クリスマスが終わって暖かくなってきた頃に外に出しっぱなしにしていたものだった。
「日陰、入れたほうがいいんですか」
「まあ、花を咲かせなくていいならいいけど。このままだと多分冬も青いまんまだよ」
「そうなんですか」
(知らなかった。ポインセチアって暗闇がないと赤くならないんだ)
店主に言って中に入れておきますと伝えると、彼は目元だけ少し細めて出て行った。
たったこれだけの会話だったけれど、私にはとんでもなく胸の躍るような出来事だった。
近くで見た男性は店の外から見るよりずっと造形が整っていた。
おまけにアンニュイで不思議な空気を漂わせている。
(家庭臭さが微塵もなかったけど、娘さんはどこで彼と知り合ったんだろう)
既婚であるという事実が信じられない感じを受けるけれど、そんなはずはないわけで。
娘さんがベタ惚れして実家に彼を連れて戻ってきたという噂は本当なんだなと、納得したのだった。