もう遠慮なんかしない
私が急に黙ってしまったことに気がついた相澤さんもその光景を見たのだろう。
道路の向こうにいる私の夫が私の知らない女性と楽しそうに会話しながら歩いているところを…。
女性の腕が明人さんの腕にかけられ、二人はまるで恋人同士のようだった。
向こうは私が見ていることなど全く気がつかずに行ってしまった。
…時刻は17時半、こんな時間だからもしかしたら仕事でトラブルでもあって、たまたま一緒に歩いているだけ…。だって…明人さんには私という妻がいるんだから…。
そんなことを考えていると、相澤さんは私の視線を遮るように立ち位置を変えた。
「おい、中西。大丈夫か?」
声を掛けられ、ハッと意識を戻す。
「あ…なんでしたっけ?」
「お前…ちょっと来い」
相澤さんが強引に私の手を掴み歩き出す。
しばらく歩いて近くの公園のベンチに座らされた。
「中西…少し落ち着いたか?」
名前を呼ばれ、近くで買ってきてくれたらしいペットボトルのお茶を差し出される。
そう…自分では気がついていなかったけど、私の頬が涙で濡れていたのだ。
相澤さんは隣に座り、ハンカチを渡してくれた。
「……うっ……すみません……」
受け取ったハンカチで涙を拭う。
辺りが夕闇に包まれていく中、しばらく二人で無言のままの時間を過ごした。
「…相澤さん…すみませんでした。お忙しいのに、こんなことに時間使ってしまって…」
「忙しくてもこんなに取り乱してる中西を放って先に帰れる訳ないだろう。付き合うよ」
そう言って、隣に座っていてくれた。何分くらいこうしていたのか分からないけど、この人の1分がどれだけ貴重なものかわかっているだけに、付き合わせてしまったことに申し訳なさを痛感していた。
それでも、どうにも動き出せない自分が情けなかった。
どこから夫婦の歯車が狂ってしまったのだろうか。いつから明人さんはあの人と一緒にいるようになったのだろうか。
妻だというけれど、すれ違いが続いてしまってからの夫のことが何も分からない。何時に家に帰ってくるのかさえも知らなかった。
すっかり暗くなった頃、相澤さんに手を取られ立ち上がると通りに出てタクシーに乗る。
「今日は家に帰るのか?」
「…どう…どうしたらいいのか…まだ、分かりません…」
「そうか…。今日はとことん付き合ってやる。仕事はどうとでもなるから、気にするな。だから、どうするか決めたら教えてくれ」
優しい相澤さんの言葉に甘えていいのだろうか…そんなことを考えるが、今は一人になりたくなかった。
なにより一人になるであろう二人の住まいには帰りたくなかった。