忘れさせ屋のドロップス
遥が面倒臭そうに、そう素っ気なく返事したと共に再び、木製の扉がカランと開いた。
「遥ー、いる?」
毛先をくるんと巻いた栗色の長い髪に、よく通る舌ったらずな声が部屋に響いた。
淡いピンク色の膝丈のワンピースのよく似合う、少し垂れ目の二重瞼の女性が遥を見つけて一目散にこちらにやってくる。
「おまたせー」
そのまま茶色のソファーに座り直した遥を後ろから抱きしめた。
「おせーな。一時間待ったっつーの」
甘い瑞々しい香水の香りが鼻を掠める。抱きついた時に、彼女の鮮やかなピンクの口紅が遥の頬についた。
「華菜、離れろよ、口紅ついただろ」
「えー。いーじゃん。どうせ、いまから付けるのにー」
(え、これがさっき言ってた……一晩共にしての……忘れさせ屋?)
「てゆーか、誰?これ?」
テレビでしかみたことがないドラマみたいな光景だ。硬直したまま二人のやり取りを見ていた私を、カナという女性が私を『これ』と呼んだ。
「あぁ、今日から受付雇った。有桜」
サングラスを掛けながら、遥がカナの絡ませた腕をするりと解いた。
「ふぅん。遥、受付置かないって言ってたくせに」
面白くなさそうにカナがこちらをジロリと睨んだ。
「しょうがねーだろ、姉貴が決めたんだよ」
「ちょっと!遥、まさかこの女、此処に住み込みとかじゃないよね?」
床に置き去りにしていた、私の黄色のボストンバックをカナが見つけて指差した。
「あ?そーだけど。ベッドも俺と一緒」
「嘘!やだ!あのベッドにこの女と寝る訳?」
(あのベッドって……こ、此処でも一晩共にしてっていうのをやってるってこと?……そんなベッドに私が……)
「うるせーな。華菜、行くぞ」
ドロップスを口に放り込むと遥が立ち上がった。機嫌を取る様に拗ねたような華菜の頭をくしゃくしゃと撫でる。
「あ、あの……」
振り返ってサングラスをズラすと、遥が私を指差した。
「有桜、五時になったら店閉めていーから。あと冷蔵庫の中のもん適当に食べてもらって構わないし、ベッドも好きに使えよ」
「え?それって……」
「そ。今晩は華菜と先約あるから俺帰んない。鍵は持ってるから閉めといて」
「え、は……遥、待って」
小さく発した声は届かなかったのか聞く耳なんて更々なかったのか、遥は華菜の肩を抱くと振り返ることなく出て行った。