忘れさせ屋のドロップス
扉を閉めて、剥き出しのコンクリの階段を降りながら、俺は手元の時計を見た。

「ねー遥。今日は泊らないんじゃなかったの?」

17時5分前。もう客は来ないだろう。甘ったるい声と共に華菜が腕に絡みついた。

「予定変更。オマエん家泊めてよ」

「それはいーけど」

華菜が俺を見ながら口を尖らせた。

「何?妬いてんの?」

「……だって、今までは絶対そう言うの断ってたくせに。住み込みなんて尚更じゃん。だってあの家は」

「それ以上言うな!」

華菜の長い睫毛が下を向いた。

「ごめん、もう言わない」

 思わず、強く言いすぎた。俺は柔らかい華菜の髪を漉くようにして撫でた。華菜が見上げて俺を見つめる。

いつものように大きな瞳を細めて華菜が笑う。少しだけ寂しさを隠すように。

「……オマエさー、俺なんかのどこがいいの?」

 自分ではとっくの昔に嫌気がさして、愛想尽かしている。本当、俺はどうしようもないヤツだと思う。そんな俺から華菜は離れない。 

「自惚れないで。身体、そんだけ」

「あっそ」

華菜が周りの目など気にも留めずに、俺に口付けた。甘ったるいキス。

でも華菜のキスはいつも涙みたいな味がするのを俺は知ってる。

 こんな関係いつまで続けんのか、続けていいのかもわからない。空っぽの俺を早く華菜が捨ててくれればいいのにとさえ思う。俺は誰かに特別な想いを抱くことなんて、もう一生ないのだから。

姉貴が何考えてんのかわかるようで、でも俺はわからないフリをする。少なくとも俺は、また誰かと一緒に住むなんて考えたこともなかった。

 流石に……少なくとも今日は無理だ。あの部屋で、あのベッドで、那月以外と過ごすことなんて。
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