忘れさせ屋のドロップス

「遥ーっ!俺、どうしよう。捨てられるかも」

冷蔵庫の冷えたビールのプルタブを開けると、喉を鳴らしながら、男は一気飲みしている。

「捨てられちまえよ」

 同じくビール片手に簡素なパイプ椅子に座った遥がグイと一口飲んだ。私の前には遥が冷蔵庫から持ってきた、パックのりんごジュースとグラスが置かれている。

 男の名前は、桐谷秋介。

渚さんの恋人。長めの前髪に後ろは刈り上げられていて、茶系のスーツに紺色のネクタイ姿。

遥と並んでも全く引けを取らない、端正な顔立ちをしていた。遥とは昔からの知り合いのようで、ビール片手に物凄い勢いで話し始めた。

「遥ー。俺、今捨てられたら息止まる。空気吸えない」

「あっそ。じゃあ今日で会うのが最後だな、さようなら」

あっけらかんと返事をした遥に、茶色のソファーから立ち上がると、男がひしと抱きついた。 

「遥ー。既読スルーとかあんまりじゃね?もう3日……」

「ちょ、秋介!あんな!だからくっつくなって!」

「あー。次ラインきたら『別れましょ』とか来んのかなー」

「違うだろ。『別れたのに何ですか』じゃねーの?」

「遥!嘘だろ、10年だぞ」

「知らね。なんでスルーしてんのか姉貴に聞けよ」

「あーもー。俺、そんな文字列見たら気を失うじゃん。でもなー、渚ならあり得るよなー。バッサリいくもんな。あ、美味い!」

吉野さんから頂いた、お豆腐に冷蔵庫に入っていた青ネギをかけた冷奴と、あまり野菜のチャーハンを、秋介は美味しそうに口に運んでいる。
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