忘れさせ屋のドロップス
「は?何つった?」
佐藤遥が怪訝な顔でもう一度訊ねた。
分かってる。こんななこと言うなんてどうかしてる。でも……忘れられたら。どんなに。
「……家……家を忘れさせてください」
「ばーか!そんなことできる訳ねーだろ」
両手を握りしめて懇願する私を一瞥すると、あっという間に粗野な言葉が降り注ぐ。
「オマエな、此処は忘れさせ屋!託児所じゃねーんだよ。ガキは家帰れ!」
「だって、何でも……忘れさせてくれるって……」
「あのな、良く考えてみろよ?見ての通り
俺はごくごく普通の一般人だ!何なら常識も人並程度に持ってる所謂大人ってヤツだ。他人の記憶を、自分ん家忘れる位ごっそり抜き取るなんて真似できる訳ねーだろ。大体さー大抵の女が、忘れさせてくれって来るのは、一晩共にして忘れさせての、忘れさせ屋だ!ばーか」
ものすごい剣幕で馬鹿だの何だの。本当に忘れられるなんて、私だって完全に信じてた訳じゃない。
でも今更私には行く所なんてもう無いのに。それに結局、忘れさせ屋って、そう言ういかがわしいお店だったなんて。
「嘘……」
「別に俺は嘘は吐いてない」
悲嘆の意味で吐いた言葉を、佐藤遥はすぐさま否定した。
「え?」
「『忘れさせて』やるのは本当。ただし、簡単なことだけ」
「よく、わからない」
あっそ、と小さく溜息を吐くと、佐藤遥は胸ポケットから先程のドロップスの缶を取り出して目の前のガラステーブルにコツンと置いた。
「さっき食ったよな?」
私は頭を上下させた。
「お前は涙を見せたくなかった。会ったばかりの俺の前で。だから涙を『忘れたかった』つまりお前はこれ食って短い間だけど、涙を『忘れた』って訳」
そうだ、確かにあのドロップスを食べた途端、涙が止まって、何だかホッとしたんだ。
「これはそーゆー力があるドロップスなんだよ」
やっぱり……訳が分からない。この人はやっぱりおかしな人なのかも知れない。見た目はともかく、頭が……
「頭がおかしーヤツとか思ってんだろ!」
「わっ!」
心を見透かされたようで、思わず木製椅子から飛び上がって、私はしりもちをついた。側に置いていた薄ピンクのボストンバックに手をかける。
「わ、わかりました。もう大丈夫です」
こんなおかしな人の所を訪ねた私が、馬鹿だった。今すぐここを出なければ。
「オマエな!」
男が立ち上がって、大きな掌でぐいと手首を掴まれる。
「きゃっ……」