忘れさせ屋のドロップス
「お母さんね……男の人に、頼るの。……知らない人がうちに夜ご飯食べにたり、泊まっていったり……。凄く嫌だった。……」 

 遥は聞いているのだろうか。それとも、ドロップスで眠ってしまっただろうか。

…………それならそれでいい。

 夢との境界線はもう曖昧を通り越して、藍の色が深くなって堕ちていきそうだ。いつのまにか瞼は重くて、ふわふわする。 

「……いつも……言われてた。有桜さえいなかったら……って。私なんか、いなかったら……お母さん、もっと幸せ、だっ……た……って」 

 だから、いつもいつも、一人で苦しかったの。寂しくて、泣いてばかりだったの。

 いつもひとりぼっちで眠ってだから、こうやって眠れないことを眠れないって伝える相手が居ることに、何だかひどく、ほっとした。

ーーーー今は一人じゃないんだって。

 規則的に聞こえてくる呼吸音と長い睫毛がしっかり閉じられたのを確認してから、俺は起き上がった。

「風邪ひく気かよ」

 有桜は、俺の黒い毛布を小さく畳んで抱きしめるようにして眠っていた。今日は泣かなかったな。手元の白いブランケットをそっと掛けてやる。那月の使ってたブランケット。



ーーーー『おかえりー』

 いつも俺が帰ると、その言葉と共に慌てて那月が寝室から出迎える。

 いつも俺を待っていてくれた。

 有桜に『おかえり』と言われた時、思わず抱き寄せそうになった。那月が重なって…。

 秋介と一緒に、今日は少し飲み過ぎたのかもしれない。ほんの一瞬、理性が飛びそうになった。

 有桜が家を出た理由。母親か……。有桜を初めて見たとき、今にも泣きだしそうな、そんな目をしてた。泣き虫の那月の目とほんの少しだけ重なった。 

 有桜は人と関わるのが苦手だ。まだ出会ったばかりだけど、俺はそう思った。それは、有桜が今まで自分を押し殺して我慢していた分、他人と関わるのが恐いのかもしれない。恐いというより、どう他者と接したらいいのか分からないというのが正しいのかもしれない。

 有桜はよく泣く。今までは、一人で誰にも見られないように、小さくなって泣いていたんじゃないかと思う。昨日の夜みたいに。

 涙にも限りがあればいいのにな。

 俺も、もう泣き飽きた。心も身体も。
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