忘れさせ屋のドロップス
手元の時計は午前3時。

女が寝るのを待っていたら、こんな時間だ。さすがに有桜は寝てるだろう。

昼間、有桜は何か……言いたそうにしてた。
最近泣くことが無かっただけに、気になった。鍵を開けて木製扉に手を掛ける。

俺が、帰ってくるからだろう。入口のランプが点けてある。寝室の扉を音を立てないようにゆっくり開けた。

「え?」

思わず声が出た。ベッドに有桜の姿が無かったから。俺は慌ててスマホをタップする。
どこいった?

ーーーーブーッブーッブーッ……。
微かに聞こえてくる、スマホが震える音に引き寄せられるように向かう。

俺はスマホをポケットにしまった。

パーテーションの裏側、木製テーブルに上半身を預けて眠ってる有桜を見つけた。 

「……何で待つんだよ」

溜息を一つ溢して、もう少しで落っこちそうになっている有桜の頭を支えて抱き上げる。思ってた以上に軽くて驚いた。

「……もうちょい食えよな」

眠ったばかりなのか、有桜は身動き一つせずに俺の中で眠ってる。

ベッドにゆっくり下ろす、起こさないように。そのまま有桜の頭の横に片手をついた。スプリングがすこしだけ沈む。

こんなに近くで、有桜の顔を見るのは初めてかもしれない。

「何、言おうとしてた……?」

返事がないとわかってて有桜に聞いた。

長い睫毛が、呼吸に合わせて静かに上下する。
何もする気もないのに、有桜の頬に触れる。
綺麗な顔をしているが、有桜は年齢より少し幼く見える。寝顔はもっと幼く見えた。

「……るか……」

眠っている有桜が俺の名前を呼んだ。

「……何?……」

有桜の体温が、掌から俺に伝染していく。

「……な、いで……」

有桜は、瞳を閉じたままで、静かな呼吸音だけが聞こえる。俺が帰って来るまでに、泣いたりしてなかっただろうか。

俺は、ゆっくり有桜から掌を離した。有桜の隣に寝転んで、ドロップスを放り込む。


 帰ってきて有桜が居なくて、正直焦った。
……何で? 

有桜だってこのまま此処にいるつもりなんて更々ないだろう。いつ出て行くかなんて、有紗次第だし、俺に止める権利なんてないだろう?

那月に会えなくなって今日で三年目ーーーー今まで一人だった。それがいつかまた元に戻るだけだ。それでいいって思ってた。

でも……有桜が俺を待ってるんじゃなくて、どこかで有桜が俺を待っていてくれるのが当たり前になっていたんだろうか。 

 俺に『おかえり』と言ってくれる有桜を。

ーーーー「どこにもいかないで」

眠った有桜の唇からは、そう聞こえた気がした。
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