忘れさせ屋のドロップス
「おい、お前なー」

 眉間に皺を寄せて目を細めながら、遥が私の手を引いて引っ張り上げる。少しだけ遥の顔が赤いのは気のせいだろうか。

「遥?」

 遥は振り返らずに、私の手を引いたまま寝室のベッド前まで連れて行く。

 ようやく振り返った遥に頭をコツンと小突かれた。

「……あのな、一応俺も男だからさー、マジで煽ってくんな!」

「え?煽る?」

「あー、もういいから、マジで寝ろ!」

 私をベッドの端に追いやると、遥は私を背にしてリモコンで電気を消した。

 遥の背中を見ながら、今日連れて行ってもらった海の事を私は思い出していた。
 
 心地よい波風と、寄せては返す、耳障りの良い波音が、しんとした寝室にどこからか聴こえてきそうだった。

 瞼を閉じるとあっという間に藍の淵へ堕ちていくのが分かった。

「……遥、海連れて行ってくれて……ありがとう。おやすみなさい」

ーーーー遥からの返事はなかった。

もしかしたら、遥はもう眠ってしまったのかもしれない。または、遥の返事を待ってる間に、私がもう眠りの淵に落ちてしまったからかもしれない。

 今日は深く眠れそう。遥とこれからも一緒に暮らせて、こうやって隣で眠れること
がずっと続けばいいのにね。

遥……。
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