忘れさせ屋のドロップス
「はる、か」
有桜が俺に掴まれていない方の細い腕で、俺を押し返すようにトンと胸を突いた。
頬の雫がベッドシーツを濡らして滲んでいた。
「ひっく……わた、し……なつきさんには、なれない……ごめん、ね、……ひっく……遥」
「あ…りさ?」
思わず、俺は有桜を覗き込んでいた。
何度も何度も目尻を拭ながら有桜が声を押し殺して泣いていた。
ーーーーそんなことを、俺は有桜に考えさせてたのか?そんなことを俺は、有桜にいつのまにか強いていたんだろうか。
「ごめ、んね……遥」
有桜の声が震えてた。ここまま一緒に居たら心が壊れるのは有桜の方だ。
「……謝んのは俺だろ……いっつも有桜を泣かせてばっか。それに、……そんなこと、俺は望んでないから。……有桜は有桜なのに…ごめん……ごめんな」
そっと頬に触れた。僅かに有桜の身体が震えた。
「有桜、もう俺達……」
「やだっ!私が望んだから。遥のそばに……いるだけで、よかったのに……私だけをちゃんと見て……ほしくて、ごめ、……なさい」
叱られた子供みたいに、声を上げて泣きだした有桜を、俺は抱きしめていた。
ーーーー抱きしめずにはいられなかった。
「ごめん……怖かっただろ」
有桜は首を振る。こんな状況で、まだ嘘を吐かせてる自分に嫌気がさす。
有桜が大切なくせに、有桜に俺は好きだと言えない。自信が、ないんだ。
もう二度と失いたくなくて、俺は怖い。誰かを好きになって、また失うのが。
だから俺はドロップスがやめられない。俺を縛り付ける苦しい全てを『忘れたくて』。
人を好きになることを『忘れたくて』。
「……遥……好きだよ」
「俺なんか……好きになるな……」
誰もちゃんと好きになれない俺なんか。
有桜だけを見て、有桜だけを想うことができたら、どんなにいいだろう。
俺のことなんか忘れてくれていいから。
もう有桜に泣いて欲しくないから。
俺は有桜の笑った顔が好きだから。
「……遥」
有桜が少しだけ身体を離して、俺の目をじっと見た。
真っ赤になった目尻から、またこぼれ落ちそうな雫を俺はそっと掬う。
「……遥の、しんどいの、半分……私にくれ……る?」
「え?何言って……」
思わず聞き返していた。
「いいよ、遥がラクになるなら、……心も身体も全部、あげるから……遥、もう……泣かないで」
有桜が俺の頬に触れた。
「……俺には……有桜の心も身体も貰う権利なんて……ないから。……もっと自分を大事にしろよ」
「おんなじだよ。……私は、遥に自分を……大事にして、欲しいから。心を……守って欲しいから……お互い様だ、ね」
有桜がふっと笑う。寂しそうに、泣くのを我慢しながら。
「遥……大丈夫だから」
有桜が両手を伸ばして、俺の頬に触れる。有桜の唇が俺の唇に触れた。
ぎゅっと両手を回した有桜の背中が、華奢で壊れそうで、でもひどく安心したんだ。
ーーーー有桜がそばに居てくれることに。
もう一人で泣かなくていいんだって、大丈夫だって、俺は誰かにずっと言って欲しかったのかもしれない。
「……有桜、そばに居て」
俺は有桜を抱きしめて、無意識にそう呟いていた。