忘れさせ屋のドロップス
「大丈夫よ、姉のアタシが言うのも何だけど、遥は無理やり女の子に手を出すようなヤツじゃないから。悪いけど、一緒に寝てやって」

 空になった三脚のカップをトレーに乗せながら佐藤渚がふわりと笑った。

 寝てやって……って。そんな猫か何かみたいに……。

どう見たって赤い髪した虎かオオカミ……。

言葉を発しようとしたのと同時に誰かのスマホが鳴った。

「あ、やば。呼び出し」 

 スマホの液晶に目をやりながら、佐藤渚が慌てて、扉横の木製棚に、ぽいと掛け捨ててあった、黒のスプリングコートを羽織った。

「待てよ、姉貴!さっき俺が、女無理やりヤるようなヤツだと思って首絞めてたクセにさー」

 容赦なく今度は、ゲンコツが佐藤遥の頭に降った。 

「痛ってー!」

「ドロップス食べてんだろ?痛いの『忘れとけ』じゃあ、またねー」

 佐藤渚は、ヒラヒラと手を振りながら、忘れさせ屋を後にした。

 その名前にピッタリの人だ。浜辺に押し寄せるキラキラ光る波のように現れて、砂浜を優しく撫でるように静かに引いて消えていく。渚そのもの。

 急にしんとした部屋と、こちらをじっと見たまま動かない佐藤遥に、途端に居心地が悪くなった。

「あ、あの佐藤、さん、その」

この空気に先にいたたまれなくなった私が、口を開いた。

「遥」

「え?……は、遥さん……」 

「ばーか。さん、つけんな。女みてーだろうが」

そんなことない。綺麗な顔にぴったりの綺麗な名前だと思う。

「は、遥」

「どーも。とりあえず宜しくな」
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