愛を知るまでは★イチゴキャンディ編★
終わらない試合
夏休みもあと一週間で終わりを告げようとしていた。
そんなある日、私のスマホに由宇さんからのラインが着信されていた。
(明日空いている?この前の約束通り、街の案内してよ。由宇)
(いいですよ)
由宇さんには女友達に送るようなノリでパパッと気軽に返信できた。
(じゃ、明日のお昼にいつもの公園でね。つぐみちゃんとのデート、楽しみにしているね。)
ものすごく早いレスポンスがあった。
私は水玉のスマホケースを眺めながら、由宇さんとのラインのやりとりを再度読み返した。
これもデートっていうのかな?
正直、あまり気が乗らない。
鹿内さんと会えないのなら、家でじっとしていた方がマシだ。
・・・だめだめ。
そんなことじゃ鹿内さんの最も嫌いな、重くて面倒くさい女になっちゃう。
それにもう彼女役を解雇されんだもの。
私が誰と何をしたって、構わないはずだ。
上手くいけば鹿内さんのことを諦めるきっかけになるかもしれないし、ひとり部屋でもんもんと同じ思考をループさせているよりは、いい気分転換になるだろう。
次の日、私と由宇さんは公園で落ち合い、駅の裏側にあるこの街で一番美味しいと評判の洋食屋に行くことにした。「キッチン七瀬」という名前のこの洋食屋は、三ツ星レストランで修行を積んだコックが作ったお店で、瀟洒なレンガ造りの外装に、中は凱旋門やエッフェル塔の写真が飾られたフランスを意識したインテリアが施されている。
普段はお高めの値段設定だけれど、ランチメニューは学生でも手が届くように配慮してくれている。
「へえ。こんな所にレストランがあるなんて知らなかったよ。いつも駅前しか行かないから。」
「結構昔からあるんですよ。うちの両親も結婚記念日はこの店って決めているそうです。」
「ふーん。つぐみちゃん家のご両親は仲がいいんだね。」
「普通だと思いますけど。」
「普通でいることが実は一番難しかったりするんだよね。」
そうさらりと言うと、由宇さんはメニュー表を開いた。
白いテーブルクロスの上にはさりげなく赤い小さな花が一輪挿しに差されていた。
「この花はひなげしですね。」
私が言うと、由宇さんが前のめりで聞いてきた。
「ひなげしの花言葉って知ってる?」
「知らないです。」
「恋の予感っていうんだよ。」
「恋の予感?」
「そう。」
そう言って由宇さんは、人差し指と中指を合わせて、よろしくのポーズをしてみせた。
気障な仕草も様になる人だなと思いながら、私はメニュー表で顔を隠した。
由宇さんってほんとにイタリア人みたい。
「何を食べましょうか?」
「僕はビーフシチューにしようかな。」
「じゃあ私はオムライスで。」
「いいね!そうだ。二人でシェアしあわない?僕、色んな味を少しづつ食べるのが好きなんだ。」
「いいですね!」
注文の品が来ると私達はさらに小皿を用意してもらい、仲良く半分こしながら食べた。
食事中でも由宇さんは驚くほどよくしゃべった。
「僕の友人でね、このまえ大失恋しちゃったヤツがいるんだ。そいつを慰めるために一泊二日の旅行を仲間内で計画したんだよ。伊豆高原のペンションを予約してね。景色は綺麗だし空気も澄んでいて最高だった。」
伊豆高原は私も中学生の時、家族で行ったことがある。
「大室山の景色が壮大ですよね。あの辺りは博物館や美術館も沢山あるし」
「そうそう。アンティークジュエリー美術館には行ったことある?」
「ないです。」
「その失恋しちゃったヤツのたっての希望で、そこへ寄ったの。19世紀のヴィクトリア王朝時代に作られた豪華なジュエリーや衣装を展示していてさ。女ども全員が展示ドレスを試着してもう大騒ぎ。俺ら男はインスタ映えするように撮ってよね、とかなんとか言われて顎でこきつかわれたよ。女子って着るもので気分が上がるんだね。」
「へえ。素敵ですね。」
「失恋したその当人もすっかり元気になっちゃって、綺麗になって新しい恋みつけるぞ!なんて言っていたよ。」
「新しい恋・・・。」
「人生は長いようで短いからさ、気持ちも早く切り替えていかないとね。」
「・・・・・。」
「その点、姉貴はああ見えてひとつのことに固執するタイプなんだ。雑貨でも食べ物でも気に入るとそればかり買うんだよね。僕はパンが大好物なんだけど、姉貴はいつも自分の好きなクロワッサンとアンバター入りフランスというパンしか買ってこない。
もっと色んな味にチャレンジしてみればいいのにといつも思う。安パイばかりを選んでいたら人生損するよ。」
私はオムライスの卵をスプーンで掬って口に入れながら、由宇さんの話を複雑な気持ちで聞いていた。
たしかにひとつの考えに固執するのは、時間の浪費なのかもしれない。
でも人間、そんなに簡単に自分の思いを割り切れるものなのだろうか。
「でも真奈美さんの気持ち、わかります。
私もファンシーショップで買う雑貨はいつもクマさんイラストのものを選んでしまうし、飲み物はいつも同じ銘柄のお茶を買ってしまうし。
でもたまには冒険してみるのもいいかもしれない。」
「そうだよ。なんでもチャレンジが大事。
僕なんてサーテイーワンのアイスクリーム、全制覇したからね。」
「それってチャレンジなんですか?」
「立派なチャレンジだよ!」
私はおかしくなって、ナプキンで口についたビーフシチューを拭きながら、
思わず笑ってしまった。
「やっと笑ったね。」
由宇さんがテーブルから身体を乗り出して、私の目を覗き込んだ。
「え?」
「なんだかずっと元気がないみたいだったからさ。」
「そ、そんなこと・・・ないですけど」
いけない。
由宇さんの前でも、そんなに暗い顔をしていたのだろうか。
「それとも僕ばかりしゃべっているから、戸惑っちゃったかな?」
「そんなことないです。由宇さんの話、楽しいからずっと聞いていたいくらいです。」
「それはきっとつぐみちゃんが聞き上手だからだよ。」
由宇さんは相手を気遣うだけでなく、さりげなく相手を褒めることも忘れない。
そんな人たらしな由宇さんが戦国時代に生まれていたら、豊臣秀吉みたいにきっと出世することだろう。歌舞伎町のホストクラブに就職したら、多分指名一位になるに違いない。
「そういえばつぐみちゃんの家には居候のお兄さんが住んでいるんだってね。
姉貴が言っていた。」
「はい・・・まあ。」
「なかなかのイケメンなんだって?例のごとく姉貴がえらくご執心でさ。」
「でも真奈美さんだってモテるでしょ?あれだけ素敵な人ですもん。」
「それがそうでもないんだよね。ああ見えて姉貴って結構男勝りでさ。女みたいになよなよした男は大嫌いなくせに、男性ホルモンむんむんな男も嫌なんだって。要は理想が高いんだよね。
その点つぐみちゃん家のお兄さんは、男っぽいけど清潔感があって丁度いいって言ってたよ。」
「丁度いい・・・ですか」
それは自分が相手に釣り合っているという自信がないと出てこない言葉だ。
真奈美さんはまだ鹿内さんのことを諦めていないらしい。
「つぐみちゃんは彼氏とかいないの?」
由宇さんが急に核心を突いた質問を投げかけたので、私はうろたえてしまった。
「いませんよ。そんな人。」
「へえ。可愛いのにもったいないな。」
「可愛くなんかありません。それに私、中学からずっと女子校で育ってきたんです。
だから男の人と口をきくこともつい最近までなかったんです。」
「でも僕とはちゃんと話せてるじゃない。」
「それは由宇さんの並々ならぬコミュニケーション能力の高さの賜物ですよ。」
「それともその居候のお兄さんとやらのお陰なのかな?」
由宇さんはそう言うと、すくっと立ち上がった。
「さ。腹も膨れたし、散歩にでも行こうか。」
私も立ち上がると、バッグから財布を取り出した。
「ここは割り勘にしましょう。」
「何いってんだよ。こういう所では男が払うって決まってるの!」
そう言うと由宇さんは伝票を持って、スタスタとレジまで歩いて行ってしまった。
そのスマートな振る舞いに、私はあっけにとられていた。
店を出て、私達は街の南側にある「桜街公園」に向かった。
敷地の中央には池があり、春から秋にかけてはボートを乗ることもできる。
子供が喜びそうなアスレチック広場があったり、球技が出来る芝生があったりと、かなり大きな公園だ。小学校のときには遠足や図工の写生の場としてよく遠征したものだ。
桜の木は花びらが全部散ってしまい、来年に向けて緑色の葉が生い茂っている。
私達は池の周りを一回りすることにした。
池には鯉やフナが泳ぎ、鴨やシロサギといった鳥たちも気持ちよさそうに水辺に浮かんでいた。
由宇さんは色んな鳥や魚を発見するたびに、嬉しそうに喜んでいた。
「ほらっ!つぐみちゃん見て!あの木の枝にいるのはシジュウカラだよ!あ、メジロもいる。
可愛いなあ。」
まるで初めての生き物を見て興奮する男の子みたいだ。
可愛いのはアナタの方ですよ、由宇さん。
一通り一周した私達は、公園のベンチに座った。
「ちょっと疲れたね。休憩タイムにしよう。」
「結構距離ありますよね。」
私達はベンチで一息ついた。
空は青くて雲はふわふわと流れていて、鳥たちの鳴き声が心地よい。
夏なのに木陰にあるこのベンチは風も吹いているからか、涼しくて過ごしやすかった。
ベンチの上ですらりとした足を組んだ由宇さんは、空を見上げながらつぶやいた。
「あ~気持ちいいなあ。」
「はい。」
小鳥のさえずりを聞きながら、由宇さんが視線を宙に彷徨わせた。
「つぐみちゃんの顔を曇らせている悩み、もしよかったら僕に話してみない?
まだ知り合って間もないけど、だからこそ言えることってあると思うんだ。
誰かに話すことで、もしかしたら少しでも心が整理されるかもよ。」
「・・・・・・。」
「まあ、無理にとは言わないけど。」
そんな優しい言葉をかけられると泣きたくなってしまう。
私はともすると溢れそうな涙をこらえ、唇をきつく噛みしめた。
自分のまつ毛が小さく震えているのを感じる。
「試合終了の合図が聞こえないの。」
私の足元では鳩が怖がらずにエサもないのに歩いている。
「試合終了?」
「私、絶対負けたくないの。でも、もう負けが決まっている試合なの。」
「・・・・・・。」
「だから早く試合終了のホイッスルを聞きたいの。ううん。本当は聞きたくない。」
「・・・聞きたくないんだ?」
「私、どうしたらいいんだろう。」
「その相手も絶対に負けたくない試合なんだろうね。」
「え?それどういう・・・?」
「・・・・・・。」
由宇さんは膝を両手でパンッと叩くと、勢いよく立ち上がった。
「つぐみちゃん。そんな試合は放棄しちゃえばいいよ。
そしてまた新しい試合を始めればいい。
そんなに君を不安にさせる相手と試合続行するより、その方がずっとスッキリする。
今度はその試合を楽しめる相手とさ。」
「・・・・・・。」
由宇さんは次の瞬間、私の肩を抱き耳元に顔を近づけた。
「次の試合の相手、僕が立候補してもいいかな?」
それは先ほどの軽いノリとは一転、鼓膜の奥に響くような声音だった。
私は耳元に感じた吐息を振り切るように、パッと身体を離した。
「え・・・?」
「なんちゃってね。」
そう言ってほほ笑む由宇さんの笑顔は、幼子を見る保育士さんみたいに慈愛に満ちていた。
「それは・・・どういう・・・?」
「試合は、いつかは終る。それまで君を見守るとするよ。僕は気が長いんだ。」
「・・・・・・。」
「でもその試合が終わっても、また同じ相手と新しい試合が始まるかもしれないね。
僕としてはそうならないことを期待しているけど。」
そう言って私の手を取り、ベンチから立ち上がらせた。
「最後に僕からの忠告。片想いを長引かせないのが楽しく生きるコツだよ。
さ、僕の行きつけの店を紹介しよう。美味しいソフトクリーム屋さん。」
「はい。」
私はホッとしたような気の抜けたような脱力感に襲われた。
片想いを長引かせないのが楽しく生きるコツか・・・。
楽しくない時間だって、私には大切な時間なんだけどな。
でも話をしたことで気持ちが少し整理出来た気がする。
少なくとも、今の自分はまだこの恋の試合を終わらせたくない、ということを自覚できた。
それに自分を見守ってくれる人がいる・・・それはほんの少しだけ冷えた心を温めた。
そんなある日、私のスマホに由宇さんからのラインが着信されていた。
(明日空いている?この前の約束通り、街の案内してよ。由宇)
(いいですよ)
由宇さんには女友達に送るようなノリでパパッと気軽に返信できた。
(じゃ、明日のお昼にいつもの公園でね。つぐみちゃんとのデート、楽しみにしているね。)
ものすごく早いレスポンスがあった。
私は水玉のスマホケースを眺めながら、由宇さんとのラインのやりとりを再度読み返した。
これもデートっていうのかな?
正直、あまり気が乗らない。
鹿内さんと会えないのなら、家でじっとしていた方がマシだ。
・・・だめだめ。
そんなことじゃ鹿内さんの最も嫌いな、重くて面倒くさい女になっちゃう。
それにもう彼女役を解雇されんだもの。
私が誰と何をしたって、構わないはずだ。
上手くいけば鹿内さんのことを諦めるきっかけになるかもしれないし、ひとり部屋でもんもんと同じ思考をループさせているよりは、いい気分転換になるだろう。
次の日、私と由宇さんは公園で落ち合い、駅の裏側にあるこの街で一番美味しいと評判の洋食屋に行くことにした。「キッチン七瀬」という名前のこの洋食屋は、三ツ星レストランで修行を積んだコックが作ったお店で、瀟洒なレンガ造りの外装に、中は凱旋門やエッフェル塔の写真が飾られたフランスを意識したインテリアが施されている。
普段はお高めの値段設定だけれど、ランチメニューは学生でも手が届くように配慮してくれている。
「へえ。こんな所にレストランがあるなんて知らなかったよ。いつも駅前しか行かないから。」
「結構昔からあるんですよ。うちの両親も結婚記念日はこの店って決めているそうです。」
「ふーん。つぐみちゃん家のご両親は仲がいいんだね。」
「普通だと思いますけど。」
「普通でいることが実は一番難しかったりするんだよね。」
そうさらりと言うと、由宇さんはメニュー表を開いた。
白いテーブルクロスの上にはさりげなく赤い小さな花が一輪挿しに差されていた。
「この花はひなげしですね。」
私が言うと、由宇さんが前のめりで聞いてきた。
「ひなげしの花言葉って知ってる?」
「知らないです。」
「恋の予感っていうんだよ。」
「恋の予感?」
「そう。」
そう言って由宇さんは、人差し指と中指を合わせて、よろしくのポーズをしてみせた。
気障な仕草も様になる人だなと思いながら、私はメニュー表で顔を隠した。
由宇さんってほんとにイタリア人みたい。
「何を食べましょうか?」
「僕はビーフシチューにしようかな。」
「じゃあ私はオムライスで。」
「いいね!そうだ。二人でシェアしあわない?僕、色んな味を少しづつ食べるのが好きなんだ。」
「いいですね!」
注文の品が来ると私達はさらに小皿を用意してもらい、仲良く半分こしながら食べた。
食事中でも由宇さんは驚くほどよくしゃべった。
「僕の友人でね、このまえ大失恋しちゃったヤツがいるんだ。そいつを慰めるために一泊二日の旅行を仲間内で計画したんだよ。伊豆高原のペンションを予約してね。景色は綺麗だし空気も澄んでいて最高だった。」
伊豆高原は私も中学生の時、家族で行ったことがある。
「大室山の景色が壮大ですよね。あの辺りは博物館や美術館も沢山あるし」
「そうそう。アンティークジュエリー美術館には行ったことある?」
「ないです。」
「その失恋しちゃったヤツのたっての希望で、そこへ寄ったの。19世紀のヴィクトリア王朝時代に作られた豪華なジュエリーや衣装を展示していてさ。女ども全員が展示ドレスを試着してもう大騒ぎ。俺ら男はインスタ映えするように撮ってよね、とかなんとか言われて顎でこきつかわれたよ。女子って着るもので気分が上がるんだね。」
「へえ。素敵ですね。」
「失恋したその当人もすっかり元気になっちゃって、綺麗になって新しい恋みつけるぞ!なんて言っていたよ。」
「新しい恋・・・。」
「人生は長いようで短いからさ、気持ちも早く切り替えていかないとね。」
「・・・・・。」
「その点、姉貴はああ見えてひとつのことに固執するタイプなんだ。雑貨でも食べ物でも気に入るとそればかり買うんだよね。僕はパンが大好物なんだけど、姉貴はいつも自分の好きなクロワッサンとアンバター入りフランスというパンしか買ってこない。
もっと色んな味にチャレンジしてみればいいのにといつも思う。安パイばかりを選んでいたら人生損するよ。」
私はオムライスの卵をスプーンで掬って口に入れながら、由宇さんの話を複雑な気持ちで聞いていた。
たしかにひとつの考えに固執するのは、時間の浪費なのかもしれない。
でも人間、そんなに簡単に自分の思いを割り切れるものなのだろうか。
「でも真奈美さんの気持ち、わかります。
私もファンシーショップで買う雑貨はいつもクマさんイラストのものを選んでしまうし、飲み物はいつも同じ銘柄のお茶を買ってしまうし。
でもたまには冒険してみるのもいいかもしれない。」
「そうだよ。なんでもチャレンジが大事。
僕なんてサーテイーワンのアイスクリーム、全制覇したからね。」
「それってチャレンジなんですか?」
「立派なチャレンジだよ!」
私はおかしくなって、ナプキンで口についたビーフシチューを拭きながら、
思わず笑ってしまった。
「やっと笑ったね。」
由宇さんがテーブルから身体を乗り出して、私の目を覗き込んだ。
「え?」
「なんだかずっと元気がないみたいだったからさ。」
「そ、そんなこと・・・ないですけど」
いけない。
由宇さんの前でも、そんなに暗い顔をしていたのだろうか。
「それとも僕ばかりしゃべっているから、戸惑っちゃったかな?」
「そんなことないです。由宇さんの話、楽しいからずっと聞いていたいくらいです。」
「それはきっとつぐみちゃんが聞き上手だからだよ。」
由宇さんは相手を気遣うだけでなく、さりげなく相手を褒めることも忘れない。
そんな人たらしな由宇さんが戦国時代に生まれていたら、豊臣秀吉みたいにきっと出世することだろう。歌舞伎町のホストクラブに就職したら、多分指名一位になるに違いない。
「そういえばつぐみちゃんの家には居候のお兄さんが住んでいるんだってね。
姉貴が言っていた。」
「はい・・・まあ。」
「なかなかのイケメンなんだって?例のごとく姉貴がえらくご執心でさ。」
「でも真奈美さんだってモテるでしょ?あれだけ素敵な人ですもん。」
「それがそうでもないんだよね。ああ見えて姉貴って結構男勝りでさ。女みたいになよなよした男は大嫌いなくせに、男性ホルモンむんむんな男も嫌なんだって。要は理想が高いんだよね。
その点つぐみちゃん家のお兄さんは、男っぽいけど清潔感があって丁度いいって言ってたよ。」
「丁度いい・・・ですか」
それは自分が相手に釣り合っているという自信がないと出てこない言葉だ。
真奈美さんはまだ鹿内さんのことを諦めていないらしい。
「つぐみちゃんは彼氏とかいないの?」
由宇さんが急に核心を突いた質問を投げかけたので、私はうろたえてしまった。
「いませんよ。そんな人。」
「へえ。可愛いのにもったいないな。」
「可愛くなんかありません。それに私、中学からずっと女子校で育ってきたんです。
だから男の人と口をきくこともつい最近までなかったんです。」
「でも僕とはちゃんと話せてるじゃない。」
「それは由宇さんの並々ならぬコミュニケーション能力の高さの賜物ですよ。」
「それともその居候のお兄さんとやらのお陰なのかな?」
由宇さんはそう言うと、すくっと立ち上がった。
「さ。腹も膨れたし、散歩にでも行こうか。」
私も立ち上がると、バッグから財布を取り出した。
「ここは割り勘にしましょう。」
「何いってんだよ。こういう所では男が払うって決まってるの!」
そう言うと由宇さんは伝票を持って、スタスタとレジまで歩いて行ってしまった。
そのスマートな振る舞いに、私はあっけにとられていた。
店を出て、私達は街の南側にある「桜街公園」に向かった。
敷地の中央には池があり、春から秋にかけてはボートを乗ることもできる。
子供が喜びそうなアスレチック広場があったり、球技が出来る芝生があったりと、かなり大きな公園だ。小学校のときには遠足や図工の写生の場としてよく遠征したものだ。
桜の木は花びらが全部散ってしまい、来年に向けて緑色の葉が生い茂っている。
私達は池の周りを一回りすることにした。
池には鯉やフナが泳ぎ、鴨やシロサギといった鳥たちも気持ちよさそうに水辺に浮かんでいた。
由宇さんは色んな鳥や魚を発見するたびに、嬉しそうに喜んでいた。
「ほらっ!つぐみちゃん見て!あの木の枝にいるのはシジュウカラだよ!あ、メジロもいる。
可愛いなあ。」
まるで初めての生き物を見て興奮する男の子みたいだ。
可愛いのはアナタの方ですよ、由宇さん。
一通り一周した私達は、公園のベンチに座った。
「ちょっと疲れたね。休憩タイムにしよう。」
「結構距離ありますよね。」
私達はベンチで一息ついた。
空は青くて雲はふわふわと流れていて、鳥たちの鳴き声が心地よい。
夏なのに木陰にあるこのベンチは風も吹いているからか、涼しくて過ごしやすかった。
ベンチの上ですらりとした足を組んだ由宇さんは、空を見上げながらつぶやいた。
「あ~気持ちいいなあ。」
「はい。」
小鳥のさえずりを聞きながら、由宇さんが視線を宙に彷徨わせた。
「つぐみちゃんの顔を曇らせている悩み、もしよかったら僕に話してみない?
まだ知り合って間もないけど、だからこそ言えることってあると思うんだ。
誰かに話すことで、もしかしたら少しでも心が整理されるかもよ。」
「・・・・・・。」
「まあ、無理にとは言わないけど。」
そんな優しい言葉をかけられると泣きたくなってしまう。
私はともすると溢れそうな涙をこらえ、唇をきつく噛みしめた。
自分のまつ毛が小さく震えているのを感じる。
「試合終了の合図が聞こえないの。」
私の足元では鳩が怖がらずにエサもないのに歩いている。
「試合終了?」
「私、絶対負けたくないの。でも、もう負けが決まっている試合なの。」
「・・・・・・。」
「だから早く試合終了のホイッスルを聞きたいの。ううん。本当は聞きたくない。」
「・・・聞きたくないんだ?」
「私、どうしたらいいんだろう。」
「その相手も絶対に負けたくない試合なんだろうね。」
「え?それどういう・・・?」
「・・・・・・。」
由宇さんは膝を両手でパンッと叩くと、勢いよく立ち上がった。
「つぐみちゃん。そんな試合は放棄しちゃえばいいよ。
そしてまた新しい試合を始めればいい。
そんなに君を不安にさせる相手と試合続行するより、その方がずっとスッキリする。
今度はその試合を楽しめる相手とさ。」
「・・・・・・。」
由宇さんは次の瞬間、私の肩を抱き耳元に顔を近づけた。
「次の試合の相手、僕が立候補してもいいかな?」
それは先ほどの軽いノリとは一転、鼓膜の奥に響くような声音だった。
私は耳元に感じた吐息を振り切るように、パッと身体を離した。
「え・・・?」
「なんちゃってね。」
そう言ってほほ笑む由宇さんの笑顔は、幼子を見る保育士さんみたいに慈愛に満ちていた。
「それは・・・どういう・・・?」
「試合は、いつかは終る。それまで君を見守るとするよ。僕は気が長いんだ。」
「・・・・・・。」
「でもその試合が終わっても、また同じ相手と新しい試合が始まるかもしれないね。
僕としてはそうならないことを期待しているけど。」
そう言って私の手を取り、ベンチから立ち上がらせた。
「最後に僕からの忠告。片想いを長引かせないのが楽しく生きるコツだよ。
さ、僕の行きつけの店を紹介しよう。美味しいソフトクリーム屋さん。」
「はい。」
私はホッとしたような気の抜けたような脱力感に襲われた。
片想いを長引かせないのが楽しく生きるコツか・・・。
楽しくない時間だって、私には大切な時間なんだけどな。
でも話をしたことで気持ちが少し整理出来た気がする。
少なくとも、今の自分はまだこの恋の試合を終わらせたくない、ということを自覚できた。
それに自分を見守ってくれる人がいる・・・それはほんの少しだけ冷えた心を温めた。