愛を知るまでは★イチゴキャンディ編★
ファーストコンタクト①
その人は桜の花びらが散り、新緑が眩しい5月初めの土曜日に、大きなカバンひとつで我が家にやって来た。

ちょうど雨が降り始めた午後、我が家にピンポンと来客を知らせるベルが鳴った。

私は部屋に閉じこもったまま、カーテンを少し開けて外の様子を伺った。

今日は信二兄ちゃんが言っていた

「鹿内弘毅」

という男が来る日だ。

玄関には多分その人であろう背の高い男性が、傘も持たずに立っている。

ママが対応したのであろう、その人は扉の中に入っていった。

しばらくすると階下からママの呼ぶ声が聞こえてきた。

ああ、とうとうこの日が来てしまったか。

しかし子供じゃあるまいし、最初の挨拶くらいはしないとまずいだろう。

でもそれ以外は必要最小限の接触で済ませよう、と心に誓う。

階段を降りリビングに入ると、その男は信二兄ちゃんの定位置に座って、

ママの入れたお茶を飲んでいた。

ママはいそいそとお茶菓子を皿に移しながら私のほうに手を差しのべ、その男に言った。

「鹿内さん、娘のつぐみです。高校2年生なの。」

その人は私の方を見ると、席から立ちあがり、深く頭を前に倒して丁寧にお辞儀をした。

「鹿内弘毅です。今日からこの家のお世話になりますが、よろしくお願いします。」

体育会系らしく語尾の「す」に力がこもっている。

鹿内さんと呼ばれたその人はそう言うとさっと顔を上げた。

その瞳が私を射抜き、なぜかデジャブを感じた。

「・・・山本つぐみです。よろしくお願いします。」

私も慇懃無礼に挨拶をしてみせた。

意志の強そうな、それでいて影のある表情。

鋭いような、なにか激しい情熱を感じさせる瞳。

薄い唇は固く結ばれている。

どこかで見たことがあるような・・・でも初めて出会った人。

そしてその鋭い視線から一転、柔らかく目を細めた。

私はすぐに察知した。

ああ、社交辞令という名の仮面をかぶったのだな、と。

それは私がいつもやる方法だった。

そっちがその気なら、こっちだって社交辞令で接してやろうじゃないの。

まずは敵のフォルムを確認しなくちゃね。

ふーん。どれどれ。

黒いパーカーの下に白いTシャツ、そして穴あきジーパン。

体型は細マッチョという感じ。

少し長めの前髪に一重で切れ長の目。

顔面偏差値は信二兄ちゃんの言っていた通りかなり高め、イケメンという種族。

流行りの洋楽とか聴いてそう。

洋服は古着かファストファッション系、多分ユニクロ・GAPあたりだと思うけど、その容姿の良さで、服が安く見えない。

黒髪ロングでキレイな彼女と、自由ケ丘あたりの小洒落たカフェでデートしてそう。

私が彼を見定めていると、そんな私の考えなどお見通しだと言わんばかりに、鹿内という男は唇の右端を上げてみせた。きっと私のことも見定めているのだろう。

チビで地味なガキンチョ、とか思われてそうだな。

ま、別に鹿内さんにどう思われようと私には関係ないけどね。

よし!退散!!

急いでニ階に上がろうと階段に片足をかけた。

しかしママがその足を引き留めるように大声で

「つぐみもおやつ食べていきなさいよ!」

と叫び、その足を引き留められてしまった。

ママも鹿内さんと二人だけの空間にいるのが気まずいのだろう。

その声に有無を言わさないような響きを感じた。

私はひとつため息をつき、仕方なくテーブルの席に座った。

私の席の真正面に鹿内さんが、礼儀正しく真っすぐな姿勢で座っている。

さすがヤンキー上がりだけあって目上の人間には礼儀正しく接することが

慣れている佇まいだ。本音は鹿内さんだって早く部屋に戻りたいだろうに。

「鹿内さんは、ご兄弟はいるの?」

ママが無難な話題を振った。

鹿内さんは抑揚のない声を発した。

信二兄ちゃんより低く響きある声音だ。

「いません。俺、一人っ子なので。」

と言ったきり、出された茶菓子を黙々と食べていた。

「あら。つぐみも一人っ子なのよ。そのせいか我儘で困るわ。」

「私、我儘なんて言ったことないわよ」

私の言葉を無視するようにママは鹿内さんを質問攻めにしていった。

「早慶大学なんてとても良い大学に在学されているのね。すごいわ~。きっと沢山勉強されたんでしょうね。つぐみなんてまったく勉強しないのよ。家庭教師でも付けなきゃなんだけどね。

で、大学ではどんなことを勉強されているの?」

「教育学部です。」

「じゃあゆくゆくは学校の先生に?」

「そうですね。そうなれたらいいと思っていますが。」

「教科は?国語?数学?」

「社会科を担当出来ればいいと思っています。歴史が好きなので。」

「そう!歴史を!私も新選組は好きよ~。土方歳三って世良公則に似ていて恰好いいわよね。

あ、世良公則って知っている?ツイストっていうバンドを組んでいてね。

フフフフ、フフンーフフー♪ってね・・・」

「ママ!」

私は椅子から立ち上がり、ひとりで世良公則の曲を熱唱しだしたママの口を塞いだ。

鹿内さんの顔が引きつりながら、ちょっと後ろを向いている。

必死に笑いをこらえているのが分かった。

まったくわが母ながら恥ずかしい。

そんな鹿内さんの様子を気にも止めず、ママのマシンガントークは続く。

「ね。なんてお呼びすれば良いかしら?鹿内弘毅さん・・・だったわよね?

弘毅君・・・じゃ慣れ慣れしいわね。鹿内君でどうかしら?」

「はい。何とでもお呼びくださって結構です。鹿内君でも弘毅君でも。」

「じゃ、鹿内君。今日からここを第二の自分の家だと思って頂戴。ね、つぐみ。」

ママだってパパから話を聞いたときは反対していたはずなのに、その舌の根の乾かぬうちにもう鹿内さんの懐に入り込んでいる。

まったく、ウチのママはコミュ力の塊のような人だ。

「ね、つぐみ!」

ママに念を押すように2回言われ、目を瞬かせた。

「え?ええ・・まあ・・・はい。」

私は左斜めの方を向き、そしてゆっくりと頷いた。

なるべく鹿内さんと目を合わせないように。

すると鹿内さんはおもむろにパーカーのポケットに手を突っ込み、ピンク色の何かを二つ私の前に置いた。

よく見ると、それは子供の時によく食べた、イチゴキャンディだった。

「あ・・・え?」

「いや、俺がお菓子全部食べてしまったから。その代わりにと思って。」

鹿内さんは中身の入ってないカントリーマウムの袋の山を指さした。

まさか、私を餌付けしようと思っている?

そんなことぐらいで、心を許すと思ったら大間違いだからね。

「いりません。知らない人からモノをもらってはいけないという教育を受けていますので。」

「つぐみ!鹿内君がせっかくつぐみにってくださったのよ?

ママの教育のせいにしないで頂戴!ごめんなさいね、鹿内君。」

「いえいえ。全然気にしていません。」

鹿内さんは差し出したキャンディのピンク色の包み紙を開き、自分の口に放り込んだ。

この人は男のくせに、なぜポケットにキャンディなんて入れているのだろうか。

「鹿内君たら、甘いものがお好きなのかしら?」

私と同じことを思ったらしいママの質問に、鹿内さんは真顔で答えた。

「俺、煙草吸うんで、口寂しい時用にいつも常備しているんです。」

「そうなのね?そうだ。食べ物で嫌いなものとかない?」

「それならご心配には及びません。食べ物の好き嫌いはありませんから。」

「あらーそれは良いことだわ。つぐみにも見習って欲しいものよ。

つぐみはね、ニンジンとピーマンが食べられないのよ。

高校生にもなって困ったものだわ。」

鹿内さんは私の顔を見ると

「俺も昔はピーマン、苦手でした。」

とフォローし、私に向かってにっこり微笑んで、少し小首をかしげてみせた。

なんか嘘くさい微笑み!

私は鹿内さんに突っかかるように顎を持ち上げた。

「じゃあ鹿内さんは給食を全部食べきれなくて、給食後もひとりポツンと残されたなんてこともないんでしょうね。」

「うん。ないね。」

「私にはそういう屈辱的なことがあります。

担任の男が食べ物を粗末にするなっていう精神論者で。

そして掃除当番の男子が箒を持って私をはやし立てるんです。

埃が舞って、それでさらに食欲が失せるんです。」

「つぐみ、そんなことがあったの?」

ママが初耳だと言う顔をした。

だから男ってヤツは嫌いなのだ。

誰だって学校の給食にはひとつくらいそういう嫌いなメニューがあるものだ。

それを自分の価値観で押し付けて、いい気になって。

そんな私の考えを読んだかのように、

鹿内さんが片肘をついて可哀想な生き物を見るような目をした。

「それは大変だったね。俺がいたらその残した給食、全部食べてやったのに。」

「え・・・?」

「給食で何が苦手だったの?」

「堅焼きそばの五目あんかけとか・・・」

「俺の大好物だな。惜しかった。つぐみちゃんと同じクラスなら良かったのにね。」

そう言って鹿内さんはイチゴキャンディの包み紙をひらひらとさせた。
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