愛を知るまでは★イチゴキャンディ編★
偽の彼女?①
それから二日後の土曜日の夜、バイトが休みらしく、鹿内さんは珍しく家に居た。
夕食を食べ終わり、鹿内さんはベランダでひとり、アンニュイな雰囲気で煙草をふかしていた。
私はそっとベランダの戸を開け、鹿内さんの隣に立った。
もちろんかなりの距離を保つ。
しかしなんと言って切り出したらいいのかわからない。
そもそもパパと信二兄ちゃん、学校の先生以外の男の人と二人きりで話したことがない。
私の存在に気づいていないのか、気づかないふりをしているのか、鹿内さんは私の方を見ようともしなかった。
「・・・・・・。」
「・・・・・・。」
沈黙が続く中、私は思い切って口火を切った。
「もう夜でも空気が温かいですね。桜もほとんど散っちゃったし。」
「・・・ああ。そうだね。」
うん。時候の挨拶は日本人の基本だ。
間違ってないはず。
「・・・で?俺に何か用かな?」
鹿内さんは視線を庭の花壇の方へ向けたまま気だるそうに言った。
夜の暗闇のなかで、街頭に照らされた沈丁花の甘い香りが微かに匂う。
気のせいかもしれないけど、なんだかパパやママに見せる雰囲気とは違った空気を纏っている。リビングにいるときはもっと愛想がいいのに。
「えっと・・・ですね。ちょっと言いづらいのですが。」
鹿内さんは煙草をふかしながらも、辛抱強く私の言葉を待っていた。
「モモのことなんですけど。」
「モモ。」
「そうです。ウチで飼っているポメラニアンのモモです。散歩していますよね?朝に。」
「・・・ああ。しているけど?たまにね。」
鹿内さんは、それが何か?とでもいうようにそう言った。
「勝手にそういうことされると困るんですけど。」
「どうして?散歩してやっているのに、なにが不満なの?」
なんなの?
散歩してやっているって、その謎の上から目線!
「それになんでそれ知っているの?
俺は君がいないときにこっそり散歩しているつもりだったんだけど。」
「小太郎くんという柴犬を連れたお姉さんに聞いたんです。」
「ああ、あの柴犬。モモのこと、気に入っているみたいだな。」
鹿内さんが左肩を回すと、ぽきぽきと音が鳴った。
「あの!何度も言いますけど、モモは私の犬なので、
勝手に連れまわさないで頂きたいんですが。」
「なにそれ。モモがそう言ったの?」
「ふざけないでください。モモは犬なんだから話せるわけないでしょ?
見知らぬ他人のアナタに大切なモモの世話を任せるわけにはいかないんです。」
すると鹿内さんは煙草の煙をふうーっと吹きだしたあと、やっと私の方を向いた。
「見知らぬ他人のアナタって、同じ屋根の下に住んでいてそれはないんじゃない?」
「でも私にとってアナタはただの同居人であるだけですから。」
しかし鹿内さんは今までの文脈を無視して私にこう尋ねた。
「モモってミヒャエル・エンデから?」
「・・・そうですけど。」
「俺も小学生の時、読んだよ。」
「そうですか。」
私は投げやりにそう答えた。
そんな私の仏頂面など気にも留めず、鹿内さんは話を進めた。
「俺も犬飼っていたことあるから、一通り犬の扱いは知っているつもり。
だからそんなに心配しなくてもいいよ。」
「そうだとしても」
「俺が高校1年の頃に迎えたから、4年以上は飼っていた。」
「ちなみに・・・どんな犬ですか?」
ドーベルマンみたいな大型犬とウチのモモを一緒にしてもらっては困るのだ。
「トイプードル。」
「あっ・・・そうですか。」
モモと同じ小型犬だ。
「虹の橋を渡ってもう2年くらい経つかな。
俺にとっては兄弟みたいなものだったから、モモを見るとついマルコを思い出して。」
「マルコ?」
「俺の飼っていた犬の名前。
昔、母を訪ねて三千里っていうアニメがあってそれの主人公から付けた。」
母を訪ねて三千里か・・・昔読んだ世界アニメ絵本の中にそんな名前の物語があったような気もする。
たしか男の子がお母さんを探して旅に出る話だよね。
トイプードルのマルコ、か。
藍色の空に小さな星達がいくつも見える。
その星のひとつひとつをなぞるように、鹿内さんは遠い空を見上げていた。
お星さまになったマルコを探しているのだろうか。
鹿内さんも一人っ子だと言っていた。
きっと淋しくないようにって、ご両親に買ってもらったのだろう。
でも今では鹿内さんの側にそのトイプードルのマルコも両親もいないのだ。
そこは同情するけど、大切なモモのことをこの人に託してもいいのだろうか?
「だからたまにはモモと散歩させて貰えたら、俺としては嬉しいんだけど。」
「でも。」
「別にいいじゃない?犬にとって朝の散歩は嬉しいはずだし。」
さっきから強引な物言いを続ける鹿内さんを、私は不審気な目で見上げた。
パパやママがいないところでは年下の女なんか敬えないってわけ?
だから男ってヤツは嫌いなのだ。
「嫌です。」
「そう言わずにさ。」
「嫌です。」
「俺の癒しなんだよ、モモは。頼む!」
鹿内さんは両手を胸に合わせて首を垂れた。
今度は下から出て、同情心をあおるつもり?
「モモだって色んな人から可愛がられた方がより幸せだと思わない?」
「・・・・・・。」
「モモのこと、絶対大切にするから。」
そこまでしつこく食い下がられたら、イヤとは言えないではないか。
私はひとつため息をつくと、嫌々ながらも頷いた。
「わかりました。でもモモはとてもナイーブな性格なので、そこのところくれぐれもよろしくお願いします。歩幅はゆっくり目で、絶対に危険な目には合わせないように。」
「うし!」
鹿内さんは9回裏三打席目で三振をとった勝利投手みたいに小さくガッツポーズをして喜んだ。
「・・・それと小太郎くんっていう柴犬を連れた高坂真奈美さんっていうお姉さん、鹿内さんによろしくって言っていました。
あの人、鹿内さんに気があるみたいでしたよ。私、ちゃんと伝えましたから。」
「ふーん。」
興味ないという顔でそっけなく返事をする鹿内さんに、私は繰り返し言った。
「モモと小太郎君、仲良しみたいだから、真奈美さんにも愛想良くしてくださいね。」
「はいはい。わかったよ。」
鹿内さんは2本目の煙草に火をつけ、ベランダの手すりに背中を預けると、改めて私の顔をまじまじと見た。
「な、なんですか?」
「・・・えーと、君の名前、めぐみちゃん・・・だったっけ?」
はあ?!
名前間違えるとか失礼極まりない。
ほんとありえないんだけど。
だから男ってヤツは大雑把で無神経だから嫌いなのだ。
「つぐみ、ですけど」
「つ」のところだけを若干声を大きくして答える。
「悪いね。女の名前覚えるの苦手なんだよ、俺。」
鹿内さんは煙草を吹かしながら、投げやりにそう言った。
「信二には聞いていたけど、君、聞きしに勝る男嫌いなんだね。」
「それがなにか?」
「その原因も聞いたけどさ。」
信二兄ちゃんてばいくら親友だからって、余計なことまでしゃべらないでよ。
正直その話はしたくないし、されたくない。
同情されるのはまっぴらゴメンだし、それだけが原因じゃない。
「つぐみちゃんの気持ち、わかるなんて簡単にいうべきじゃないとは思うけどさ。
トラウマってなかなか消えないよな。だからそんなクソ野郎は死ねばいいと俺は思うね。
同じ男としてカテゴライズされると思うと胸糞悪い。」
鹿内さんはこれから人を殺しにいくような真に迫った言葉を吐いた。
「・・・・・・。」
「それに俺達、気が合うかもしれないよ?」
「気が合う?」
私は眉をひそめた。
「俺も女なんて大嫌いなんだ。」
鹿内さんは眉間を寄せ、思いっきり顔をしかめた。
「ガキの頃から強引に女子のおままごとに付き合わされてさ。小中高とバレンタインデーにチョコもらったから、ホワイトデーってヤツで全員に同じキャンディ配ったら、デリカシーないって詰め寄られるし。俺としては貴重な小遣い使ってそうとう気を使ったつもりなんだぜ。こっちからチョコ欲しいなんて、一言も言っていないのに。」
「はあ。」
「デートの場所だってどこでもいいって言うからお気に入りのラーメン屋に連れて行ったら、急に不機嫌になって、スマホいじりだす。だったら最初からラーメン屋じゃなくて洋食がいいとか中華がいいとかハッキリ言えばいいのに。」
「・・・・・・。」
「大事な用事が出来たからデートをキャンセルしたら私の他にも女がいるでしょって猜疑心の塊で迫って来る。挙句の果てに理由もわからず泣き出したり。」
「・・・・・・。」
「男同士の付き合いだって大事にしたいって気持ち、どうしてわからないのかね。もう女と関わるのはほとほと嫌気がさしていてさ。本当に女って面倒くさい。」
「だったら女性と付き合わなければよかったのでは?」
「でも何事もやってみなければわからないだろ?社会勉強だと思って何人かの女と付き合ってみたけど、女の身勝手さを思い知るだけだったよ。」
「・・・・・・。」
社会勉強で彼女作るなんて、この男ちょっとモテるからって最低。
それにこっちだってアンタの身勝手なモテ自慢に付き合わされる筋合いはないわよ。
・・・とはいえ、この男の言い分にも一理あるとは思う。
イケメンなだけに、きっと好きでもない女性に言い寄られることも、しょっちゅうあるのだろう。
私にも一回だけそういう経験がある。
小学6年のときに、隣のクラスの男子生徒に告白された。
名前ももう忘れてしまったけれど、女子に人気のある男子だった。何故に私なのかと思いながら丁重にお断りしたのに結構しつこくて、登下校中に付きまとわれて気持ち悪かった。
人気者だったからか、プライドが高くて自分が振られたことを受け入れられなかったらしく、
卒業式のその日まで、どこで手に入れたか私のメールに告白らしきものを連打してきた。
私はそのメールアドレスを速攻ブロックした。
「なんかそちらも色々と苦労していらっしゃるようで・・・御愁傷様です。
でも私にはまったく関係のないことなので、これからも勝手に社会勉強とやらで女性と付き合っていけばいいんじゃないですか?
それはそうとモモのことくれぐれも丁寧に扱ってくださいね。ではおやすみなさい。」
私はペコリとお辞儀をしてベランダを出ようとした。
「ちょっと待って。せっかくだからもう少し俺の話にもつき合ってよ。」
「なんですか?私これから明日の古典の予習をしなくちゃならないんです。
古典の五十嵐という男性教師は答えられないとネチネチと絡んでくるんです。
あんな男とマンツーマンで居残りさせられたら、死にそうになるんです。
話があるなら手短にお願いできますか?」
「いいね。その男に対して敵対心丸出しなカンジ。」
鹿内さんは心底嬉しそうに顔をほころばせた。
この男、マゾなのかな?
「つぐみちゃんさ、俺の彼女してくれない?」
「はあ?」
思いがけない鹿内さんの言葉に私の口は半開きのままフリーズした。
そして毅然とした態度で私は答えた。
「お断りします。さっきもいいましたけど私は男が大嫌いなんです。
それに私、アナタのことよく知りませんし。」
「それはおいおい知っていけばいいじゃない?それにつぐみちゃん、何か誤解してない?」
鹿内さんはひとつため息をつくと、吸い終わった煙草を携帯用灰皿に握りつぶした。
「君に頼みたいのは偽の彼女。恋人のフリしてくれればいいの。」
「アナタさっきから何わけのわからないことばかり言っているんですか?失礼します。」
そんな私を逃がさないとでもいうように、鹿内さんはベランダの戸口を自分の身体でふさいだ。
「もう少し考えてから決めたっていいんじゃない?」
「嫌です。そんなこと私には無理です。」
「そう即決せずに、これも社会勉強だと思ってさ。」
「私はアナタみたいに、社会勉強で好きでもない男と付き合うつもりはないので。」
「だからつき合うフリだって言っているだろ?」
鹿内さんは左の口角を上げて、ゆっくりと私の耳元に近づくと、こう囁いた。
「深い藍色をした有田焼の高級マグカップ」
「え?」
私の背中に鳥肌が立ち、小さく息をのんだ。
「ママが大事に保管していたものだよね?
パパが最初の結婚記念日に贈ったママの大切な宝物だっけ?」
「!?」
「もし割れていると知ったらママは悲しむだろうなあ?
今は戸棚の奥底に眠っているんだろうけど。
もしかしたら、誰かがその記憶を呼び覚ましてしまうかもしれないね。」
「誰かって・・・」
「例えば俺とか?」
「私を脅すんですか?!」
「人聞きの悪いこと言わないでくれるかな?これはあくまでも仮定の話だから。」
鹿内さんはいたずらっ子のように意地悪く微笑んで見せた。
私が唯一パパとママに隠しているパンドラの箱。
中学3年生の時にココアを飲もうとしてキッチンの戸棚を漁っていたときに、誤って白い長方形の箱を落としてしまった。
恐る恐る箱の中を開いてみると、以前ママが大事にしていると聞いていた藍色のマグカップが見事真っ二つに割れていた。
私はあわててその箱を戸棚の奥底に隠した。
そしてまず自分のお小遣いで弁償できないか、そのマグカップの値段を知るために某有名ネットショッピングサイトを検索してみた。
なんとその額、約5万円。
私のお小遣いではお年玉を入れても手が届かなかった。
高校に進学したときアルバイトをしたいとママに言ったことがあるけれど、ママには「今は学業に専念しなさい。お小遣いなら充分な額をあげているでしょう?」とあっさりダメ出しされてしまった。
あれから2年。まだあのマグカップが割れていることはママに気付かれていないと思う。
もう少し大人になったら、自分でお金を稼げるようになったら、きっと同じものを買ってそっと戻しておこうと誓った私だけの秘密。
一度だけ信二兄ちゃんに理由を話してお金を貸してもらおうとしたことがあったけれど、それは叶えられなかった。
信二兄ちゃんはこう私に諭した。
「つぐみ。俺が今ここで金を出してしまうのは簡単なことだ。けどな。
お前自身が作った金で弁償するのが一番の償いだと俺は思う。
というか、ぶっちゃけ俺も今、そんな金持ってないんだよ。
真理子さんには黙っとくから安心しな。」
信二兄ちゃんのバカ!!
こんな得体の知れない男に、私の人生最大級の秘密をばらして!!
こんどは私が深くため息をついた。
「なんでわざわざ私なんかに白羽の矢を立てる必要があるんですか?
性格はともかく、鹿内さんのそのルックスなら偽でもなんでも、彼女になってくれる女の子なんて掃いて捨てるほどいるでしょ。そもそも、どうして偽の彼女なんてものが必要なんですか?」
「言っただろ?俺は女なんか大嫌いだって。」
「それは聞きましたけど。」
「今現在、俺にしつこくつきまとってくる女が何人かいてさ。そいつらに彼女の存在を知らしめれば、諦めてくれるんじゃないか、と思っているわけ。でも大学の女は人間関係が複雑になるから頼めない。」
そして鹿内さんはピストルを撃つように、人差し指を私の方へ向けた。
「つぐみちゃん、君はまず男が嫌い。俺も女が嫌い。だからお互い好きになる要素がない。
だから割り切ってこの茶番を演じることが出来る。ここまではわかるよね?」
「まあ、わかりますけど・・・」
「そして君は、よく見るとなかなか可愛い。」
「それ褒めてます?」
「じゃあ言い直す。君は可愛い。」
「そんなお世辞には惑わされませんから。」
「俺はお世辞なんて言わない男だよ。ブスにはブスって言う。」
「うわ。最低。」
「いいか?良く聞けよ。可愛いというのは重要なファクターなんだ。
なんせ俺が惚れる女な訳だからな。」
「最低な上にナルシストですね。正直、ドン引きなんですけど。」
しかし鹿内さんは私の悪態を物ともせず、自分の言いたいことだけを滔々と話し続けた。
「そして君は花の女子高生。女子高生相手によろしくやっている男なんて気持ち悪いだろ?
だから君が彼女役をやってくれれば自然と女は俺から遠ざかることになる。
どう?我ながらナイスアイディア。」
「どこがナイスアイディアなんですか?アナタみたいな人に振られる女性が可哀想。
同じ女として同情します。」
「俺の方が可哀想だよ。好きでもない女に日常を脅かされてさ。」
「それに、それ私にメリットあります?」
「メリットしかないよ。まず俺みたいないい男を彼氏として友達に自慢出来る。」
「はあ?よく自分でそういうこと言えますね。」
「そして無事作戦が成功したら、その有田焼のマグカップとやらを俺のポケットマネーで購入しよう。約束する。」
「!!」
私は頭の中で計算を巡らせた。
この男の言うことを聞かなければ、パンドラの箱が開かれてしまう可能性が高くなる。
しかし言うことを聞けば、パンドラの箱は閉じたままになり、うまくいけばパンドラの箱自体が無くなるということだ。
「そしてもうひとつのメリット。」
鹿内さんはパンっと両手を叩いた。
「俺と君が仲良くすれば、君の男嫌いが治ったということで、周りの皆を安心させることが出来る。信二はつぐみちゃんのこと、内心すごく心配しているんだぜ。それわかっている?」
「それはちゃんとわかっていますけど。」
「そんなに悪い条件じゃないと思うけどな。」
「パパにバレたら殺されますよ?」
「君のパパに殺されることぐらい、どうってことない。」
鹿内さんはそうあっけらかんと言い放った。
「・・・その偽彼女とやらになれば、絶対ママに内緒にしてくれるんですよね?」
「ああ。」
「ホントのホントに黙っていてくれますか?」
「うん。君が引き受けてくれればね。」
「絶対ですね?!」
「ああ。約束する。」
鹿内さんの彼女役と有田焼のマグカップ。
天秤にかけると、有田焼のマグカップの方にぐんと天秤皿が傾いた。
私は決心した。
あのマグカップをいち早く取り戻すために、多少の犠牲を払うことを。
「そういう条件なら・・・お引き受けします。本当は嫌ですけど。でも有田焼のマグカップの代金は自分で働いてお金を稼げるようになったら必ずお返しします。」
「律儀だなあ。まあいいけど。では交渉成立ってことで。」
鹿内さんはそうなることが当然だという態度でそう言うと、サッと右手を差し出した。
私もおそるおそる右手を差し出し、仕方なく握手をした。
「でも偽彼女って、具体的には何すればいいんですか?
彼女役なんてどう振舞ったらいいかわかりません。」
「そうだな・・・。」
しばし鹿内さんは視線を宙にさまよわせた。
「まずは俺に慣れてもらわないとね。とりあえずモモの散歩、一緒に行ってみる?」
「・・・いいですけど。」
「じゃあそういうことで。明日7時30分に玄関前集合。それじゃおやすみ。」
そう言い残すと鹿内さんは、私のおやすみなさいを待つまでもなく、あっという間にベランダから出て行った。
なんだか大変なことになっちゃったな。
それにしても鹿内さん、私の毅然とした拒絶の言葉を聞いても、ずっと嬉しそうな顔していた。
変な人だ。なんだか調子狂っちゃう。
私はまたひとつため息をつき、暖かい夜風に吹かれていた。
夕食を食べ終わり、鹿内さんはベランダでひとり、アンニュイな雰囲気で煙草をふかしていた。
私はそっとベランダの戸を開け、鹿内さんの隣に立った。
もちろんかなりの距離を保つ。
しかしなんと言って切り出したらいいのかわからない。
そもそもパパと信二兄ちゃん、学校の先生以外の男の人と二人きりで話したことがない。
私の存在に気づいていないのか、気づかないふりをしているのか、鹿内さんは私の方を見ようともしなかった。
「・・・・・・。」
「・・・・・・。」
沈黙が続く中、私は思い切って口火を切った。
「もう夜でも空気が温かいですね。桜もほとんど散っちゃったし。」
「・・・ああ。そうだね。」
うん。時候の挨拶は日本人の基本だ。
間違ってないはず。
「・・・で?俺に何か用かな?」
鹿内さんは視線を庭の花壇の方へ向けたまま気だるそうに言った。
夜の暗闇のなかで、街頭に照らされた沈丁花の甘い香りが微かに匂う。
気のせいかもしれないけど、なんだかパパやママに見せる雰囲気とは違った空気を纏っている。リビングにいるときはもっと愛想がいいのに。
「えっと・・・ですね。ちょっと言いづらいのですが。」
鹿内さんは煙草をふかしながらも、辛抱強く私の言葉を待っていた。
「モモのことなんですけど。」
「モモ。」
「そうです。ウチで飼っているポメラニアンのモモです。散歩していますよね?朝に。」
「・・・ああ。しているけど?たまにね。」
鹿内さんは、それが何か?とでもいうようにそう言った。
「勝手にそういうことされると困るんですけど。」
「どうして?散歩してやっているのに、なにが不満なの?」
なんなの?
散歩してやっているって、その謎の上から目線!
「それになんでそれ知っているの?
俺は君がいないときにこっそり散歩しているつもりだったんだけど。」
「小太郎くんという柴犬を連れたお姉さんに聞いたんです。」
「ああ、あの柴犬。モモのこと、気に入っているみたいだな。」
鹿内さんが左肩を回すと、ぽきぽきと音が鳴った。
「あの!何度も言いますけど、モモは私の犬なので、
勝手に連れまわさないで頂きたいんですが。」
「なにそれ。モモがそう言ったの?」
「ふざけないでください。モモは犬なんだから話せるわけないでしょ?
見知らぬ他人のアナタに大切なモモの世話を任せるわけにはいかないんです。」
すると鹿内さんは煙草の煙をふうーっと吹きだしたあと、やっと私の方を向いた。
「見知らぬ他人のアナタって、同じ屋根の下に住んでいてそれはないんじゃない?」
「でも私にとってアナタはただの同居人であるだけですから。」
しかし鹿内さんは今までの文脈を無視して私にこう尋ねた。
「モモってミヒャエル・エンデから?」
「・・・そうですけど。」
「俺も小学生の時、読んだよ。」
「そうですか。」
私は投げやりにそう答えた。
そんな私の仏頂面など気にも留めず、鹿内さんは話を進めた。
「俺も犬飼っていたことあるから、一通り犬の扱いは知っているつもり。
だからそんなに心配しなくてもいいよ。」
「そうだとしても」
「俺が高校1年の頃に迎えたから、4年以上は飼っていた。」
「ちなみに・・・どんな犬ですか?」
ドーベルマンみたいな大型犬とウチのモモを一緒にしてもらっては困るのだ。
「トイプードル。」
「あっ・・・そうですか。」
モモと同じ小型犬だ。
「虹の橋を渡ってもう2年くらい経つかな。
俺にとっては兄弟みたいなものだったから、モモを見るとついマルコを思い出して。」
「マルコ?」
「俺の飼っていた犬の名前。
昔、母を訪ねて三千里っていうアニメがあってそれの主人公から付けた。」
母を訪ねて三千里か・・・昔読んだ世界アニメ絵本の中にそんな名前の物語があったような気もする。
たしか男の子がお母さんを探して旅に出る話だよね。
トイプードルのマルコ、か。
藍色の空に小さな星達がいくつも見える。
その星のひとつひとつをなぞるように、鹿内さんは遠い空を見上げていた。
お星さまになったマルコを探しているのだろうか。
鹿内さんも一人っ子だと言っていた。
きっと淋しくないようにって、ご両親に買ってもらったのだろう。
でも今では鹿内さんの側にそのトイプードルのマルコも両親もいないのだ。
そこは同情するけど、大切なモモのことをこの人に託してもいいのだろうか?
「だからたまにはモモと散歩させて貰えたら、俺としては嬉しいんだけど。」
「でも。」
「別にいいじゃない?犬にとって朝の散歩は嬉しいはずだし。」
さっきから強引な物言いを続ける鹿内さんを、私は不審気な目で見上げた。
パパやママがいないところでは年下の女なんか敬えないってわけ?
だから男ってヤツは嫌いなのだ。
「嫌です。」
「そう言わずにさ。」
「嫌です。」
「俺の癒しなんだよ、モモは。頼む!」
鹿内さんは両手を胸に合わせて首を垂れた。
今度は下から出て、同情心をあおるつもり?
「モモだって色んな人から可愛がられた方がより幸せだと思わない?」
「・・・・・・。」
「モモのこと、絶対大切にするから。」
そこまでしつこく食い下がられたら、イヤとは言えないではないか。
私はひとつため息をつくと、嫌々ながらも頷いた。
「わかりました。でもモモはとてもナイーブな性格なので、そこのところくれぐれもよろしくお願いします。歩幅はゆっくり目で、絶対に危険な目には合わせないように。」
「うし!」
鹿内さんは9回裏三打席目で三振をとった勝利投手みたいに小さくガッツポーズをして喜んだ。
「・・・それと小太郎くんっていう柴犬を連れた高坂真奈美さんっていうお姉さん、鹿内さんによろしくって言っていました。
あの人、鹿内さんに気があるみたいでしたよ。私、ちゃんと伝えましたから。」
「ふーん。」
興味ないという顔でそっけなく返事をする鹿内さんに、私は繰り返し言った。
「モモと小太郎君、仲良しみたいだから、真奈美さんにも愛想良くしてくださいね。」
「はいはい。わかったよ。」
鹿内さんは2本目の煙草に火をつけ、ベランダの手すりに背中を預けると、改めて私の顔をまじまじと見た。
「な、なんですか?」
「・・・えーと、君の名前、めぐみちゃん・・・だったっけ?」
はあ?!
名前間違えるとか失礼極まりない。
ほんとありえないんだけど。
だから男ってヤツは大雑把で無神経だから嫌いなのだ。
「つぐみ、ですけど」
「つ」のところだけを若干声を大きくして答える。
「悪いね。女の名前覚えるの苦手なんだよ、俺。」
鹿内さんは煙草を吹かしながら、投げやりにそう言った。
「信二には聞いていたけど、君、聞きしに勝る男嫌いなんだね。」
「それがなにか?」
「その原因も聞いたけどさ。」
信二兄ちゃんてばいくら親友だからって、余計なことまでしゃべらないでよ。
正直その話はしたくないし、されたくない。
同情されるのはまっぴらゴメンだし、それだけが原因じゃない。
「つぐみちゃんの気持ち、わかるなんて簡単にいうべきじゃないとは思うけどさ。
トラウマってなかなか消えないよな。だからそんなクソ野郎は死ねばいいと俺は思うね。
同じ男としてカテゴライズされると思うと胸糞悪い。」
鹿内さんはこれから人を殺しにいくような真に迫った言葉を吐いた。
「・・・・・・。」
「それに俺達、気が合うかもしれないよ?」
「気が合う?」
私は眉をひそめた。
「俺も女なんて大嫌いなんだ。」
鹿内さんは眉間を寄せ、思いっきり顔をしかめた。
「ガキの頃から強引に女子のおままごとに付き合わされてさ。小中高とバレンタインデーにチョコもらったから、ホワイトデーってヤツで全員に同じキャンディ配ったら、デリカシーないって詰め寄られるし。俺としては貴重な小遣い使ってそうとう気を使ったつもりなんだぜ。こっちからチョコ欲しいなんて、一言も言っていないのに。」
「はあ。」
「デートの場所だってどこでもいいって言うからお気に入りのラーメン屋に連れて行ったら、急に不機嫌になって、スマホいじりだす。だったら最初からラーメン屋じゃなくて洋食がいいとか中華がいいとかハッキリ言えばいいのに。」
「・・・・・・。」
「大事な用事が出来たからデートをキャンセルしたら私の他にも女がいるでしょって猜疑心の塊で迫って来る。挙句の果てに理由もわからず泣き出したり。」
「・・・・・・。」
「男同士の付き合いだって大事にしたいって気持ち、どうしてわからないのかね。もう女と関わるのはほとほと嫌気がさしていてさ。本当に女って面倒くさい。」
「だったら女性と付き合わなければよかったのでは?」
「でも何事もやってみなければわからないだろ?社会勉強だと思って何人かの女と付き合ってみたけど、女の身勝手さを思い知るだけだったよ。」
「・・・・・・。」
社会勉強で彼女作るなんて、この男ちょっとモテるからって最低。
それにこっちだってアンタの身勝手なモテ自慢に付き合わされる筋合いはないわよ。
・・・とはいえ、この男の言い分にも一理あるとは思う。
イケメンなだけに、きっと好きでもない女性に言い寄られることも、しょっちゅうあるのだろう。
私にも一回だけそういう経験がある。
小学6年のときに、隣のクラスの男子生徒に告白された。
名前ももう忘れてしまったけれど、女子に人気のある男子だった。何故に私なのかと思いながら丁重にお断りしたのに結構しつこくて、登下校中に付きまとわれて気持ち悪かった。
人気者だったからか、プライドが高くて自分が振られたことを受け入れられなかったらしく、
卒業式のその日まで、どこで手に入れたか私のメールに告白らしきものを連打してきた。
私はそのメールアドレスを速攻ブロックした。
「なんかそちらも色々と苦労していらっしゃるようで・・・御愁傷様です。
でも私にはまったく関係のないことなので、これからも勝手に社会勉強とやらで女性と付き合っていけばいいんじゃないですか?
それはそうとモモのことくれぐれも丁寧に扱ってくださいね。ではおやすみなさい。」
私はペコリとお辞儀をしてベランダを出ようとした。
「ちょっと待って。せっかくだからもう少し俺の話にもつき合ってよ。」
「なんですか?私これから明日の古典の予習をしなくちゃならないんです。
古典の五十嵐という男性教師は答えられないとネチネチと絡んでくるんです。
あんな男とマンツーマンで居残りさせられたら、死にそうになるんです。
話があるなら手短にお願いできますか?」
「いいね。その男に対して敵対心丸出しなカンジ。」
鹿内さんは心底嬉しそうに顔をほころばせた。
この男、マゾなのかな?
「つぐみちゃんさ、俺の彼女してくれない?」
「はあ?」
思いがけない鹿内さんの言葉に私の口は半開きのままフリーズした。
そして毅然とした態度で私は答えた。
「お断りします。さっきもいいましたけど私は男が大嫌いなんです。
それに私、アナタのことよく知りませんし。」
「それはおいおい知っていけばいいじゃない?それにつぐみちゃん、何か誤解してない?」
鹿内さんはひとつため息をつくと、吸い終わった煙草を携帯用灰皿に握りつぶした。
「君に頼みたいのは偽の彼女。恋人のフリしてくれればいいの。」
「アナタさっきから何わけのわからないことばかり言っているんですか?失礼します。」
そんな私を逃がさないとでもいうように、鹿内さんはベランダの戸口を自分の身体でふさいだ。
「もう少し考えてから決めたっていいんじゃない?」
「嫌です。そんなこと私には無理です。」
「そう即決せずに、これも社会勉強だと思ってさ。」
「私はアナタみたいに、社会勉強で好きでもない男と付き合うつもりはないので。」
「だからつき合うフリだって言っているだろ?」
鹿内さんは左の口角を上げて、ゆっくりと私の耳元に近づくと、こう囁いた。
「深い藍色をした有田焼の高級マグカップ」
「え?」
私の背中に鳥肌が立ち、小さく息をのんだ。
「ママが大事に保管していたものだよね?
パパが最初の結婚記念日に贈ったママの大切な宝物だっけ?」
「!?」
「もし割れていると知ったらママは悲しむだろうなあ?
今は戸棚の奥底に眠っているんだろうけど。
もしかしたら、誰かがその記憶を呼び覚ましてしまうかもしれないね。」
「誰かって・・・」
「例えば俺とか?」
「私を脅すんですか?!」
「人聞きの悪いこと言わないでくれるかな?これはあくまでも仮定の話だから。」
鹿内さんはいたずらっ子のように意地悪く微笑んで見せた。
私が唯一パパとママに隠しているパンドラの箱。
中学3年生の時にココアを飲もうとしてキッチンの戸棚を漁っていたときに、誤って白い長方形の箱を落としてしまった。
恐る恐る箱の中を開いてみると、以前ママが大事にしていると聞いていた藍色のマグカップが見事真っ二つに割れていた。
私はあわててその箱を戸棚の奥底に隠した。
そしてまず自分のお小遣いで弁償できないか、そのマグカップの値段を知るために某有名ネットショッピングサイトを検索してみた。
なんとその額、約5万円。
私のお小遣いではお年玉を入れても手が届かなかった。
高校に進学したときアルバイトをしたいとママに言ったことがあるけれど、ママには「今は学業に専念しなさい。お小遣いなら充分な額をあげているでしょう?」とあっさりダメ出しされてしまった。
あれから2年。まだあのマグカップが割れていることはママに気付かれていないと思う。
もう少し大人になったら、自分でお金を稼げるようになったら、きっと同じものを買ってそっと戻しておこうと誓った私だけの秘密。
一度だけ信二兄ちゃんに理由を話してお金を貸してもらおうとしたことがあったけれど、それは叶えられなかった。
信二兄ちゃんはこう私に諭した。
「つぐみ。俺が今ここで金を出してしまうのは簡単なことだ。けどな。
お前自身が作った金で弁償するのが一番の償いだと俺は思う。
というか、ぶっちゃけ俺も今、そんな金持ってないんだよ。
真理子さんには黙っとくから安心しな。」
信二兄ちゃんのバカ!!
こんな得体の知れない男に、私の人生最大級の秘密をばらして!!
こんどは私が深くため息をついた。
「なんでわざわざ私なんかに白羽の矢を立てる必要があるんですか?
性格はともかく、鹿内さんのそのルックスなら偽でもなんでも、彼女になってくれる女の子なんて掃いて捨てるほどいるでしょ。そもそも、どうして偽の彼女なんてものが必要なんですか?」
「言っただろ?俺は女なんか大嫌いだって。」
「それは聞きましたけど。」
「今現在、俺にしつこくつきまとってくる女が何人かいてさ。そいつらに彼女の存在を知らしめれば、諦めてくれるんじゃないか、と思っているわけ。でも大学の女は人間関係が複雑になるから頼めない。」
そして鹿内さんはピストルを撃つように、人差し指を私の方へ向けた。
「つぐみちゃん、君はまず男が嫌い。俺も女が嫌い。だからお互い好きになる要素がない。
だから割り切ってこの茶番を演じることが出来る。ここまではわかるよね?」
「まあ、わかりますけど・・・」
「そして君は、よく見るとなかなか可愛い。」
「それ褒めてます?」
「じゃあ言い直す。君は可愛い。」
「そんなお世辞には惑わされませんから。」
「俺はお世辞なんて言わない男だよ。ブスにはブスって言う。」
「うわ。最低。」
「いいか?良く聞けよ。可愛いというのは重要なファクターなんだ。
なんせ俺が惚れる女な訳だからな。」
「最低な上にナルシストですね。正直、ドン引きなんですけど。」
しかし鹿内さんは私の悪態を物ともせず、自分の言いたいことだけを滔々と話し続けた。
「そして君は花の女子高生。女子高生相手によろしくやっている男なんて気持ち悪いだろ?
だから君が彼女役をやってくれれば自然と女は俺から遠ざかることになる。
どう?我ながらナイスアイディア。」
「どこがナイスアイディアなんですか?アナタみたいな人に振られる女性が可哀想。
同じ女として同情します。」
「俺の方が可哀想だよ。好きでもない女に日常を脅かされてさ。」
「それに、それ私にメリットあります?」
「メリットしかないよ。まず俺みたいないい男を彼氏として友達に自慢出来る。」
「はあ?よく自分でそういうこと言えますね。」
「そして無事作戦が成功したら、その有田焼のマグカップとやらを俺のポケットマネーで購入しよう。約束する。」
「!!」
私は頭の中で計算を巡らせた。
この男の言うことを聞かなければ、パンドラの箱が開かれてしまう可能性が高くなる。
しかし言うことを聞けば、パンドラの箱は閉じたままになり、うまくいけばパンドラの箱自体が無くなるということだ。
「そしてもうひとつのメリット。」
鹿内さんはパンっと両手を叩いた。
「俺と君が仲良くすれば、君の男嫌いが治ったということで、周りの皆を安心させることが出来る。信二はつぐみちゃんのこと、内心すごく心配しているんだぜ。それわかっている?」
「それはちゃんとわかっていますけど。」
「そんなに悪い条件じゃないと思うけどな。」
「パパにバレたら殺されますよ?」
「君のパパに殺されることぐらい、どうってことない。」
鹿内さんはそうあっけらかんと言い放った。
「・・・その偽彼女とやらになれば、絶対ママに内緒にしてくれるんですよね?」
「ああ。」
「ホントのホントに黙っていてくれますか?」
「うん。君が引き受けてくれればね。」
「絶対ですね?!」
「ああ。約束する。」
鹿内さんの彼女役と有田焼のマグカップ。
天秤にかけると、有田焼のマグカップの方にぐんと天秤皿が傾いた。
私は決心した。
あのマグカップをいち早く取り戻すために、多少の犠牲を払うことを。
「そういう条件なら・・・お引き受けします。本当は嫌ですけど。でも有田焼のマグカップの代金は自分で働いてお金を稼げるようになったら必ずお返しします。」
「律儀だなあ。まあいいけど。では交渉成立ってことで。」
鹿内さんはそうなることが当然だという態度でそう言うと、サッと右手を差し出した。
私もおそるおそる右手を差し出し、仕方なく握手をした。
「でも偽彼女って、具体的には何すればいいんですか?
彼女役なんてどう振舞ったらいいかわかりません。」
「そうだな・・・。」
しばし鹿内さんは視線を宙にさまよわせた。
「まずは俺に慣れてもらわないとね。とりあえずモモの散歩、一緒に行ってみる?」
「・・・いいですけど。」
「じゃあそういうことで。明日7時30分に玄関前集合。それじゃおやすみ。」
そう言い残すと鹿内さんは、私のおやすみなさいを待つまでもなく、あっという間にベランダから出て行った。
なんだか大変なことになっちゃったな。
それにしても鹿内さん、私の毅然とした拒絶の言葉を聞いても、ずっと嬉しそうな顔していた。
変な人だ。なんだか調子狂っちゃう。
私はまたひとつため息をつき、暖かい夜風に吹かれていた。