愛を知るまでは★イチゴキャンディ編★
偽の彼女?②
翌朝は日曜日だったのでカーテンの隙間から差し込む太陽の光を感じつつ、ベッドから飛び起きた。
平日は早起きして学校に行かなければならないので、休みの日くらいはゆっくりしたい。
したいけど今朝はいつもより早く目が覚めてしまった。
鹿内さんとモモの散歩に行く約束があるから。
たったそれだけのことなのに、身体がやけに緊張している。
それにしても何着ていこう?
まあ気合いれるような服なんて持っていないのだけれど。
たかが散歩でお洒落しても恥ずかしいし、気合入っていると思われるのも嫌だし。
一応私の持っている服の中ではオシャレ着に属する、お気に入りの紺のトレーナーにGパンという無難な恰好に落ち着いた。
7時30分ピッタリに玄関へいくと黒いブルゾンにチノパンを履いた鹿内さんが、モモを抱きあげながら立っていた。
「おはよう。」
「おはようございます。早いですね。」
「俺はいつも5分前行動をとるようにしているからな。運動部の基本だ。」
「はあ。そうですか・・・」
「なんだ。眠そうだな。根性いれて、シャキッとしろよ!」
「ええ~?・・・はい。」
まだ覚醒していない脳内にエンジンをかけながら、私はスニーカーを履いた。
これだから体育会系の男は苦手だ。
暑苦しいし、なんでも根性論に結び付ける。
鹿内さんが玄関を開けると、モモは嬉しそうにキャンキャンと吠えながらリードを引っ張っていった。私はちょっと離れて、その大きな背中の後ろを追いかけた。
外に出ると5月の朝の風がふわりと頬を撫でて、気持ちよかった
新緑の季節だからか、どの花も緑もきらきらと輝いて見える。
朝の散歩もありだな、と思う。
鹿内さんがもうちょっとゆっくり歩いてくれたら、の話だけど。
鹿内さんは慣れた風にモモのリードをひっぱっていく。
私はぜえぜえと息を切らしながら、小走りをする鹿内さんに声を掛けた。
「あの、鹿内さん?」
「なに?」
「散歩ってもうちょっとゆっくり歩いてするものじゃないですかね?
こう新緑を愛でながら、季節の香りを感じたりして。
これじゃまるでジョギングじゃないですか。」
「何寝ぼけたこと言っているんだ?散歩は運動だ。ほらモモだって喜んでいるだろ?」
たしかにモモは嬉しそうにトコトコと鹿内さんのペースで走っている。
私も小走りで鹿内さんの後ろをついていく。
それは彼氏と彼女というよりは、生徒とそのコーチみたいに周りからは見えるだろう。
しばらく歩くとやっといつもの公園が見えてきた。
「よし。ちょっと休憩するか。」
鹿内さんも私と同じ散歩コースを選んでいるようだ。
古ぼけたベンチに距離を置いて私と鹿内さんは座った。
私はまだぜいぜいと息を切らしながら、ベンチに腰掛けた。
こんなマイペースな男に振り回されるなんて冗談じゃない!
けれど一度引きうけてしまったからにはやるしかないか・・・。
少しの沈黙のあと、ふいに鹿内さんが言った。
「つぐみ・・・っていい名前だな。」
「そうですか?」
私は自分自身が褒められているようで、ちょっと嬉しくなった。
「ツグミって鳥がいるんです」
「ほう。」
「父と母が初めてデートした時に、その鳥が木の上で鳴いていたそうです。」
「ふーん。それはロマンチックなことで。」
「なんか馬鹿にしてません?」
「いやいや。素敵なおハナシだと思って。」
自分から聞いておいて、まったく興味なさそうに、鹿内さんは鼻をならした。
その時モモがキャンキャンと嬉しそうに吠え出した。
見ると公園内に入ってくるのは真奈美さんと小太郎だった。
今日も真奈美さんはオフホワイト色の綿の長袖ワンピースに
黄色いサンダルという女子力高めな恰好をしている。
小太郎を連れた真奈美さんは私達のいるベンチの側まで来ると、にこりとほほ笑んだ。
「おはようございます。つぐみちゃんと、‥‥鹿内さん?」
「おはようございます。高坂さん。」
「おはようございます。」
鹿内さんもコクリと頭を下げた。
「真奈美でいいわ。」
高坂さんはそう言ってワンピースの裾を翻した。
小太郎はクイーンクイーンとモモに身体を摺り寄せている。
どうやら犬同士の方がコミュニケーション能力は高いようだ。
「つぐみちゃん。俺、飲み物買ってくるよ。今日は俺のおごり。感謝しろよな。」
「どうも」
この男は親切も押し付けがましい。
「あら。それならウチでお茶でも飲んでいかない?」
真奈美さんはパチンと手を叩いて両手を顔の前に合わせた。
「お二人がそろっているのも珍しいし、私最近引っ越してきたばかりだからお友達が欲しくて。
私のウチ、すぐそこなのよ。」
「私はいいですけど・・・」
「俺は遠慮しておきます。先帰ってシャワーでも浴びたいんで。」
鹿内さんはすげなく言うと、リードを私に手渡した。
「そんなこと言わないで鹿内さんもご一緒しましょうよ。
ウチに頂きもののどら焼きが食べきれないほどあるの。
小太郎とモモちゃんももう少し一緒に遊ばせてあげたいし。」
「どら焼き?」
鹿内さんの甘いもの好きセンサーが反応したようだった。
「ちなみに宝太郎本舗のお取り寄せどら焼きよ。」
「つぐみちゃん。せっかくだからお邪魔しようか?」
鹿内さんはさっきまでの態度とはうって変わり、口元が緩んだ。
真奈美さんの家は公園の南側に位置する、レンガ張りのマンションの3階だった。
こじんまりとした造りだけれど、エントランスのガラスがレトロ調な飴色になっていて、オートロックも付いている。
エレベーターに3人プラス2匹が乗り込むと、3階まではすぐだった。
鹿内さんはすかさず開けのボタンを押すと私達を先に促す。
ふーん。鹿内さんってこういうスマートな所作も出来るんだ。
302号室のドアのカギを真奈美さんが開けると、
シンプルモダンな玄関にはドライフラワーが壁に飾られていた。
「どうぞ。中に入って。」
細長い廊下を進むと12畳はあると思われるリビングに茶系の家具が並んでいた。
私達は家具の茶系と調和のとれた黄色いソファに並んで座った。
「今お茶を入れるわね。」
真奈美さんはリビングとつながったキッチンに入ると、
白いカップとソーサーを戸棚から取り出した
広い壁にはブルーの空をモチーフにした絵画が飾られていて、
隅々からセンスの良さが見てとれた。
少女の乙女チックな部分とオトナの洗練さを併せ持った部屋だ。
「どうぞ。」
透明ガラスのテーブルには先ほどのカップと大皿に
高級そうなどら焼きが山積みに置かれている。
「いただきます。」
カップに入れられたお茶はジャスミンティ。
真奈美さんは私たちの前に腰を下ろすと、姿勢を伸ばし自己紹介を始めた。
「改めまして、私は高坂真奈美といいます。
21歳でイラストレーターの修行中ってとこかな。
両親は海外赴任していて、私と弟と二人でここに住んでいるの。
まあ弟はめったに帰ってこないんだけど・・・どこをほっつき歩いているんだか。」
「イラストレーターなんて、クリエイティブなお仕事ですね。」
「そんなことないわよ。」
真奈美さんはふんわりと笑い、鹿内さんの方に身体を傾けた。
「鹿内さんはおいくつ?」
「21歳です。」
「わあ。私と同い年なんだ。大学生?」
「早慶大学3年です。」
「ご趣味は?」
「野球と読書。あとは食べ歩きですかね。」
口に入れたどら焼きをモグモグと咀嚼しながらそう答え、鹿内さんは3個目のどら焼きのセロハンの包みを開いた。
ちょっとは遠慮ってものをしなさいよ!
全部で6個しかない高級どら焼きなんだから。
私は心の中でそう毒を吐いた。
「美味いですね、このどら焼き。」
「でしょ?ウチは弟が甘党でね。そうだ!敬語はナシにしようよ。同い年なんだから。」
「そうですね」
「大学では何を勉強しているの?」
「教育学部なのでその関係を。」
真奈美さんは完全に鹿内さんをロックオンしようとしている。
私には何も質問してこないのがその証拠だ。
真奈美さんのキラキラと輝く瞳は、鹿内さんただひとりに向けられていて、私はその露骨な態度にちょっと興ざめした。
モモと小太郎は丸い玩具を奪い合いながらも、仲良さそうに遊んでいた。
・・・結構真奈美さんて積極的なのね。
ナチュラルメイクを施した化粧、唇はつやつやと潤っているし、スレンダーな身体。
男性なら一発でメロメロになりそうな艶っぽさ。
しかし鹿内さんはそんな真奈美さん相手に、始終そっけない態度をとり続けていた。
どうやら鹿内さんの女嫌いはフェイクではないらしい。
ま、そんなこと言って恰好付けていても、所詮男ってやつは、見た目の良い女性に弱い生き物だと思うのだけれど。
「ところで鹿内さんて彼女とかいるのかしら?」
真奈美さんは、ド直球な質問を投げかけてきた。
すると鹿内さんは私の肩を抱き寄せてニッコリと笑いながら言った。
「ええ。まあ。」
「え?え?」
真奈美さんは私と鹿内さんを交互に見ながら、コーヒーカップを持つ手を震わせた。
「まさか、ふたりは・・・?」
「ご想像にお任せします。さ、つぐみちゃん帰ろうか。」
はあ?何を余計な事、言ってくれているの?
私は鹿内さんの手を振り払い、すくっと立ち上がるとモモを抱き上げた。
「真奈美さん、そろそろ私達帰ります。長くお邪魔しちゃってすみません。」
「あら~。もう帰っちゃうの?」
引き留める真奈美さんのねちっこい目をひしひしと感じながら、
私と鹿内さんは頭を下げつつ玄関の扉を開けた。
上機嫌のモモを引っ張りながら私は鹿内さんを横目で見た。
「何ですか?さっきの態度は。」
「え?何が?」
「あれ真奈美さん、完全に誤解しましたよ?どういうつもりですか?」
「君さ、自分の役割もう忘れちゃったわけじゃないよね?
君は俺の女避けのために彼女役になったんだろ?」
「それはそうですけど・・・真奈美さんにもう少し愛想良くしたっていいんじゃないですか?」
「俺は精いっぱい愛想良くしたつもりだけど?どら焼き3個分くらいは。」
それはどういう基準なのだ。
「どら焼きは美味かったけど、あのお茶の味、歯磨き粉みたいだったよな。」
「あれはジャスミンティという中国茶でリラックス効果があるんです。」
「俺は不味くてリラックス出来なかったけど。あの部屋も、あの女も。」
鹿内さんの愚痴を聞きながら、ふと気が付いた。
行きは鹿内さんの背中を見るだけだったのが、今は横に並んで歩いている。
私はゆったりとした気持ちでモモのリードを引くことが出来ている。
ちょっとは私の苦言に配慮してくれたらしい。
車道側を歩いていると、大きなトラックが猛スピードで私達の方へ向かって来た。
ふいに鹿内さんは私の腕を引っ張り、私を歩道側へ導き、自分が車道側に移った。
「危ねーな!ふざけんなよ、あの車。殺すぞ!」
暴走車が鹿内さんの狂犬魂を蘇らせたようだ。
鹿内さんの気合溢れる乱暴な言葉遣いに、それは表われていた。
鹿内さんに抱き寄せられて、引き寄せられた肩がそこだけ熱を帯びた。
「あ、ありがとうございます。もう大丈夫ですから」
顔が熱い。
「ごめんな。俺が最初から車道を歩けば良かった。」
「い、いえ。全然気にしてませんから。」
なにか話題を見つけないと思い、真奈美さんのことを口にした。
「高坂真奈美さん。あの人絶対鹿内さんの事、気に入っていますよ。
あんな綺麗な人を振るなんてもったいなくないですか?
真奈美さんに彼女役をやってもらえばいいのでは?」
鹿内さんは眉間の皺を寄せた。
「冗談じゃない。あんなナチュラル女子に借りなんて作ったら、一生追いかけられるに決まっている。」
「ナチュラル女子?」
たしかに真奈美さんはナチュラルな美しさを持っているけど。
「手の込んだナチュラル風な化粧。コットン素材を使ったナチュラル風ファッション。
ドライフラワーを部屋のインテリアにさりげなく使う。」
「いいじゃないですか。何がいけないんです?」
「俺の統計だとナチュラル女子は、自分をナチュラルに魅せる戦略家がほとんどだ。ナチュラル女子はナチュラルに男を真綿でじわじわと締め上げてくる。恐ろしい人種だぜ。」
「考えすぎじゃないですか?」
「いいや!君はナチュラル女子の怖さを知らないからそんなことが言えるんだ。」
「なんかこじらせてますね。」
・・・どっちにしても私はナチュラル女子になんてなれないけど。
鹿内さんは、どれだけナチュラル女子に恨みがあるんだろう?
そんな私の心の内はつゆ知らず、鹿内さんは何かをひらめいたように言った。
「つぐみちゃんさ、髪型ちょっとだけ変えてみない?
今でも十分可愛いけど、違う君も見てみたい。」
「ほっといてください。」
「ほっとけないよ。仮にも俺の彼女だろ?君は。
少しは彼氏の好みの女性になってくれなきゃ。」
「そっちの都合ばかり押し付けないでください。」
鹿内さんは私が従うのがさも当然とでもいうように言った。
「来週の日曜日のスケジュール、空けといて。」
平日は早起きして学校に行かなければならないので、休みの日くらいはゆっくりしたい。
したいけど今朝はいつもより早く目が覚めてしまった。
鹿内さんとモモの散歩に行く約束があるから。
たったそれだけのことなのに、身体がやけに緊張している。
それにしても何着ていこう?
まあ気合いれるような服なんて持っていないのだけれど。
たかが散歩でお洒落しても恥ずかしいし、気合入っていると思われるのも嫌だし。
一応私の持っている服の中ではオシャレ着に属する、お気に入りの紺のトレーナーにGパンという無難な恰好に落ち着いた。
7時30分ピッタリに玄関へいくと黒いブルゾンにチノパンを履いた鹿内さんが、モモを抱きあげながら立っていた。
「おはよう。」
「おはようございます。早いですね。」
「俺はいつも5分前行動をとるようにしているからな。運動部の基本だ。」
「はあ。そうですか・・・」
「なんだ。眠そうだな。根性いれて、シャキッとしろよ!」
「ええ~?・・・はい。」
まだ覚醒していない脳内にエンジンをかけながら、私はスニーカーを履いた。
これだから体育会系の男は苦手だ。
暑苦しいし、なんでも根性論に結び付ける。
鹿内さんが玄関を開けると、モモは嬉しそうにキャンキャンと吠えながらリードを引っ張っていった。私はちょっと離れて、その大きな背中の後ろを追いかけた。
外に出ると5月の朝の風がふわりと頬を撫でて、気持ちよかった
新緑の季節だからか、どの花も緑もきらきらと輝いて見える。
朝の散歩もありだな、と思う。
鹿内さんがもうちょっとゆっくり歩いてくれたら、の話だけど。
鹿内さんは慣れた風にモモのリードをひっぱっていく。
私はぜえぜえと息を切らしながら、小走りをする鹿内さんに声を掛けた。
「あの、鹿内さん?」
「なに?」
「散歩ってもうちょっとゆっくり歩いてするものじゃないですかね?
こう新緑を愛でながら、季節の香りを感じたりして。
これじゃまるでジョギングじゃないですか。」
「何寝ぼけたこと言っているんだ?散歩は運動だ。ほらモモだって喜んでいるだろ?」
たしかにモモは嬉しそうにトコトコと鹿内さんのペースで走っている。
私も小走りで鹿内さんの後ろをついていく。
それは彼氏と彼女というよりは、生徒とそのコーチみたいに周りからは見えるだろう。
しばらく歩くとやっといつもの公園が見えてきた。
「よし。ちょっと休憩するか。」
鹿内さんも私と同じ散歩コースを選んでいるようだ。
古ぼけたベンチに距離を置いて私と鹿内さんは座った。
私はまだぜいぜいと息を切らしながら、ベンチに腰掛けた。
こんなマイペースな男に振り回されるなんて冗談じゃない!
けれど一度引きうけてしまったからにはやるしかないか・・・。
少しの沈黙のあと、ふいに鹿内さんが言った。
「つぐみ・・・っていい名前だな。」
「そうですか?」
私は自分自身が褒められているようで、ちょっと嬉しくなった。
「ツグミって鳥がいるんです」
「ほう。」
「父と母が初めてデートした時に、その鳥が木の上で鳴いていたそうです。」
「ふーん。それはロマンチックなことで。」
「なんか馬鹿にしてません?」
「いやいや。素敵なおハナシだと思って。」
自分から聞いておいて、まったく興味なさそうに、鹿内さんは鼻をならした。
その時モモがキャンキャンと嬉しそうに吠え出した。
見ると公園内に入ってくるのは真奈美さんと小太郎だった。
今日も真奈美さんはオフホワイト色の綿の長袖ワンピースに
黄色いサンダルという女子力高めな恰好をしている。
小太郎を連れた真奈美さんは私達のいるベンチの側まで来ると、にこりとほほ笑んだ。
「おはようございます。つぐみちゃんと、‥‥鹿内さん?」
「おはようございます。高坂さん。」
「おはようございます。」
鹿内さんもコクリと頭を下げた。
「真奈美でいいわ。」
高坂さんはそう言ってワンピースの裾を翻した。
小太郎はクイーンクイーンとモモに身体を摺り寄せている。
どうやら犬同士の方がコミュニケーション能力は高いようだ。
「つぐみちゃん。俺、飲み物買ってくるよ。今日は俺のおごり。感謝しろよな。」
「どうも」
この男は親切も押し付けがましい。
「あら。それならウチでお茶でも飲んでいかない?」
真奈美さんはパチンと手を叩いて両手を顔の前に合わせた。
「お二人がそろっているのも珍しいし、私最近引っ越してきたばかりだからお友達が欲しくて。
私のウチ、すぐそこなのよ。」
「私はいいですけど・・・」
「俺は遠慮しておきます。先帰ってシャワーでも浴びたいんで。」
鹿内さんはすげなく言うと、リードを私に手渡した。
「そんなこと言わないで鹿内さんもご一緒しましょうよ。
ウチに頂きもののどら焼きが食べきれないほどあるの。
小太郎とモモちゃんももう少し一緒に遊ばせてあげたいし。」
「どら焼き?」
鹿内さんの甘いもの好きセンサーが反応したようだった。
「ちなみに宝太郎本舗のお取り寄せどら焼きよ。」
「つぐみちゃん。せっかくだからお邪魔しようか?」
鹿内さんはさっきまでの態度とはうって変わり、口元が緩んだ。
真奈美さんの家は公園の南側に位置する、レンガ張りのマンションの3階だった。
こじんまりとした造りだけれど、エントランスのガラスがレトロ調な飴色になっていて、オートロックも付いている。
エレベーターに3人プラス2匹が乗り込むと、3階まではすぐだった。
鹿内さんはすかさず開けのボタンを押すと私達を先に促す。
ふーん。鹿内さんってこういうスマートな所作も出来るんだ。
302号室のドアのカギを真奈美さんが開けると、
シンプルモダンな玄関にはドライフラワーが壁に飾られていた。
「どうぞ。中に入って。」
細長い廊下を進むと12畳はあると思われるリビングに茶系の家具が並んでいた。
私達は家具の茶系と調和のとれた黄色いソファに並んで座った。
「今お茶を入れるわね。」
真奈美さんはリビングとつながったキッチンに入ると、
白いカップとソーサーを戸棚から取り出した
広い壁にはブルーの空をモチーフにした絵画が飾られていて、
隅々からセンスの良さが見てとれた。
少女の乙女チックな部分とオトナの洗練さを併せ持った部屋だ。
「どうぞ。」
透明ガラスのテーブルには先ほどのカップと大皿に
高級そうなどら焼きが山積みに置かれている。
「いただきます。」
カップに入れられたお茶はジャスミンティ。
真奈美さんは私たちの前に腰を下ろすと、姿勢を伸ばし自己紹介を始めた。
「改めまして、私は高坂真奈美といいます。
21歳でイラストレーターの修行中ってとこかな。
両親は海外赴任していて、私と弟と二人でここに住んでいるの。
まあ弟はめったに帰ってこないんだけど・・・どこをほっつき歩いているんだか。」
「イラストレーターなんて、クリエイティブなお仕事ですね。」
「そんなことないわよ。」
真奈美さんはふんわりと笑い、鹿内さんの方に身体を傾けた。
「鹿内さんはおいくつ?」
「21歳です。」
「わあ。私と同い年なんだ。大学生?」
「早慶大学3年です。」
「ご趣味は?」
「野球と読書。あとは食べ歩きですかね。」
口に入れたどら焼きをモグモグと咀嚼しながらそう答え、鹿内さんは3個目のどら焼きのセロハンの包みを開いた。
ちょっとは遠慮ってものをしなさいよ!
全部で6個しかない高級どら焼きなんだから。
私は心の中でそう毒を吐いた。
「美味いですね、このどら焼き。」
「でしょ?ウチは弟が甘党でね。そうだ!敬語はナシにしようよ。同い年なんだから。」
「そうですね」
「大学では何を勉強しているの?」
「教育学部なのでその関係を。」
真奈美さんは完全に鹿内さんをロックオンしようとしている。
私には何も質問してこないのがその証拠だ。
真奈美さんのキラキラと輝く瞳は、鹿内さんただひとりに向けられていて、私はその露骨な態度にちょっと興ざめした。
モモと小太郎は丸い玩具を奪い合いながらも、仲良さそうに遊んでいた。
・・・結構真奈美さんて積極的なのね。
ナチュラルメイクを施した化粧、唇はつやつやと潤っているし、スレンダーな身体。
男性なら一発でメロメロになりそうな艶っぽさ。
しかし鹿内さんはそんな真奈美さん相手に、始終そっけない態度をとり続けていた。
どうやら鹿内さんの女嫌いはフェイクではないらしい。
ま、そんなこと言って恰好付けていても、所詮男ってやつは、見た目の良い女性に弱い生き物だと思うのだけれど。
「ところで鹿内さんて彼女とかいるのかしら?」
真奈美さんは、ド直球な質問を投げかけてきた。
すると鹿内さんは私の肩を抱き寄せてニッコリと笑いながら言った。
「ええ。まあ。」
「え?え?」
真奈美さんは私と鹿内さんを交互に見ながら、コーヒーカップを持つ手を震わせた。
「まさか、ふたりは・・・?」
「ご想像にお任せします。さ、つぐみちゃん帰ろうか。」
はあ?何を余計な事、言ってくれているの?
私は鹿内さんの手を振り払い、すくっと立ち上がるとモモを抱き上げた。
「真奈美さん、そろそろ私達帰ります。長くお邪魔しちゃってすみません。」
「あら~。もう帰っちゃうの?」
引き留める真奈美さんのねちっこい目をひしひしと感じながら、
私と鹿内さんは頭を下げつつ玄関の扉を開けた。
上機嫌のモモを引っ張りながら私は鹿内さんを横目で見た。
「何ですか?さっきの態度は。」
「え?何が?」
「あれ真奈美さん、完全に誤解しましたよ?どういうつもりですか?」
「君さ、自分の役割もう忘れちゃったわけじゃないよね?
君は俺の女避けのために彼女役になったんだろ?」
「それはそうですけど・・・真奈美さんにもう少し愛想良くしたっていいんじゃないですか?」
「俺は精いっぱい愛想良くしたつもりだけど?どら焼き3個分くらいは。」
それはどういう基準なのだ。
「どら焼きは美味かったけど、あのお茶の味、歯磨き粉みたいだったよな。」
「あれはジャスミンティという中国茶でリラックス効果があるんです。」
「俺は不味くてリラックス出来なかったけど。あの部屋も、あの女も。」
鹿内さんの愚痴を聞きながら、ふと気が付いた。
行きは鹿内さんの背中を見るだけだったのが、今は横に並んで歩いている。
私はゆったりとした気持ちでモモのリードを引くことが出来ている。
ちょっとは私の苦言に配慮してくれたらしい。
車道側を歩いていると、大きなトラックが猛スピードで私達の方へ向かって来た。
ふいに鹿内さんは私の腕を引っ張り、私を歩道側へ導き、自分が車道側に移った。
「危ねーな!ふざけんなよ、あの車。殺すぞ!」
暴走車が鹿内さんの狂犬魂を蘇らせたようだ。
鹿内さんの気合溢れる乱暴な言葉遣いに、それは表われていた。
鹿内さんに抱き寄せられて、引き寄せられた肩がそこだけ熱を帯びた。
「あ、ありがとうございます。もう大丈夫ですから」
顔が熱い。
「ごめんな。俺が最初から車道を歩けば良かった。」
「い、いえ。全然気にしてませんから。」
なにか話題を見つけないと思い、真奈美さんのことを口にした。
「高坂真奈美さん。あの人絶対鹿内さんの事、気に入っていますよ。
あんな綺麗な人を振るなんてもったいなくないですか?
真奈美さんに彼女役をやってもらえばいいのでは?」
鹿内さんは眉間の皺を寄せた。
「冗談じゃない。あんなナチュラル女子に借りなんて作ったら、一生追いかけられるに決まっている。」
「ナチュラル女子?」
たしかに真奈美さんはナチュラルな美しさを持っているけど。
「手の込んだナチュラル風な化粧。コットン素材を使ったナチュラル風ファッション。
ドライフラワーを部屋のインテリアにさりげなく使う。」
「いいじゃないですか。何がいけないんです?」
「俺の統計だとナチュラル女子は、自分をナチュラルに魅せる戦略家がほとんどだ。ナチュラル女子はナチュラルに男を真綿でじわじわと締め上げてくる。恐ろしい人種だぜ。」
「考えすぎじゃないですか?」
「いいや!君はナチュラル女子の怖さを知らないからそんなことが言えるんだ。」
「なんかこじらせてますね。」
・・・どっちにしても私はナチュラル女子になんてなれないけど。
鹿内さんは、どれだけナチュラル女子に恨みがあるんだろう?
そんな私の心の内はつゆ知らず、鹿内さんは何かをひらめいたように言った。
「つぐみちゃんさ、髪型ちょっとだけ変えてみない?
今でも十分可愛いけど、違う君も見てみたい。」
「ほっといてください。」
「ほっとけないよ。仮にも俺の彼女だろ?君は。
少しは彼氏の好みの女性になってくれなきゃ。」
「そっちの都合ばかり押し付けないでください。」
鹿内さんは私が従うのがさも当然とでもいうように言った。
「来週の日曜日のスケジュール、空けといて。」