不倫の女
 彼をサッカー選手に例えるのであれば、超一流選手だ。

 超一流のサッカー選手でも一人きりでは、相手チームと戦うことはできない。

 ボールを持っていれば必ずゴールを決められても、味方からパスがもらえないことには、なすすべがない。

 なぜ俺にパスを回さないのだ、と味方チームに怒りをぶつけて、どんどん孤立していくことになった。

 日本代表のサッカー選手と休日に草サッカーを楽しんでいる人の目的が、ただサッカーを楽しむことが目的なら、一緒にいられることは可能だ。

 ワールドカップ優勝を目指す一流選手とサッカーを楽しめられればいいという草サッカーのプレイヤーは、相容れない仕事をする上で、彼のように崇高な意思で働くのは少数派だ。

 経営者目線で居すぎてしまった。
 多数派は経営者目線を持とうなどと考えない。
 
 ラクして、自分の負荷が少なくて、給料は多ければ多い方がいいと考えている。

 低きに流れていくのが、人の性分だ。

 彼は、そこに対してどうしようもないほどの怒りを感じ、許せないと考えてしまうようになっていた。
 
 注力すべきなのは、彼自身の仕事だったのだけれど。
 
 彼が彼自身の仕事をしたくても、低きに流れる人間は彼のことを邪魔するようになった。

 最初の内は、バレないようにしていたのだが、段々とあからさまな邪魔をするようになって、彼は段々と心を蝕まれていった。

 ――どうして、邪魔ばかりするんだろう。

 彼は事あるごとにそう呟いていた。
 
 彼を支えながら、私は彼の良い部分を伝え続けた。
 
 しかし彼の耳には私の言葉は届かなくなっていった。
 
 彼は能力こそ高かったが、自信がない人だった。
 
 自信を作るために、日夜努力を続ける人だった。
 
 自信がないばかりに、自分を責める人の意見や悪口が、ナイフのように突き刺さってしまうようだった。
 
 自信がなくて自分を好きになれない彼には、私がどれだけ認めていることを伝えても、彼は誰よりも素晴らしいと伝えても、届かなかった。

 私の言葉が届いたように見えても、おもちゃのナイフのように刀身が柄に入りこんでしまうようだった。
 
 そのことに、私がどれだけ無力感を抱いていたか――
 
 彼はきっと気付いていなかっただろう。
 
 そんな余裕は彼にはなかったのだ。
 
 そんな彼を愛していた私は無力感を抱きながら、彼の存在を認め続けた。
 
 気づくと彼の心には、自分を責めるナイフしか刺さっていなかった。
 
 私の言葉が入りこむ余地などなかった。
 
 そして、彼はある日を境に、弾け飛んでしまった。
< 5 / 34 >

この作品をシェア

pagetop