不倫の女
「だから、あの人のことを認めてくれたあなたには感謝しているんです」

 奥様はそこで笑顔になる。

 私にではなく、視線の先にある彼の遺影に向けて。

「感謝するのは、私の方です。今の会社に勤められたのも、旦那様のおかげなので」
「そう。あなたがいたから、彼は延命することができたのよ」
「延命、ですか……?」
「もともと、半分死にかけているような人だったから、あなたがいたことで少し寿命が伸びたと思うの。死にたい死にたいって毎日ぼやいてたんだから」
「そうなんですね」

 私も彼から、何度もその言葉を聞いたことか。

「結局、私なんかじゃどうしようもなかったですからね」
 奥様が胸中に抱いている無力感に、共感してしまう。

「そんな――私こそ何もできなかったですよ」

「そんなことないですよ。あなた、うちの人と付き合ってたんでしょう」
「え?」

 不意に向けられた言葉に頭が真っ白になる。
 話をする前に覚悟はしていたはずだったのに、このタイミングか、と思った。

「大丈夫、言い訳しなくって。こうして、話していることが何よりの復讐になっていると思うしね。全部わかってるから、安心して」

 何の安心だろう。
 全く安心できない。

「あの、慰謝料とかは取ろうだなんて、全く思ってないから安心してちょうだい。その代わりというか、私との話に向き合ってほしいの」

 慰謝料は取らない、ということに安堵しつつも、頭が追いついていかない。

「バレていた。ってことが伝わっただけでも、相当喰らったでしょう? だから、それが私の仕返し。でも、さっきも伝えたとおり、本当に感謝しているから」

 彼の心境が今ならわかる。
 何を言われても、信用できないし、安心できない。
 今さら彼の心境を理解できるなんて遅すぎた。
 そう思わせることも奥様なりの復讐なのかもしれない。

「あなたとの関係を持つということは、世間一般からしたら批判されるようなことだと思うの。でも、私は受け入れている。私が許しているのだから、世間から批判されたとしてもどうでもいいと思うけど。慰謝料も取らないって言ったけれど、公表もしないから安心して。公表するのは、あなたへの名誉毀損にもなりかねないからっていうのが理由でもあるけど」

 私は頷くことしかできない。
 奥様に背中をさすってもらったときより息苦しい。
 こんな状況になったというのに受け入れられるものなのだろうか。
 息苦しさに比例するように、理解に苦しむ。

「あなたがいたことは、彼の自信に繋がっていたと思うの。こんなに若くてキレイな人と付き合うことができたんだもの」

 そうなのだろうか。
 
 奥様から若くてキレイと言われて、素直に受け止められるわけがない。
 
 ただの嫌味だと思ったからだ。
 しかし、なぜか不思議と嫌味という感じは受けなかった。

 まさか、本当にそんなことを思っているのだろうか。
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