不倫の女
「あの人のどこが良かったの?」

 奥様はとてもやさしい声で訊いた。
 
 その声を聞いて理解した。
 
 奥様が私に対して感謝している、と言った理由が唐突にわかった。

 彼がこの世にいないからだ。
 
 怒ってもどうしようもない。
 故人はもう帰ってくることはない。
 だから、今だけは静かに見送ってあげたいのだろう。
 
 同じ人を愛したもの同士。
 奇妙な友情のような――
 
 きっと明日になったら、奥様は私のことを恨めしく思うかもしれない。

 でも、今日だけは、彼の遺影の前だけは、笑っていたいのだろう。
 
 今日始まって今日終わるこの奇妙な友情のようなものを頼りに私は話をする。

 さっきまでは吐きそうだったのに奥様のことを少し理解したことで話ができた。

「顔と見た目……ですかね」

「あなた大分正直ね。可笑しいわ。とってもいいと思う。その正直さ」
 吹き出してしまうほど私の発言が可笑しい様子だった。

「見た目って、大事じゃないですか。みんななんか、心が——って言いますけど、それって後からついてくるものだと思うんですよね。私は」

「そうね」

「もちろん裕太さ――えっと旦那様の……」

「いいわよ訂正しなくって、好きなように呼んで」

「裕太さんの見た目は素敵だなと思っていましたけど……」

「それっていつからなの?」

「最初の方からです。あ、もう、正直に言うと一目惚れです」

「ホントおもしろいわね。あなた。あんなオジサンに一目惚れねえ」

「一瞬で、すごい素敵だと思ったんです。仕事を一緒にしていく内に、価値観とか考え方に尊敬するようになりました。今までの仕事で、こんなに仕事熱心で考えている人に出会ったことなかったんです。みんなきっとそれなりに考えているとは思うんですけど。その考え方を教えてもらえる時間が、私と裕太さんの仕事にはあったんです。話している内に、段々と尊敬していることを伝えるようになっていきました。本当に純粋な憧れみたいなものがありました」

「そうなのね。それはきっと嬉しかったと思う。自信なんて皆無なあの人からしたら、そんな風に思ってくれる人が、自分の目の前に現れたら、好きになってしまうのも当然かもねえ。私だって、あの人の他の人にない考え方、とっても好きだったわ。面白いわよね。あの人。でも近い人の言葉って案外届かないものなのよね」

奥様はふと何かを思い出して、うつむく。
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