わけあり家令の恋
開かない扉
 目の前の扉はひどく近寄りがたく見えた。
 豪奢な屋敷にふさわしく、凝った飾り彫りが施された重厚なものだ。

「どうしてですか? どうしてお目にかかれないの?」

 私の問いかけに、傍らに立つ長身の青年がゆっくり頭を下げる。

「申しわけございません。しかし旦那様は今、どなたともお会いになることができません。ご体調を崩しておられますので」
「ですが、わたくしは――」
「お気持ちはお察しいたします、奥様。どうか今しばらくお待ちください」

 そう言われてしまえば、黙って頷くしかない。「奥様」という呼びかけも空しく聞こえた。

 もともと私に決定権などない。
 十月の最後の日――十八になったばかりの今日、まるで売られるようにして、この加瀬(かせ)家に嫁いできたのだから。

 もはや私は子爵令嬢の羽根田(はねだ)桜子(さくらこ)ではないのだ。
 実のところ羽根田家は借金まみれで、爵位など名ばかりのものであったけれど。

「わかりました」
「何かございましたら、いつでもお申しつけください」
「どうもありが――」

 私は礼を言いかけ、ふと相手の名前を知らないことに気づいた。なにしろ先ほど、この屋敷に足を踏み入れたばかりなのだ。

 すると青年は心得顔で頷いてみせた。

「ご挨拶が遅れまして、申しわけございません。わたくしは加瀬家の一切をお預かりしている家令(かれい)の杉崎でございます」
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