わけあり家令の恋
切ないソーダ水
 それから毎朝、私は夫の部屋へお茶を運び、扉の前で杉崎に託した。

「おはよう、杉崎さん」
「おはようございます、奥様」

 邸内の仕事はもちろん、杉崎は夫が経営する加瀬商会にも代行として出勤していて、相当忙しい様子だったが、いつも律義に待っていてくれた。

 それにあいかわらず夫に会うことはかなわなかったものの、彼が日々の様子を細やかに教えてくれた。

 ――今朝は椅子で新聞を読まれました。
 ――昨夜は野菜のスープを召し上がりました。それからパンも少し口にされました。
 ――お医者様のおすすめで、午後は部屋の中を歩いておられます。もうしばらくしたら、お庭を散歩されるようになるかもしれません。

 ゆっくりではあるが、夫は病から回復しつつあるようで、こんな伝言をもらったこともある。

「いつもありがとうと、先ほど旦那様がおっしゃっておられました。必ずお伝えするようにと」
「まあ、本当ですか?」
「はい、さようでございます」

 落ち着いた物腰と穏やかな声――杉崎と話をすると、私は安心して自室に戻ることができた。
 たとえ嫁いでから一度も夫と顔を合わせておらず、その部屋に出入りできるのはこの家令と女中頭だけだったとしても。
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